第5話:筋肉の迷宮と壊れたラビリンス 〜元ミノタウロス、巨大ジムで本能が目覚める〜
神話での怪物…かつて、クレタ島の迷宮で生贄を待ち構えていた牛頭の人食い怪物ミノタウロス。
令和の世に転生した彼は、その強靭な肉体を維持するため今は、筋トレとプロテインを愛し、そして「迷路のような場所へ行くと落ち着く」という悲しき習性のために、今日も巨大フィットネスジムへと足を運ぶのだった。
【本編】
「フム…これだ!ジムはこれでなくてはイカン!
この、設計者の正気を疑うほど無意味に曲がりくねった廊下
そして、わざと視界を遮るように配置された観葉植物…
これこそが、私の求める聖域だ!」
牛島剛は、都心の一等地にオープンした世界最大級のフィットネスジム
「ラビリンス・フィットネス」のロビーで、興奮を抑えきれずに周りに
憚ることなく荒い鼻息を吐き出した。
そこは、最新のトレーニングマシンが煌めく如く設備され、温水プール
癒しのスパ…そして無数の個室スタジオが、敢えて複雑怪奇なレイアウト
で連結された「迷宮型」のジム…
初見の人間なら更衣室に辿り着くまでに三回は絶望するという…
何とも驚きの狂気の新装開店だった。
牛島は、タンクトップからはみ出した、もはや重機のような大胸筋を
ピクピクと震わせながら更衣室へと向かった。
しかし、そこですでに最初の"試練"が幕を開けていた…
「こ…更衣室はどこだ? 右に三回曲がった鏡張りの壁を直進…
間違いなく、そうしたはずだが…な…なぜだ!
なぜかプロテインバーの『準備中』の看板の前に出たぞ!
ほう~なかなかやるではないか…この現代のダイダロスめ!」
彼はその後、何故か十分ほど同じ通路をグルグルと回り続けた。
普通の人間なら苛立ち、スタッフを呼ぶ場面なのだが…
ミノタウロスとしての本能が、宿命の様に彼に「迷うことの官能」を
与えてしまう。
「ああ、出口が見えない!壁が迫ってくるゾ!
ス…素晴らしい!これこそが故郷の湿度、故郷の絶望感だ!」
と、ワケの分からない理屈を叫んで、彼は少しだけウットリしながら
ついに更衣室(の裏にあるリネン室)に辿り着いた。
トレーニングが始まれば、彼は文字通りの「怪物」へと変貌した。
「フンッ! フンッ! モォォオオオオッ!!」
レッグプレスに、ジムにある全ての20キロプレートを積み上げ
さらには荷重が足りないと判断して、近くにいたインストラクターの
マイクに『ちょっと座っていろ』と指示して、人間ごと計400キロ以上を
軽々と垂直に押し上げる。
その大腿四頭筋は、はち切れんばかりの筋線維の束となり
マシンの油圧シリンダーが悲鳴を上げていた。
「う…牛島さ~ん! もう十分です! フレームが歪んでます!
それに僕、高いところ苦手なんです!」
マイクが情けなく悲鳴を上げる
「黙れ!私の筋肉がまだ『迷宮への捧げ物』を求めているのだ!
マイク弱音を吐くな!…あと十回だ!」
2時間後…全エネルギーを使い果たし、限界までパンプアップした
牛島は、深刻なエネルギー飢餓(ガス欠)に陥った。
「ハ…腹が減った!プロテインだ!…プロテイン!
筋肉の同化タイムを逃すわけにはいかん!
しかし、出口は?…バーは?どこだ?」
ここからが真の悲劇の始まりだった。
極度のパンプアップにより脳への血流が一時的に低下し
さらには「空腹による凶暴性」が、かつての【迷宮の主】としての本能が
最悪の化学反応を引き起こした…
「右に行けばプール…左に行けばピラティススタジオ…?
なぜだ! なぜ一向にプロテインバーの香りがしてこん!
さっきからこのプロテインメーカーのポスターを三回は見ているぞ!
誰だ、この迷宮を増築したのは!
さっさと生贄(バナナ味)を差し出せ!」
牛島は焦り、そしてキレた…
早急にプロテインを摂取しなければ、今日一日、壁の向こうまで響かせた
咆哮も、壊れかけたマシンも、全てが無に帰してしまう…
彼は迷路のような通路を走り始めた。
しかし、走れば走るほど、同じような白い無機質な壁が出て来る…
そしてまた…同じ様なルームランナーが整然と並ぶエリアに戻って来る。
「ク…くそ~!もういい!最短ルートは、私が作る!」
牛島の瞳が捕食者の赤へと染まり、彼は仁王立ちとなる。
そして、デザイン性の高い『モダンなグレーの防音壁』を見据えた…
「モォォォォォオオオオオオオッ!」
"ドゴォォォォン!"
凄まじい衝撃音と共に、牛島は壁を正面から突き破った。
石膏ボードと軽量鉄骨など、彼の1400年の歴史が詰まった迷宮の王者の
広背筋と僧帽筋の前では湿った段ボールも同然だった。
「う…牛島さ~ん! 何してるんですか!
そこは女子更衣室の…いや、マッサージチェアの搬入路です!
つ…通路を通ってください!」
駆けつけたマイクが見たのは、最短距離でプロテインバーへ向かうため
厚さ20センチのコンクリート壁に【牛のシルエット】の穴を開けながら
重戦車のごとく直進していく巨漢の背中だった。
「邪魔だ! 筋肉が…筋肉が枯渇して叫んでいるのだ!
壁など、私を迷わせるためにある不条理な障害物に過ぎん!」
牛島は、最後の一枚となった受付カウンター背後の大理石の壁を
タックルで粉砕して現れた。
驚きと恐怖で腰を抜かす女性スタッフを尻目に、彼は震える手で
シェイカーを掴み取り、プロテインパウダーをバケツ三杯分ほど
ボウルにぶち込み、水で溶かす間も惜しんで混ぜると直ぐに飲み込んだ
「ふぅ~…生き返った~
やはり、死闘(迷宮攻略)の後のプロテインは血の味がする!
(実際はイチゴ風味)」
周囲には、彼が直進してきたルートに沿って…
五枚の壁に"見事な牛型の風穴"が綺麗に撃ち抜かれていた。
それはもはや、一つの現代アートのようでもあった。
結局、牛島は『建物損壊罪』の疑いで警察に事情を聴かれた。
当然だが、永久追放(出禁)を言い渡された。
しかし、多額の賠償金請求書をジムから請求されそれを手にしながらも
彼は反省の色を見せるどころか、街角の複雑な工事現場の足場を見て
「あそこなら、もっと迷い甲斐があり、壊し甲斐がありそうだ」
と満足げに鼻息を荒くするのであった…
『過ぎたるは猶及ばざるが如し』…
と言っても筋肉バカの牛島には『馬の耳に念仏』ならず
『牛の頭に釈迦の教え』
なのだろう…
【今週の妖怪就職豆知識】
元ミノタウロスが現代のフィットネス施設を利用する際は以下の迷宮対策が生存(および社会復帰)の鍵となります。
スマートウォッチの「帰り道ナビ」機能を絶対に切らない:自分の本能を信じるのは「クレタ島」まで。
現代では文明の利器を頼りましょう。
「壁を破壊しない」という誓約書の特約事項:多くのジムで、角がある、または首の太さが2メートルを超えそうな人物は警戒されるため、あらかじめ「破壊衝動はありません」という温厚なイメージを植え付けてください。
プロテインは常に「即効性ゼリー」を携帯する:空腹による「ラビリンス物理破壊モード」を未然に防ぐための現代版「アリアドネの糸」です。
なお、新宿駅や梅田駅など、現代の「真の迷宮」へ行く際は壁を壊すと国家規模の騒ぎになるため、おとなしく駅員さんに道を聞くのがプロのミノタウロスの嗜みです。




