77 それぞれの運命
アマンダが収容されているという施設に向かう間、私の頭は真っ白だった。夢だと分かっている夢を見ているような気分で、奇妙な多幸感と恐怖が混在していた。
誰かに興味を持ってもらえるのは嬉しい。
自分のことを知りたいと思ってもらえるなら、喜んですべて伝えてしまいたい。相手が同性でも異性でも、それは同じこと。
だけど、今回は少し事情が違う。
「降りないんですか?次は車庫行きなので、ここで降りないと乗り換えもできませんよ」
「あ……降ります、すみません」
気付けばバスは停留所に着いていた。運賃を支払って灰色の建物を見上げる。この壁の向こうに、十年一緒に暮らした従姉妹が居るとは、なんとも不思議な気持ちだ。
行きは抱えていたシチューのバスケットを宿舎で手放したおかげで身体は軽いが、新たな悩みの種が芽吹いたので心は重い。本来なら、喜ぶべきことなのに。
以前クリストフから聞いていた通り、拘置所も騎士団の管轄のようで、宿舎と同様に制服の男たちが働いている。彼らもまた、ユーリのことを知っているのだろうか。
私のことを知りたいと言ってくれたけれど、私はユーリのことを知らない。天使みたいな顔なのに鬼のように恐ろしくて、野菜を生で齧ってもへっちゃらで、死に戻りの日記を読んでも笑わない。かなり変な人だとは思う。
「久しぶり……元気そうね、ジャンヌ」
鈴のような声に私は顔を上げた。
そして、思考は一気に現実に引き戻された。
アマンダは、私が最後に見た時よりも明らかに疲れた顔をしていた。健康的な桃色だった頬は薄汚れ、丁寧に巻かれていたブロンドの髪はところどころ絡まっている。
心臓がぎゅっと縮み上がるのを感じた。
「ねぇ、私のことを許せないでしょう?」
率直な言葉に身体が強張る。
何も言わなくても答えは顔に出てしまったようで、アマンダは悲痛な表情で着席した。その背後では男の隊員が一人、時計を片手に待っている。面会は三十分というのは本当らしい。
「もう貴女の命を脅かすようなことはしないわ。この通りガラス板もあるから安心して。私はただ……謝りたくて」
そう言ってアマンダは両手で顔を覆った。
何も思わないわけではない。
だけど、父から厳しく注意されたように情けを見せるわけにはいかないし、そのために来たのではない。ここに来た目的を果たさないと。
「いくつか質問があるの。良い?」
「なぁに……?」
涙に濡れた双眼を見据える。
「どうして医療学校に進学したの?看護師になりたいという夢を私も父も応援していたわ。あれは嘘だったの?」
アマンダの目にじわっと涙が浮かんだ。再び嗚咽が小さな口から漏れ始める。
「リンクス先生が……私を脅して来たの。ジャンヌを殺すつもりはなかったわ!だけど、貴女を弱らせる必要はあった。私は貴族としてイーサン様の元に嫁ぎたかったから、」
「私に薬を飲ませても、貴女はヘルゼンに入ることなんてできないわ。結婚していないんだから」
「だけど、子供ができないとなると話は別でしょう?私はイーサン様の子供を産んだことがあるから、きっと歓迎される……」
「なにを言ってるの……?」
私は本気でアマンダの心情が心配になった。
すべて空想上の話でしかないのに、それが真実であるかのように語る。現実味の欠片もない話に、思考がついていかなかった。
畳み掛けるように、アマンダが顔を近付ける。
ガラス板がわずかに揺れた。
「リンクス先生は薬を提供する代わりにもっとお金を出せって言ってきたの。だから私は自分で作ることにした。なんてことない簡単な作業だったわ。家庭菜園って楽しいのね。釈放されたらイーサン様と商会で野菜を売ろうかしら?」
「ヘルゼン商会は縮小するそうよ。それに貴女が釈放されるのはすごく遠い未来かもしれない」
「あら、どうしてそんなに強気なの?」
小声で呟くと、アマンダは急に背中を丸めて机にしがみついた。悲鳴に近い声がコンクリートの壁に当たって反響する。
すぐに、近くで待機していた隊員が駆け付けた。
「お腹が……!お腹が痛いの!!割れそうに痛いわ、早くお医者様を……!!」
「それならば面会は中止だ」
「ジャンヌが居れば安心できるわ。お願い、私はここで待っているからお医者様を呼んで!」
疑いの目でアマンダを見下ろす隊員も、焦ったそうに「心配しなくても何もできないわよ」と言うアマンダを見て部屋を出て行った。
私は呆然とその後ろ姿を見送る。
二人きりの部屋でアマンダが小さく吹き出した。
「あぁ……やっと二人っきりになれた」
「これ以上どんな罪を重ねるつもり?貴女は私に手出しできない。それとも、死刑になりたいの?」
「………っ、イヤな女!」
キッと顔を歪めて吐き捨てると、アマンダは思い出したように笑顔を浮かべた。
「ねぇ、ジャンヌって男を手名付けるのは下手くそだけど、運だけは良いのね。良縁ばかり見つけてくるから、嫉妬しちゃう」
「なに……?」
「あの騎士団長、やけに協力的だったでしょう。彼はきっと貴女に気があるのよ。地味な女を従えるのが趣味なのかも」
クスクスと笑いながらそう言うので、私は我慢できずに机を両手で叩いた。ガラス越しにアマンダを睨み付ける。
自分のことをなんと言われても、親身に協力してくれたユーリを馬鹿にされるのは嫌だった。憶測で彼の気持ちを語られるのも腹が立った。
「良い加減にして。もう帰るわ」
「まさか次はあの男なの?」
きゃあ、と揶揄うような歓声が上がる。
私は呆れて溜め息を吐いた。
「勝手にすれば良い。手紙も必要ないから、私とお父様の前に現れないで」
「だけど、本気じゃないわよねぇ?」
「何が言いたいの?」
思わず聞き返して、しまったと思う。これがアマンダの手法なのだ。私を煽って気を引く。会話を長引かせるだけ無駄なのに。
血の気のない顔が、女神のように微笑むのを見た。
「公爵家の息子と、自分が釣り合うと思う?」
「…………、」
「イーサン様は私に夢中だったわ。嘘じゃない。私たちは確かに愛し合ってたから!夫に捨てられた貴女が、他の男に愛されるとでも?」
「あの人はイーサンとは違うわ」
床を見つめたままで答える。
それだけは確信をもって言えること。
「ジャンヌ、運命は残酷なのよ。貴女は良い男を見つけるのが本当に上手。だけどね、男たちはいつも貴女のもとを離れていくの。もう一度捨てられないと分からないのかしら?」
可哀想なジャンヌ、と憐れむような言葉を最後にアマンダは立ち上がる。医者が到着して、ケロリとした顔の従姉妹が連れて行かれるのを、私はただ黙って見ていた。
ポケットの中に片手を入れる。
家から持って来たものを指先で確かめた。
「アマンダ、これは貴女に返すわ」
「なによ……?」
チャラと音を立てて机の上に美しいイヤリングが転がる。連なった赤いルビーを見てアマンダは息を呑んだ。
「イーサンと貴女が運命ならば、きっと今こんな場所にいない。答えはもう出てると思うけど」
激しい罵倒の言葉を背中で受けながら、拘置所を後にする。冷たい風が頬を掠めた。
運命なんてものがあるのなら、教えてほしい。
幸せになりたい自分にまとわりつく恐怖を、どうやって断ち切れば良いのか。どうやって自身を奮い立たせれば良いのか。




