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お望み通り、悪妻になりましょう  作者: おのまとぺ
第四章 新しい未来
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76 再び宿舎



 途中で降り出した雨のため、バスはやや遅れて王都に到着した。ヘザーと私はクリストフとマリーに別れの挨拶をして、着込んだ客たちの間を縫うように降車する。


「調べ物をしなきゃいけないから、私は部屋に戻るわ。団長の件は貴女のせいじゃないし、あまり責任を感じなくて良いわよ」

「はい……ありがとうございます」


 それじゃ、と手を振って去って行くヘザーに頭を下げて、私は管理人室の前で立ち止まる。見慣れた男からノートを受け取って日付を記入し、名前まで書いたところでペンが止まった。


(……まだヘルゼンで良いのよね?)


 離縁状は送り付けた。

 だけど、イーサンから返事は受け取っていない。


 商会の件でそれどころではないのかもしれないし、諸々のいざこざの発端となった私への対応を後回しにしている可能性もある。いずれにせよ、これ以上の縁は彼らとて必要ではないはずだから、私としては早めに承諾してほしいのだけど。


 迷った末に私は名前の後ろに「ヘルゼン」と書き足した。ノートを管理人に返し、クリストフから聞いて騎士団長の見舞いに来たと伝える。


 幸い近くをユーリの部下であるゴードリーが通り掛かったので、私の案内はゴードリーに引き継がれた。彼も体調が悪いのか、やけに小さなマスクを付けている。



「急に必要になったので……子供のものしかなく」

「お子さんがいらっしゃるのですか?」

「はい。娘が二人」


 そう言ってゲホゲホと咳き込むので、それ以上何かを話し掛けるのは止めておいた。クリストフやマリーに限らず、宿舎内で風邪が流行っているのかもしれない。


 部屋には誰も入れるなと言われているので私はここで、とゴードリーは扉の前で敬礼する。誰も、という括りに自分も入っているのではと思いながら、ひとまず遠慮がちにノックしてみる。


 返答はない。

 物音もしない。


 去って行く背中を追い掛けて「最後に団長を見たのはいつですか?」と尋ねると、なんと今日は一度も顔を見ていないと言う。扉越しに声は確認できたので、と言うゴードリーに私の不安は増した。


 クリストフが言っていた「飢え死に」という物騒なワードが頭の中で舞う。さすがに一日程度でそれはないと思うけれど、部屋の中がどうなっているのかは気掛かりだ。


 私は意を決してもう三度ほどノックをし、返答がないと分かった上で「お邪魔します」とドアノブを回した。一応断りは入れたし、泥棒扱いはされないはず。



「団長様……?」


 パッと目に入った彼の特等席に、部屋の主人の姿はない。見渡す限り無人なので、首を傾げつつ奥へと足を進めた。


 と、視界の片隅で何かが動く。


「ひっ!」


 もぞもぞと微かに動いていたのは、閉まりっぱなしのカーテンの下に転がった黒い塊で、よく目を凝らせばそれはどうやら人間のようだった。


 信じがたい思いで近付く。

 布地の隙間から僅かに見えた金色の髪が、塊の正体がユーリであることを示していた。鬼の騎士団長が部屋の隅でコートを被っているとは何事か。


(もう、無駄に驚いて損したわ)


 安堵の息を漏らして身を屈めた瞬間、伸びて来た手が強い力で私の腕を握った。



「ゴードリー……入るなと言っただろ」

「え?」


 聞き返してすぐにユーリが勘違いをしているのだと察する。私は転がった身体の上に掛かったコートをズラして、自分がゴードリーではないことを教えてあげた。寝惚けているのか、団長は眉を顰めたままで目を開けない。


「団長様、私はジャンヌです。クリストフさんから寝込んでいると聞いて来ました。食事を届けに来たんです」


 野菜を煮込んだシチューですけど、と床に置いたままのバスケットを吹き寄せようとすると、乾いた笑い声が聞こえた。見遣れば、ユーリがわずかに目を開いて笑っている。


「食べものを届けに?もうヘルゼンは居ないのに」

「貴方に届けに来たのです」


 綺麗な顔から笑顔が消える。

 急に部屋の空気が静まり返って私は緊張した。


 図々しい行為だっただろうか。

 言い訳ならいくらでも思い付くし、流れ的には今からでも補足は可能だ。でも、こうも真剣な顔で見つめられては口を開くことすら出来ない。



「……本当に敵わないな」

「団長様?」


 握られた腕が痛いほどで、私は怖くなった。


「君を見ていたら、誰かを信じたくなる人間の気持ちが分かる」

「それはどういう意味ですか……?」

「俺も、人を信じてみたいと思うよ。できれば、その最初の一人は君であってほしい」


 あまりにも真面目に言うから、私は息を呑んで、咄嗟に口を開いた。何を伝えるべきかも考えないまま、焦りだけが先行して。


「私のことを買い被りすぎですよ。貴方が思っているほど良い人間じゃありません。心の中はもっとぐちゃぐちゃで、団長様の友人には相応しくないです」

「友人じゃない」


 低い声で、しかしはっきりとユーリは否定した。

 もう手首の痛みはよく分からない。


「君のことを知りたいんだ。ジャンヌ・クレモルンという人間を、一人の女性として」


 言葉の意味を考える前に、けたたましいノックの音が部屋に響いた。私は慌てて立ち上がり、手に持ったままのバスケットを机の上に置く。入り口まで突進すると、見知らぬ隊員を引き連れたゴードリーに頭を下げて宿舎を飛び出した。



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