69 信頼
南部に越して来て一週間が経とうとしている。田舎町故か都市部の噂や事件については耳に入って来ないが、時折訪れるクリストフやセドリックが情報を仕入れて届けてくれていた。
「なるほど……それではアマンダは働いていたときからリンクス医師と深い繋がりがあったんだな。中絶の手伝いから毒薬の入手まで。ジャンヌ、塩を取ってくれ」
「待ってください、お父様はいつも塩を入れすぎです。塩や砂糖は後で調整しながら、」
「分かったよ。交代だ、私はクリストフくんたちと話すことにする」
父ダフマンは不貞腐れたように口をへの字に曲げて、私にフライパンを手渡した。
仕事人間が突然やるべきタスクを失ったことで、父はどうやら完全に時間を持て余しているように見えた。気晴らしに料理でも、と提案したのは私からで、今ではわりと楽しそうに厨房に立ってくれている。
エプロンを付けたままでテーブルに着いた父の前には久方ぶりのクリストフ・ピボットとユーリが並んで着席していた。
「良いですねぇ……卵が焼ける匂いというのはどうしてこうも食欲を刺激するんでしょう。オムレツは大好物ですが、ちなみに私の分はありますか?」
「もちろんです。ぜひ召し上がってください」
「団長様もよければいかがですか?」
嬉々とした表情で父が尋ねる。
私は慌てて口を開いた。
「団長様は大丈夫かと思います!お口に合うか分かりませんし、無理にお勧めするものでは……」
「お言葉に甘えていただきます」
「えっ!?」
思わず振り返って確認すると、ユーリは澄ました顔で紅茶を飲んでいた。聞き間違いではないかという疑念が拭い切れない。
私は火を止めて厨房から頭を覗かせた。
「だ……団長様もお召し上がりに……?」
「いただけるならお願いしたい」
「私が作った料理ですよ……?」
「君が作ったものを食べたい」
ピシャンと雷が落ちたような衝撃。
驚いて口が塞がらない私の前で、クリストフは何故か面白そうにニヤニヤと笑っていた。おそらく隣のユーリには見えてないが、もし目に入った場合はその表情も変わるだろう。
彼自身の過去、つまり継母への誤解が解けたことで、もしかすると何か心境の変化があったのかもしれない。だとしたら、喜ばしいこと。
(少しは信じられるようになったのね、)
疑い続けることは辛い。
誰も信じずに、ただ一人で生きていくのは簡単なことではない。鬼の騎士団長がわずかでも人の心を持ってくれたのなら、私は嬉しいと思う。
その後は出来上がった料理を皆でいただき、相変わらず饒舌なクリストフによる品評が行われる中、ユーリは黙々とカトラリーを動かしていた。盛り付けた食材はすべて完食していたから、それなりの出来だったと信じたい。
どうでしたか、と聞きたいウズウズした気持ちを鎮めて、私は仕事に戻るという二人を送り出した。聞くところによると、南部へ来る都合があったので立ち寄ってくれたらしい。
「午後に世話係が来る手筈だから、対応を頼む」
「世話係ですか……?」
「あぁ。雇われのメイドを連れて来れなかったと男爵から聞いている。こっちで手配させてもらった」
「そんな、ご心配には及びません!この通り二人で生活出来ていますし、メイドを雇うような余裕は今のところ、」
「本人の希望でもあるんだ。聞いてやってくれ」
首を傾げる私に詳細は説明せず、ユーリとクリストフは家から出て行った。
◇◇◇
私がユーリの言葉の意味を理解したのは、二人が帰った二時間後のことだった。
荷物の詰まった小さなトランクケースをずるずると引きずって玄関口に現れたのは、ヘルゼン伯爵家から姿を消したメルトン・リュシーだったのだ。
「メルトンさん!どうして……!?」
驚く私の前でメルトンは人懐っこい笑顔を浮かべる。
「ヘルゼンから追い出されて暇をしていた私に、バレンタイン小公爵が声を掛けてくださったんです。南部に良い働き口があるって」
「騎士団長様が私たちのことを?」
「はい。王都では大問題になっています。奥様……ペチュニア様は商会で扱う商品の品質を偽装した罪で現在拘置所に囚われており、ヘルゼンのお屋敷はとても出入りできる雰囲気ではありません」
そこで心配そうな顔でこちらを見ると、メルトンは深々と頭を下げた。私は突然のことに「どうされたのですか?」と問う。
「いえ……ジャンヌ様が一番大変なときにおそばに居られなかったことを申し訳なく思います。挨拶もせずに屋敷を去って、」
「それは貴女のせいではありません!」
「ですけれど………」
顔を上げないメルトンの背中をポンポンと叩いて、私は口を開いた。
「一人ではありませんでした。今回、私はたくさんの人に手を借りてここまで来たんです。メルトンさんにも感謝しています」
その時ちょうど、部屋の奥から父ダフマンの「アップルパイが焼けた!」という大きな声が上がったので、私たちは顔を見合わせて家の中へと入った。




