64 開幕4
状況整理が必要だった。
部屋の中に飛び込んで来たのは両手を縛られたリンクス医師、そしてどうやら彼を連れて来たのはユーリのようだ。珍しく正装したユーリは見るからに機嫌が悪い。
「ば……バレンタイン公爵家ですって……?」
消え入るような細い声でそう言ったのはペチュニアだった。大口を開けたままで隣のイボンヌを見遣るが、その視線の先にメイド長は居なかった。
私は弾かれたように部屋の入り口へと目を向ける。ユーリとリンクス医師の背後を逃げるように走り去る白い影が見えた。いったい何故彼女が逃亡を図るのか。
「大丈夫ですよ、ヘルゼン伯爵夫人」
「えっ?」
「階下には僕の友人が控えていますので、この屋敷からは誰も出ることは出来ません」
「は………?」
ポカンとしたままのペチュニアとは反対に、イーサンは青い顔で目だけはギラギラと光らせている。握った拳に浮かんだ血管が、彼が並々ならぬストレスを受けていることを表していた。
「バレンタイン公爵家は後継者が居ない関係で爵位を返還すると聞いていました。貴方は亡霊ですか?」
「お前は俺が死人に見えるのか?」
「……養子であるならば、上手く公爵に取り入ったんですね。公爵が男色家なら、その綺麗な顔は随分と役に立ったでしょう」
蔑むようにイーサンは短く笑う。
ユーリは不思議そうにその様子を眺めた後、なるほどと呟いて口を開いた。
「言う必要がなかったから黙っていたが、俺の生まれは南部だ。バレンタイン公爵家の長男として生を受けたが母は俺を産んで死んだ」
「………なっ、」
「ある事件をきっかけに家から離れていたんだが、最近偶然誤解が解けた。君の妻のお陰だよ」
感謝してる、と言ってユーリは一瞬だけ私の方へと視線を投げた。
アマンダ、イーサン、ペチュニアはそれぞれ今後の出方を伺っているような顔で互いを見ている。父ダフマンはただ、棒立ちになってアマンダのことを見つめていた。
私たちが、十年を共に過ごした家族。
家族だと思っていた、悪魔を。
何も知らないヘルゼン伯爵がまだスピーチを続けているのか、一階からは時折笑い声が聞こえる。ユーリは私たちの様子を眺めて、首を振った。
「貴方たちの家のことに関心があるわけじゃない。この男が兄であるアルディン・リンクスと共謀して騎士団に害を与えていたから処分したかっただけだ」
もしも、とそこでユーリは目を細める。
「ヘルゼンや彼に関係する人間がリンクス兄弟の悪事に関わっているなら話は別だが、」
「違うわ、相談に乗ると言ったのは先生の方よ!」
「アマンダ!」
イーサンの制止を振り切ってアマンダはユーリの腕に掴み掛かる。倒されたままのマコーレイ・リンクスが恨めしげにその様子を下から見上げていた。
「お願い、聞いて!私たちの妊娠は事故だったの。まだ状況は万全に整っていなかったわ。あのまま生んでいたらイーサンとジャンヌは破談になったし、私は尻軽と世間から笑われてしまう!クレモルン男爵家だって不幸になっていたのよ!!」
「そうなるべきだった」
「え……?」
アマンダは目を見開いて聞き返す。
ユーリは堪えるように息を吐いた。
「すべて事実として公にするべきだった。破談になって世間から嘲笑されたとして、困るのはお前たちじゃないか?」
「違うわ、クレモルン男爵家にはヘルゼンの支えが……!」
「もうやめてくれ」
重々しい声がその場に響き、私たちは一斉に声の主の方へと身体を向けた。父ダフマンが下を向いたままで肩を震わせている。
私が声を掛ける前に、父は口を開いた。
「もう沢山だ。結構だよ、ありがとう」
「小父様……感謝します。ジャンヌには本当に申し訳ないと思っているんです。だけど、私は心からイーサン様を、」
涙を浮かべるアマンダを見据えて、ダフマンは静かに首を振った。その目は私がいつも見ていた穏やかで温かなものではない。
「出て行ってくれ、アマンダ」
「え……?」
「君の境遇に同情して迎え入れた。キャサリンの頼みだからと、家族として愛していた。ジャンヌと平等に目を掛けていたつもりだ」
「じゃあ、じゃあどうか……!」
「これは何だと思う?」
父ダフマンがポケットから取り出して見せたのは、小さな四角い箱だった。私が先日託けてあったものだ。結婚式の日にアマンダが、私に贈ってくれたプレゼント。
父はきっと理解したのだろう。
その箱の中身が持つ意味を。
「あ………どうして小父様がこれを?」
「ジャンヌが渡してくれた」
「………!」
ハッとしたように青い目が私を睨む。
「違うんです、私がずっと持ってるのも変だと思って!だけど今更誰かに渡すのも気が引けるから、」
「だからジャンヌに渡したのか?わざわざ結婚式の日に、落ち込んだときに開けろと伝えて」
「信じてください、小父様……!」
大きな音がして、私は床に倒れるアマンダを見た。父は今や恐ろしいほどの怒りを宿して、その姿を見下ろしている。
目に掛かった前髪を払って、アマンダは静かに顔を上げた。私を見て、その後に立ち尽くす父ダフマンを眺める。
「養子にしてくれって言ったんです。だけど小母様は断った。産んだ子供は一人だから、ジャンヌに悪いなんて言って」
私はすぐにそれが事故のあった日の会話だと分かった。あの日、母とアマンダの間で交わされた二人だけしか知らない会話。
「私が何かしたわけじゃありません。小母様は勝手に落ちて行ったんです。綺麗な花があるって教えてあげたら、自分で採りに行った」
急な斜面なのに、と付け足して笑う。
私は足元から力が抜けていく感覚を覚えた。
「伸ばされた手を取らなかったのは本当です。だけど、私の自由意志ですよね。だって、小母様は私の人生を救わなかったんだから。私だって小母様を助ける義理なんてないでしょう?」
つらつらと紡がれる言葉が呪いのようで、身体に力が入らない。母と過ごした時間が、走馬灯のように頭の中を流れて行った。




