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お望み通り、悪妻になりましょう  作者: おのまとぺ
第二章 ヘルゼン伯爵家の悪妻
44/82

43 カルテ



 なんとか屋敷の仕事を終わらせて私が病院に到着したのは十二時少し過ぎのことだった。


 朝から動き回っていたのでお腹はかなり空いていたけれど、それよりも診察が優先だ。今まではアマンダが病院で働いていた関係で、医師の診断がなくても薬を受け取ることが出来ていた。病院勤めの特権だと従姉妹は得意げに話していたっけ。


(とりあえず、胃薬だけでも……)


 昼夜問わずに襲ってくるこの激痛をなんとかしたい。いつもなら服薬すればすぐに治るのに、ここ数日は薬が切れているせいで痛みが長引く。


 私は受付で自分の名前を伝えて、待合室に並ぶベンチに座って待っていた。



「あの、ヘルゼンさん?」


 しかし、座って間もなくして再び名前を呼ばれる。怪訝そうな表情でこちらを見る若い女は、自分が手に持った紙の束と私の顔を交互に見て、口を開いた。


「カルテが存在しません。本当に受診されたことがありますか?」

「あ……旧姓のクレモルンで登録されているんだと思います。姓が変わったのは最近のことなので」

「承知いたしました」


 女は席を立って奥へと引っ込む。


 行き交う人の波をぼんやり眺めていると、パタパタと戻って来る靴の音が聞こえた。振り返った先で、依然として困り顔の女が目に入る。


「やはり、記録に残っていません。処方された薬を提供したのはうちの病院で間違いありませんか?」

「はい。ロゼリア国立第一病院です」

「どうしてかしら…… 変ねぇ」

「あの……従姉妹が以前事務として働いていたんです。その関係で病人本人が受診しなくても薬だけいただけるらしく、」

「ヘルゼンさん、そんな制度はありません」


 呆れたように言う受付の女を前にして、私は自分の耳を疑った。


「アマンダ・ベスで調べていただけませんか?もしかしたら彼女の名前で薬を処方してもらってたのかもしれません」

「他の方がお待ちなので、本日はお引き取りください。この件は医院長に相談させていただきます」

「ですが、薬が………!」


 薬が必要なのだ。

 早く飲まなければ、苦しみは続く。


 いつもならアマンダに頼んでいたけれど、今のこの状況で訪問する気にはならなかった。私を裏切って夫を奪った彼女に、頭を下げて何かを頼むなんて出来ない。



「ヘルゼン夫人……?」


 背後から突然聞こえた声に驚きつつ顔を向けると、困惑したような顔のユーリが立っていた。こんな場所で会うと思わなかったので、言葉が出ない。


「なんで君がここに?」

「こ、個人的な理由で………」

「お互い個人的な理由が多いな。ここは人目に付くから、移動した方が良いだろう」


 そう言って歩き出す男の背を黙って追う。確かに、これ以上あの場所で主張を続けても薬をもらえることはないだろう。残念ながら待合室は決して空いているということもなかったので、今から待ち始めたら夕食に間に合わない。


(別の病院に行った方が良いわね……)


 処方された薬の出所が第一病院だったのでここに来たわけだが、大きな病院ゆえにまともに初診で診てもらおうとするとかなり時間が掛かる。


 だったらまた後日、街の小さな病院に行く方がきっと良い。それにしても受診歴がないなんて。



「とりあえず乗ってくれ。頼んだことの進捗も確認したいから、少し時間がほしい」

「ええ。どのみち病院へ行く予定でしたから、余裕はあります。私もお話がありますから」


 そうか、と頷いてユーリは停車している車の一台に近付いた。そのまま運転席に座ろうとするから私は面食らう。


「え、団長様が運転されるのですか?」

「心配なら君はバスで来てくれても良い」

「いえ、そういう意味ではありませんが……」


 迷った結果、後部座席のドアを引く。

 イーサン含むヘルゼンの人間は伯爵家の運転手がいるため自らハンドルを握るということがない。私や父のダフマンはそもそもそんな余裕がないため、公共のタクシーやバスを利用する。


 騎士団長ともなれば、自分で車が持てるのだろうか。国王陛下を警護する上で許可が降りているのかもしれない、と内心考えつつシートに身を沈めた。


 静かに走り出す車の中で目を閉じる。

 服の上からお腹をさすれば、心なしか痛みがやわらぐ気がした。



「どこか悪いのか?」


 ミラー越しに私の様子を見たのか、ユーリが問う。言葉に迷った末にここ数日続いている不調について話した。


「だけど、大したことはありません。いつも薬を飲めば落ち着きますし、明日にでも他の病院を当たる予定ですから」

「いつからだ?」

「え?」

「その不調とやらはいつからなんだ」


 質問というよりも尋問だ。

 私の体調のことなのに、なぜこんなに威圧的に聞かれなければいけないのか。縮こまる心臓を宥めながら私は自分の記憶を辿った。


「分かりません…… ご存知の通り、結婚式の後は忙しくて、毎日目まぐるしく過ぎていったので……」

「これまではどうしていた?かかりつけの医師が第一病院に居たのか?」

「いえ。ちょっとそれが訳ありでして、」

「………訳あり?」


 そこで車は騎士団の宿舎に到着した。

 今日は客間ではないのか、ユーリは長い廊下をズンズンと進む。どこか遠くで笛の鳴る音と訓練中の隊員たちの掛け声が聞こえた。


 イーサンもきっとこの敷地内に居る。

 ヘザーやマリー、姿が見えないけどクリストフなんかも騎士団の一員として仕事に励んでいるのだと思う。


 一見すると穏やかな日常なのに、どうしてこうも虚しいのだろう。




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