第326話 嘉兵衛は、罰を与えられる(3)
永禄8年(1565年)5月上旬 尾張国古渡城 松下嘉兵衛
謹慎の場所は領地である古渡城で……ということになった。近江に居れば、何かと京の事が気になって、迂闊なことをしでかしかねないからというのがその理由らしい。
「まあ、いいじゃない。夏休みだと思えば……」
観音寺城の屋敷を出発する際、おとわなどはそのように言って俺を励ましてくれたが、やはり心が晴れることはない。 何かできることは本当にないのかと……時間があれば、つい考えてしまう。
「おや、また手が止まりましたな。浅井殿の受け入れ準備もあるわけで、殿にはさっさとその程度の仕事は片づけていただかないと非常に困るのですが……」
「す、すまん……」
しかし、そう……時間があれば、である。この目の前の鬼——弥八郎は、容赦なくそんな贅沢を許してはくれない。朝から晩まで、それこそ大名としてはもっとも重要なお務めともいえる子作りの時間でさえも削らされて、隙を見せたら仕事を突っ込んでくるのだ。この鬼め……。
「ところで、あずさ様と蒲生殿のお孫様との縁談はどうなされるおつもりですかな?先方は、婚礼はともかく婚約だけでも先に……と言ってきておりますが」
「そういえば、そんな話もあったな……」
「あったな、じゃないでしょう。殿には松下家の主として、お家を導く責務があるのですぞ。此度の事もそうですが、もう少し自覚を持っていただかなければ。いつまでも、駿府のお旗本気分でおられるのは……」
「わ、わかった!そうネチネチいうな!わかったから!!」
あはは、皆が嫌がるはずだな。特に今のように精神的にきついときはホント滅入るわ……。
「あ……伯父上」
「ん?仙千代か。どうした?」
「いえ……あ、あの、その……」
「言いたいことがあるのなら、遠慮なく言いなさい。怒ったりはしないから」
「はい。じ、実は……某もそろそろ元服をお願いしたいと……」
「元服?」
「と、齢も11になりましたし、近頃は清州の喜兵衛殿の元で兵法も学んでいます。で、ですので……元服して、伯父上のお役に立ちたいのです!」
ああ、ダメだ。心が弱っているときにこういう話を聞くのは。目から涙がこぼれてくる……。
「お、伯父上?」
「わかった。謹慎が明けたら、おそらくまた近江に戻ることになるから、その時は一緒に連れて行こう。それから折を見て太守様にお願いして……」
「と、殿!?も、もしかして、仙千代様の烏帽子親を太守様にお願いするおつもりで?」
「え……そうだけど、問題でもあるのか?」
「大いにあるでしょう!仙千代様が世継ぎであるならばともかく、いずれ虎松様の家臣となるのですから、それは流石に……特におとわ様がどう申されるか」
「大丈夫だ。おとわなら、すでに南蛮渡来の『かすてら』で買収済み。あと、言っておくけど……仙千代は虎松の家臣にするつもりはないぞ?」
「え……?」
「そうなのですか!」
これもおとわの了承を得ていることだが、仙千代にはいずれ独立してもらって別家を立ててもらうつもりでいる。今更ではあるが、源左衛門もその方が泉下で喜ぶと思うのだ。
「ですが、伯父上。それでは、伯父上のお力にはなれないのでは……?」
「何を言うか。そなたが別家を立ててくれたならば、今川家における味方が一人増えるし、何より俺に何かがあっても、うちの家族を託すことができるというものだ」
例えば、もし……俺が全てを捨てて、御所様をお守りするために馳せ参じようと思っても、少しは安心できるというものだ。
だけど、そんな心の動きをこの空気の読めない弥八郎は見逃してはくれない。
「殿……別家を立てて逃げ道を作ろうとなさるのは、感心しませんぞ」
そう言いながら、さらに仕事をどさっと用意して、俺にやれと言い出した。余裕があるから、そんな馬鹿げた考えが浮かぶのだと、邪念を払うために……と。
「いやいや、弥八郎……流石に今から京に向かったりしないから……」
「真ですかな?まだまだ未練がおありのように見受けられますが……」
「本当だ。なんなら、監視の兵をつけてもいいから……これもうちょっと減らしてくれない?」
しかし、鬼の弥八郎は決裁書類1枚も減らしてくれずに、俺は余計なことを考える暇もなく、仕事に没頭させられることになった。くそ……この鬼め。




