第325話 嘉兵衛は、罰を与えられる(2)
永禄8年(1565年)4月下旬 近江国観音寺城 松下嘉兵衛
結局、義元公に返答を迫られて、浅井宮内少輔殿は条件を受け入れた。ただし、家臣の説得に失敗したら、そのままいくさとなりかねないので、こちらとしてはいくさの準備も継続するという話は変わらず、我らも散会することになった。しかし……
「大蔵殿」
大広間から出て、しばらく歩いたところで小四郎殿から声をかけられた。何でも、義元公が「話がある」と仰せられているそうで、すぐに来てもらいたいとのことだった。
「もしかして、さっきの話ですか……」
「まあ、十中八九そうだろうな。儂も昨日、同じ理由で叱られたし……」
「……ということは、やはり小四郎殿も浅井家に?」
「ああ、その通りだ……」
頷かれた小四郎殿であったが、ただし、未遂で終わったようだ。斎藤家が治める佐和山城下で、半兵衛が手配した手の者に使者が取り押さえられたとかで。
「まあ、そういう意味では、よくぞ知らせてくれたと礼を申したいところだが……」
「わかっています。どのようなお叱りを受けたとしても、お気になされずに」
「すまぬな……」
ただ、こうして仲間がいたことに俺の心は少し軽くなった。
「松下大蔵少輔にございまする」
「入れ」
だから、どんなお叱りでも耐えられると思いながら部屋に入ったのだが……そこに見たことのある若い女性と幼い男の子の姿が上座にあり、初手から戸惑うことになった。
「まあ、そんなところに立っていないで、まずは座れ」
「はい……」
俺だけでなく、小四郎殿も少し困惑気味で席に座られたが、そんな中で義元公は仰せられた。男の子は輝若丸と言って、義輝公のご嫡男であると。
「え……?それはどういう……」
「過日、三好屋敷で頼まれたのだ。輝若丸殿を託すからよしなにと。余もその時は意味が分からなかったのだが、これを見よ」
義元公は脇に置かれていた文箱を俺に渡して、中に義輝公からの書状が入っているといった。内容を確認すると……この子は将軍にせずに義元公の子として育て、それでもし適うのであれば、長じたのちにいずこか一国を与えてほしいと、そう記されていたのだ。
「これって、つまり……御所様は……」
「そうだな。おそらく、すでに覚悟を決められているのだろう。いずれ、幕府の最期を象徴するかのように、命を落とされることになると……な」
「で、ですが、先に提案した幕府・政所の人事が承認されたら……」
「本当に承認されるのか?いや、例え承認されたとしてもだ。三好が止まると思うか?これを見よ」
義元公は、続いて孕石主水から届いたという書状を俺に渡してきた。そこには、摂津が死んだことによって、奴がこれまで企んできた悪事が次々と表に出ていると記されていた。
そして、十河孫六郎の死から続いた三好家の不幸に大なり小なり関係していた事も明らかになって、三好家では怒り心頭の日向守殿を筆頭に「いっそのこと、三好幕府を」という声も出始めているとあった。
「三好幕府とは……笑止な」
「だが、日向守は修理大夫(三好長慶)殿がご生前の頃よりそのような事を主張していたようだな。力のない幕府の顔色を見る必要が何処にあるのかと。そして、御所様もよく似た想いを抱かれていたようだ。世の中に果たして力のない幕府は必要なのかと……書状には記されてあろう?」
確かに義輝公からの書状には、そんな想いが綴られていた。更には、世の邪魔になるのであれば、ご自身の手で幕を引かれたいとも、もう何もかも疲れたとも……。
「で、ですが、太守様がお支えになれば、幕府は……」
「大蔵、そなたも本当はわかっておろう。仮にそうしたところで余が三好殿に代わるだけで、御所様の悩みを解決する事にはならないと。天に二日は必要なく、今川家が天下を治めるためには、どこかで御所様の屍を越えていかねばならぬ。それが今ということだ」
「太守様……」
その上で俺は、義元公より2か月の謹慎を言い渡された。藤吉郎の勝手な行動を咎めて……というのが表向きの理由だが、わかっている。この御沙汰は、義元なりの配慮である事は……。




