第319話 嘉兵衛は、政所人事の刷新を要求する
永禄8年(1565年)4月中旬 近江国観音寺城 松下嘉兵衛
摂津中務大輔が死んだという知らせが届いた。三好家から義元公の椀に毒が入っていたという報告も幕府に届いているようで、使者としてやってきた細川兵部殿はその摂津が独断でやったことだと言って幕引きを図ってきた。
「いやあ、摂津殿は何かと小煩かった某も殺そうとしていたようでしてな。あの時咄嗟に椀をすり替えたからこそ助かりましたが……」
「左様でしたか。いやあ、謎がひとつ解けてスッキリしましたな」
「ですので、お分かりであろう?全て摂津殿が仕組んだことで、御所様並びに幕府は一切あずかり知らぬという事は……?」
「そうですねぇ……」
しかし、あの事件の直後ならばこの言葉に騙されていたかもしれないが、すでに手元にあらゆる情報が集まっている現状では意味をなさない。お茶を啜りながら、こちらからも話を切り出してみた。
「そういえば、此度の摂津殿のはかりごとに……貴殿の兄上も関わっていたようですな?」
「な……何を言われるかと思えば、そのようなことは……ははは!」
少し前に二条御所で兵部殿とその兄、三淵弾左衛門殿の間で交わされた会話も、その内容までもが主水から届いた報告書に記されていたのだ。いつものとおり、二条御所に出入りする庭師から聞いたと、その兄の友達の従弟が通っている芸者からの情報だとして。
「それにしても、朝倉と浅井ですか。誠に我ら今川を侮られていますな……」
「お、お待ちを!それも含めて摂津が勝手にやった事にて。御所様は何もご存じではありませぬ!」
もちろん、主水の情報だから、真偽の確度は不明であったが……シレっと兄を見捨てたこの兵部殿の回答とその焦った表情を見れば、正解だったという事だろう。なので、俺は準備していた要求を兵部殿に突きつけた。
それは、反三好派の巣窟となっている幕府・政所の人事刷新だ。
「詳しい人選はこちらに記してあります。どうか、お認め戴きますよう……」
差し出した書状には、摂津中務が務めていた執事には松永右衛門佐殿、その補佐役たる執事代に今川家から謹慎を解かれた孕石主水の名が記されている。もちろん、「何故主水が?」と思わないでもないが、やつの人脈づくりから始まる情報収集能力は侮る事ができないというのが義元公のご判断だ。
つまり、今川家としては、幕府内部の正確な情報を掴む事に、今の時点では重きを置きたいという話なのだ。
「もし、断れば……?」
「今川家は副将軍の職を返上し、幕府と手を切ります。よって、仮に三好家が御所に攻め込んだとしても、お助けする事はありません。この近江で様子眺めをするだけにございます」
まあ、個人的には義輝公との友誼があるから、史実のように死んでほしいとは思っていないが、やはりそれは俺個人の話に留まる。勝手な事はできない。
だからこそ、提案を呑んでほしいと願うが、兵部は持ち帰って検討するという回答に留めた。
「流石にこのような重大事は、某の一存では決めるわけにも参りませぬゆえ……」
「わかっております。ですが、いたずらに返答を先送りなさるのはよろしくないかと?」
「それは……何かあるのですかな?」
「三好家の暴発です」
俺が知る史実だと、三好の軍勢が義輝公の御所を襲撃するのは確か来月か再来月だったはずだ。そのどちらだったかまでは覚えていなかったけど、ゲームでこのタイミングでイベントが起きていたはずだ。
それゆえに、三好家の留飲を早く下げておかなければ、史実通りの展開になって義輝公は命を落とすのではないかと心配しているのだ。もちろん、その事は言えないけど。
「つまり、大蔵殿はこの要求を呑まなければ、三好の軍勢が本当に御所を襲うことになりかねないと?」
「そうならなければよろしいのですが、此度の一件で三好家……特に日向守殿などは怒りを露わにされて厳しい対応を求めているとか。今のところは、我らの存在がありますから思い止まられておられるようですが、それもいつまで持つか……」
今回の要求を仮に幕府が蹴れば、今川家がどうこうというよりは三好家の側への一つのメッセージになりかねないと俺は思う。幕府はこれまで通り、三好家を敵視する姿勢を継続するという、危険なメッセージだ。
だからこそ、ここでお互いに踏み止まってもらいたいと願うばかりだ。




