第318話 細川兵部は、また危機を乗り越えて
永禄8年(1565年)4月上旬 京・二条御所 細川藤孝
少し前から姿を見せていなかった兄が俺を訪ねてきた。どうやら、摂津殿が毒を盛られたと聞いたから詳しい話を知りたいようだ。
だから、ありのままに教えてあげる事にした。摂津殿は未だ生死の境を彷徨っている事と……あの時口にした汁は、本来は俺のものであったことを。
「なに?それはどういうことだ」
「今川様のお椀に毒が入っているかもしれないと騒ぎになったので、その隙に入れ替えたのですよ。もしかしたら俺も殺されるのでは……と考えたわけで。何しろ、近頃何かと摂津殿のなさろうとする事に、裏から御所様を説得するなどして邪魔をしていましたもので……」
もっとも、本当に毒を盛られているとは、あの時点では1割程度しか思っていなかった。いくらなんでも、同じく御所様の御為に働く味方なのにそこまでするかと。いやあ、でも本当に危なかった……。
「なるほど……そなたの危機回避能力は昔から並外れていたかなぁ。今更驚くに値しないが……」
「しかし、わからないこともあるのです。三好家から届いた報告書では、今川様の椀に毒が入っていたようなのですが……その目的が今一つ」
今川様は上洛なされた後、副将軍の要職に就かれたものの、基本的にかつての六角家と同様に近江に居られて、幕府の政治に積極的に介入なされていないのだ。
それゆえに、京を支配している三好筑前守を亡き者にしようとするならまだしも、今川様を暗殺する必要が果たしてあるのか……。
「今川様を三好屋敷で殺すことによって、今川の怒りを三好に向けて、潰してもらうつもりだったのではないのか?」
「ですが、兄上。思惑通りに今川が三好を潰したとして、その今川が果たして勢力を維持できるかどうか」
「そうだな……跡取り息子は駿府に居るらしいが、余程の器量持ちでなければ、有力家臣たちの離反が起きて内乱になるだろうな。特に織田や斎藤、あとは北畠、浅井などの外様がどう出るか怪しいな」
他人事のように兄上は言うが、そうなった時、この京で御所様を一体どの国の大名が支えてくれるというのか。下手をすれば、今川が去った後に三好の残党が乗り込んできて、無秩序に暴れ回ることもあり得るのではないかと俺は思う。
ただ、その辺りの懸念を伝えると、兄上は「心配するな」と言った。すでに手は打ってあると付け足して。
「手は打ってある?それって……今まで姿を見せなかった理由と関係しているのですか!?」
「しっ!あまり大きな声を出すな。これは内密の命令だ」
命令の主は御所様ではなくて、おそらく摂津ら政所の連中だろうが、俺は兄上のヒソヒソ話に耳を傾けた。すると、今川に代わる大名として、朝倉の名を挙げた。
「で、ですが……朝倉家が上洛するには、今川と盟約を結んでいる浅井の領地を通る必要がありますが……」
「もちろん、浅井にも話は付けた。今川が健在であればともかく、義元公が亡くなったなら、我らに協力するそうだ。見返りとしては、南近江の今川領と近江守護職……これを求めるそうだ」
もっとも、前提条件となる義元公のお命は守られたわけだから、全ては白紙撤回だ。兄上も「折角、越前まで足を運んだのにな……」と残念そうに苦笑いを浮かべたが、そんな夢幻と消えた話よりも大事な確認事が我らには存在する。
それは、これからの幕府のかじ取りについてだ。
「そうだな……摂津殿が万が一、亡くなった場合の政所執事職についても考えなければいけないな。果たして誰が良いか……」
「何を呑気な事を……。すでに今川様の椀に毒が入っていた事はわかっており、三好家だって自家の不始末ではないと確認を終えているはず。ならば、摂津殿らの仕業であるという結論に今川家も三好家も辿り着くでしょう。そうなれば……」
「ど、どうなるというのだ?」
「今回の不始末に対する責任を幕府……いや、場合によっては御所様に直接求めてくるかもしれませぬな」
そして、関わった者たちを処罰しなければ、幕府は今川家と三好家を同時に敵に回すことになるはずだ。場合によると……御所様ごと、この際潰すという結末になるかもしれない。




