【幕間話-21】長慶の弟は、三好家の行く末を憂う
永禄7年(1564年)1月上旬京・三好屋敷 安宅冬康
昨年の秋、痛ましい事件があった。兄上が「三好の将来は安泰だ」と常日頃から口にされていた世継ぎの義興が側女に殺されたのだ。
「あれは絶対に弾正の陰謀にて……」
「孫六郎様、実休様に続いて若殿様のお命まで奪うとは……」
「御屋形様も近頃様子がおかしいし、もしやまたしても弾正が……」
ただ、こうして屋敷を普通に歩いているだけで聞こえてくるひそひそ声にはうんざりする。あやつの兄上に対する忠誠心は本物だし、それにこれまで数々の献身で三好家を支えてきたことも俺はよく知っているのだ。
そんな弾正が三好家を滅ぼそうと画策している?お家の乗っ取りを企てている?あり得ない。誰に頼まれたのかは知らないが、「三好家の家臣ならば、口を慎め!」……と気が付けば、その者らに怒鳴り散らしていた。
「摂津守様……その辺りで」
「弾正……」
だけど、声が大きかったのか、それとも偶々通りがかったのかはわからぬが、俺の言動は弾正の目に留まり、諌められた。そして、何処か諦めたかのように力なく囁くような声で言った。「もういいのです」と。意味が分からない。
「しかし、こんな妙な噂を広められて、悔しくはないのか?それにそもそも、これは幕府の、幕臣どもの……」
「おやめください。証拠はございません。ですので、それ以上の事を口にされるのは……」
いや、そうかもしれないけど……ふぅ、まあ、そうだな。証拠がないから、摂津の野郎の仕業だとここで口にするのは確かにまずいな。頭に血が上って、立場をうっかり忘れていたわ。
「だが、弾正。一部の愚か者どもは、おまえの切腹を求めているとも聞いたぞ。だから、こうして俺も慌てて淡路から駆け付けたのだが……」
「ありがとうございます。ですが、その件についてはご心配には及びません。某の隠居で……先程、話は丸く収まりましたので」
「隠居!?待て、待て待て。なんでそうなる?全然話が丸く収まっていないじゃないか!」
「いいえ、松永家は残ります。某が退くことで、倅が代わって三好家のおん為に働くことができます。それで十分ではありませぬか?」
弾正の件、彦六もそれなりに有能な若者ではあるが、弾正に比べると……と思わずにはいられない。ただ、それは兄上もご存じのはずで、隠居が認められたと聞き、どうしてだという気持ちで満たされた。
だから、弾正に訊ねる。兄上は本当にご健在なのかと。
「何を申されますか。御屋形様がご健在などと……」
「しかし、孫六郎の所の倅を跡継ぎにするとも聞いたぞ。血筋の順で考えたら……ここは、実休兄上の子である彦二郎ではないのか?」
「それは……お、おそらくですが、何か理由があるものと存じます。某が口をはさむことではないかと……」
「だが、お前はどう思っている?本当にそれが正しいと……兄上への遠慮を抜きにして、本当にそう思っているのか?」
弾正ほどの男がわからぬはずがない。大名家が力を落とすきっかけとして、古来より最も多いのが家督をめぐるお家騒動だ。
しかも、孫六郎も俺と同じように他家に養子入りしていて、その子・重存も十河家の当主だ。 三好家の子である彦二郎を押しのけるのは無理筋であり、それでも強引に進めたならば、家は真っ二つに割れかねない。
「……畏れながら、繰り返すようで申し訳ありませぬが、某が口を挟む事ではありません。それに隠居を命じられており……」
そうだな。兄上に忠実な弾正の事だ。止めるのであれば、とっくの昔に諌めているはずで、それでもこういう結論になった以上、未練がましく異を唱えたりしないか。
つまり、これ以上の問答は無意味だ。
「時間を取らせて済まなかった。あとは俺に任せてくれ」
「承知いたしました。しかし、無理はなさらず。御屋形様はこれまでとは……失礼。今のはお聞き流し下され」
「わかった。聞かなかった事にしよう」
「ありがとうございます。では、某はこれにて……」
去りゆく弾正を見送り、俺は再び前へと進む。この先には兄上がおわすが、必ず止めてみせると……そう決意を固めて一歩ずつ歩いていく。
全ては三好家の世がこれからも続くために……。




