第299話 おときは、思い詰めた末に……
永禄6年(1563年)11月中旬 京・三好屋敷 おとき
松永様のお屋敷からこの三好家のお屋敷に移って今日で5日目。寝間着に着替えてまた若殿様のお成りを待つ。
「はぁ……」
だけど、心はどんより雲で覆われて、今にも雨が降りそうだ。愛していた御所様に捨てられて、娘とも引き離されて……一体、何でこうなったのか、わたしが何をしたのだと布団の膨らみを触りながら自問する。
「おとき、待たせたな」
そして、その時がやってきてもう一度自分に問う。引き返せない道に進むことになるけど……本当に良いのかと。
「ん?どうした。俺の顔に何かついているのか?」
「いえ、そんな事は……」
「そうか」
でも、若殿様に抱かれても、結局決意は変わらなかった。いや……むしろ一層決意は固まった。やはり、これ以上……好きでもないこの人に、身体を許したくはなかった。
「さて、そろそろ寝るか。明日も忙しいしな」
「はい……」
だから、行為が終わってイビキをかいて眠り始めたその胸に……布団の下に隠していた懐剣を突き立てた。
「ごふっ!」
即死だった。一言も……恨み言も未練も口にしないまま、若殿様は逝かれた。そして、わたしも後に続こうと懐剣を喉元へ向ける。しかし、いざとなると怖いもので……そのまま朝を迎えたわたしは、三好家の侍たちに取り押さえられた。
「何ということをしてくれたのだ!納得して若殿の下へ上がったのではなかったのか!」
粗末な牢屋に入れられてしばらくして、わたしの前に姿を現した松永様は、いつもよりも増し増しの悪い人相で叱りつけてきたが、もう失う物は何も無いわたしは、その面に唾を吐きつけてやった。全部、お前のせいだと言って。
「わたしは道具じゃない!おまえらと同じで心があるのよ!このヒトデナシがぁ!!」
わたしは本音をぶち撒いた。御所様から若殿様の所へ行ってくれと言われて悲しかったこと。でも、拒めば、親子二人捨てられて、路頭に迷うと思ったから、泣く泣く承諾するしか無かったと。
ただ、それを聞いた松永様は「辛い思いをさせて済まなかったな」……と謝られた。
「今更何を……」
「そうだな、今更だ。おまえはこの後、酷い拷問を受けて死ぬことになるだろう。そして、儂にできる事といえば……これを渡す事だ」
周囲を確認してから、松永様がわたしの手に握らせたのは、小さく折り畳まれた紙包だった。
「もしや……」
「そうだ。これはトリカブトだ」
「ひっ!」
これを飲めば死ぬ。そう思うと怖くなって突き返したくなったが、「飲むか飲まぬかは好きにせよ」と言われて、わたしの手の中に紙包を残したまま、松永様の手は離れた。
そして、そこに三好の兵がやってきて、松永様に告げた。「もうすぐ、日向守様が参りますので、そろそろ」……と。
「最後に2つ伝えておく。御所様はお嘆きになられていたぞ。あと、『すまなかった』とも申されていた……」
「そうですか……」
しかし、何も感情が湧かない。あれだけ好きだったのにどうしてだろうと、自分でも不思議だったけど……松永様に伝える事はあるかと訊ねられたけど、何も無かった。
「あと……お藤の事だが……」
松永様は続けて言った。預け先の松下家でご嫡男の正室に迎える事になったと。
「あ、あの……」
「なんだ?」
「大丈夫なんでしょうか。その……母親が謀反の大罪を犯したのに……」
「まあ、その辺りは儂も尽力する。少なくとも、お藤だけは幸せになるように取り計らうから安心してくれ」
そうは言われるけど、本当に大丈夫なのかと心配になる。でも、それも今更だと気づいた。
「最後に……お藤に言い遺すことはあるか?」
「ないわ。幸せを願っているけど……あの娘が幸せになるためには、わたしの事なんて早く忘れた方がいいわ」
「そうか」
「ただ、松下様にはご伝言を。お藤の事を……お頼み申しますと」
「わかった。伝えておこう」
こうして面会が終わり、松永様が去って行かれた。わたしは手の中に残された紙包を広げて……暫し考えた末にそれを飲み事にした。
「おい!これはどういう事だ!?」
薄れゆく意識の中で、慌てる男の声が聞こえたけど、もうどうでもいい。今は……せめて、お藤の幸せ……を……。




