第297話 嘉兵衛は、上洛して政変に巻き込まれる(1)
永禄6年(1563年)11月上旬 京・相国寺 松下嘉兵衛
我ら今川軍は、義元公と共に本日入洛した。予て幕府から通達された通りに相国寺に入って、今は旅装を解いている。なお、二条御所への訪問は1日置いて明後日に予定されているため、今晩は自由に過ごしてよいとお達しが出た。
「それにしても、兄貴の軍旗ですが……ぷぷ、だ、大人気でしたね」
「うるさい、次郎三郎!俺は反対だったのだ。それなのに……」
もっとも、自由に過ごしてよいと言われても、戦乱によって町の規模が小さくなった京の町で遊びに行く場所なども少なく、それにおとわの監視もあっては例え穴場の店があっても外出など不可能だ。
だから、次郎三郎と北畠の坊ちゃん、あとは藤吉郎や慶次郎らとこうして酒を酌み交わしているのだが、話題になったのは俺の軍旗に記された八文字についてだった。
「しかし、万邦協和は良い文言だと思いますよ。問題は後ろの四文字であって……」
ちなみに、北畠の坊ちゃんが慰めてくれた俺の軍旗だけど、『万邦協和、家内安全』というやつに決まってしまった。いや、家内安全ってなに?……って、俺だって抗議したけど、おとわに押し切られてしまったのだ。
『家庭を大事にしない人に、太平の世を築く事なんて無理に決まっているじゃない』
……まあ、そんな事を言われたら、随風殿にカッコつけた手前引っ込みがつかず、藤吉郎らも反対しなかった事もあってそのまま採用されたのだ。おかげで、京に入ってからこの相国寺に到着するまでの行軍中に、沿道の子供たちからも大いに笑われた。
『あはは!かかさま。なんであの人の旗って、家内安全なの?へんなの!』
『しー!たぶん、あれは何かの罰だから見てはなりません』
『へぇー罰なんだ。偉いお武家様も罰を受けるんだね。でも、何をやったんだろう……?』
うん……聞こえていたけど、俺だって何をやったんだろうと思ったよ。
しかし、京の子供たちって教養あるんだな。文字が読めるだけでも大したものなのに、四字熟語の意味を理解できるなんて驚きだ。見つけ出して、家臣に採用してもいいのかもしれない。
「殿……現実逃避されたいお気持ちはわかりますが、要はこの旗に見合うご活躍をすればよいのではありませぬか?」
「左様、慶次郎殿の言われる通りかと。さすれば、笑った子供たちもいつの日か手のひらをくるりと返して、殿を讃えるでしょう」
うむ……そうだよな。どのみち、撤回しようものならおとわに「疚しい事があるのね?」と疑われるし、そうなる未来を信じて旗を掲げるしかない。
そして、そんな事を思いながらヤケ酒を煽っていると……遠くから足音が聞えて、気が付けば目の前に松永様が座っておられた。
「あれ……どうかされたのですか?」
「ああ、ちょっと相談があって来たのだが……」
そこで松永様は言われた。俺と二人で話したいから、場所を変えないかと。
「それは構いませんけど……」
「では、参るぞ」
そういって連れ出された先で、俺は一組の母娘と対面する事になった。どこかで見覚えがあるなと思っていると、松永様は言われた。母親の方は義輝公の愛人で、娘は二人の間に生まれた子だと。ちなみに娘の名は藤といって、齢は5歳ということらしい。
「あ……思い出した。それって、あの時のバニーガールじゃ……」
「そうよ。それであの後、御所様の子を身籠ったことが分かってな。いつか脅迫するネタに使おうと、儂が預かって世話をしていたのだが……」
松永様はその上で言い辛そうにされて言葉と続けられた。母親の方は三好の若殿が密かに好いていた女で、義輝公に代わって世話をしている事が知られて、それでこれまで何かと目の敵にされた事がわかったのだと。
「なんですか……その三好の若殿は、阿呆なのですか?」
「儂に対する異常なまでの敵対心以外は、真面どころか優秀な方だと思うが……」
「それでも残念過ぎやしませんか?誤解だとしても女を取られたからと、それだけで目の敵にされるなんて……三好家の未来は本当に大丈夫なのですか?」
それを訊ねると松永様は大きなため息を吐かれた。ただ、どんな結末になるにしても、修理大夫様から受けた御恩があるので、尽くすしかないとお答えにもなられる。
そして、そうまで覚悟を決められているのであれば、俺の方からは何も言う事はない。
「それで……この母娘を某に引き合わせた理由は?」
「御所様が母親——おときを若殿様に下げ渡されることで話がついた。ただ、この娘は別だ。不憫であるが……御所様は尼寺へ入れよと仰せになられてな……」
「尼寺……ですか」
母親から引き離すだけでも可哀想だというのに、それは酷いと俺は思った。よくもまあ、そんなヒトデナシな事ができるものだと。
しかし、そんなわずかな心の動きを察知しない松永様ではない。
「そこで、これは提案なのだが……」
そう前置きされて、俺に言われた。娘の方を引き取ってもらえないかと。




