第246話 嘉兵衛は、岡崎に立ち寄る(前編)
永禄4年(1561年)11月中旬 三河国岡崎城 松下嘉兵衛
尾張に帰る前に立ち寄れとの命令なので、俺は岡崎城に今居る。そして、信長や小笠原殿と共に義元公のお成りを待っていると、次郎三郎と見知らぬ男も部屋に入ってきた。
「兄貴!」
「久しぶりだな。何でも関東では大活躍だったとか?」
「いや、川中島における兄貴の活躍に比べたら大したものでは。それにしても聞きましたぞ。何でもあの上杉政虎と一騎打ちなさったとか。凄いっすねぇ!俺なら怖くてう〇こ漏らしていましたよ!」
「あ、はは……」
たぶん冗談のつもりで言っているのだろうが、実際に三方ヶ原で信玄公が怖くて漏らした男だ。本当に漏らしそうで、笑える話ではない……。
「あ、それより……そちらの方は?」
話題を変える事もあって、俺がそのように次郎三郎に訊ねると、男が前に出て自ら名乗り出た。上杉蔵人でございますと。
「上杉蔵人殿と言えば……確か、扇谷上杉家の……」
「ええ、その上杉家の当主です。上杉政虎の命で武蔵・松山城を守っていたのですが、我らに降伏して……今は太守様の御伽衆に」
御伽衆と言えば、義元公の相談役を務める側近集団であり、俺が連れ帰った小笠原殿もそのお役目を拝命する事になっている。ゆえに、俺の方も小笠原殿を次郎三郎と蔵人殿に紹介した。「こちらは元・信濃守護の小笠原信濃守殿です」と。
ただし、いずれも元々は政虎公の元に居た人たちだ。どうやら、顔見知りだったようで紹介の必要はなかったのかもしれない。
「しかし、そういえば……次郎三郎も呼ばれたのか?」
「ええ、何でも今後の話を相談したいからと……」
「そうか」
関東が落ち着いた今、今川家の次の目標はもちろん美濃だ。その一つの策として、信長の妹・市姫を義元公の養女とし、北近江の浅井長政に嫁がせるという話は聞いているが……次郎三郎までここにいるとなれば、もしかしたら話はそれだけに留まらないかもしれない。
そして、そんな事を思っている最中に義元公はお成りになられた。
「皆の者、大儀である」
「「「「「ははっ!」」」」」
「大蔵に尾張守。信濃での働きは聞いているぞ。まあ……面倒臭いお土産まで連れて帰ったのは余計だったがな……」
指摘を受けた「面倒臭いお土産」というのは、間違いなく佐保姫の事だ。義元公は苦笑いを浮かべながら、勘助殿がやって来て、おとわを宥める書状を書かされた事を教えてくれた。
「そ、それで……その首尾については?」
「知らん。あれから何日も経つのに勘助も戻ってこないし、あるいは……もはや、この世のものでは無くなっておるかもしれぬな……」
「え……」
ヤバい……これはヤバい。勘助殿は武田の重臣という事はおとわだって知っているはずで、それが仕留められたとなれば、問答無用に滅茶苦茶キレている事を意味している。
それゆえに、俺は義元公に暫くの間ここに滞在する許可を得ようと思って、その事を申し上げようとしたのだが……
「ああ、そうそう。大蔵はこの話が終わったら、すぐに古渡城に戻るように」
「え……」
「余も荒れた虎の暴走に巻き込まれて、鉛玉の餌食となりたくはない。わかるよな?」
悲しい事にどうやら俺は見捨てられたようだ。こんなに今川家のために尽くしているというのに、何という惨い仕打ち何だろうか!
「そんなに悲しそうな顔をするが……随分と信濃では羽目を外したのであろう?」
「そ、それは……」
「しかも、上杉政虎とも何やら怪しい程に親密な関係になったとか?」
「な、なぜ、それを……」
「勘助が持ってきた武田殿からの文に書いてあった。しかし、女だけでなく男ともヤるとはなぁ……」
「「「「「はいっ!?」」」」」
俺だけでなく信長も次郎三郎、それに蔵人殿や小笠原殿も驚きの声を上げたが、それぞれの驚きの意味は異なる。政虎公の正体が女だと知る俺と知らない信長、次郎三郎とでは。
あと、蔵人殿と小笠原殿はどちらの意味で驚いたのかはわからない。政虎公が女であることを知っていたとしてもおかしくないし……。
「ああ、そうそう。この事は他言無用だぞ。特に次郎三郎……おまえ、これまでにも色々と漏らしたのだから、次にやれば……わかっているよな?」
「は、はい!それはもう!」
他言無用ならば、ここでも言わないでくれよと思ったけれども、これはどうやらうちの夫婦喧嘩に巻き込まれた義元公なりのお仕置きという事らしい。
「とにかく、自分が蒔いた種は自分で刈り取らねばならぬ。大蔵……武運を祈っておるぞ」
ああ、やっぱり帰りたくない!




