第224話 蔵人は、四面楚歌にて降伏する
永禄4年(1561年)8月下旬 武蔵国松山城 上杉憲勝
管領様から与えられた任務は、この武蔵の国人たちを束ねて甲斐に攻め込むことだった。川中島に2万の軍勢を出している今こそ、手薄だからというわけで。
しかし、こうして北条・今川の連合軍に包囲されている現状では、全くもって無理な話だ。
「殿、あれを……」
「成田殿か……」
しかも、包囲している敵の軍勢には、武蔵の有力者である成田下総守殿の旗があり、加えて、この武蔵で名のある国人領主たちの旗もその近くに見えた。ざっと見渡しても、半数以上の国人たちがすでに寝返っているようだ。
「管領様からの使者は?」
「未だ誰も戻っておりませぬ」
「そうか……」
囲いを突破できなかったか、それとも管領様が我らを切り捨てられたのか。それはわからない。あちらとて余剰戦力があるわけではないし、助けたいと思われても土台無理な話であることも考えられる。
「殿……今川軍より、石川伯耆守なる者が使者として罷り越しておりますが……」
だけど、今となってはもうどちらでもよい。
「通せ」
「よろしいのですか?」
「構わぬ。こうなってしまっては、もはやどうにもならぬだろう。おそらく、降伏を求める使者だろうが……まずは、話を聞こうではないか」
「殿……」
ああ、そうだ。降伏すれば、間違いなく管領様に預けている家族は殺されるな。だが、これも武門の習いだ。未練を残してはならない。今は……少しでも多くの兵の命を残すことこそ、最優先に考えるべきだ。扇谷上杉家の当主として、その誇りにかけても。
「松平家家臣、石川伯耆守にございます」
「上杉蔵人にござる。それで、お話とは……やはり、降伏勧告で?」
「左様。すでに武蔵の国人たちは、成田殿の働きかけにより、大多数が我らの方にお味方してくれると……このとおり、誓紙を差し出しております」
そう石川殿は前置きされて、俺の目の前に十通をはるかに超える書状を差し出してきた。一つ一つ確認させてもらうと、確かにそのいずれもこの武蔵に拠点を置く国人領主たちの物で間違いなかった。
「おのれ……どいつもこいつも、恩知らずが!」
「平四郎……やめよ」
「しかし、殿!この連中はつい先日まで管領様にしっぽを振っていたではありませぬか!それなのに……」
そうだな。確かにこの連中はつい先日まで管領様にしっぽをぶんぶん振っていた。鎌倉で執り行われた管領就任式では、競って贈り物を捧げていたこともよく覚えている。
だけど、それは言っても仕方がない話だ。皆、誰もが生き残るために全力を尽くさなければならない時代で、それは俺とて例外ではない。
「それで、石川殿。降伏の条件は?」
「城の明け渡しのみで」
「おや?某は腹を切らなくても良いと」
「北条殿より、その儀に及ばずとのお言葉を賜っています。何でしたら、扇谷上杉氏の当主に相応しい屋敷も小田原に用意するとも……」
「つまり、幽閉ですか……」
「言葉を飾らずに申し上げれば、仰せの通りにございますな。ただし、もし幽閉の道がお嫌であれば、別の道も用意しておりますが……」
「別の道?」
一体、そんな道が本当にあるのか。選ぶかどうかは別にして、まずは石川殿のお言葉に耳を傾ける事にしたが……出てきた言葉に俺は首を傾げる事になった。
それは、今川家に仕えて、石川殿の主である松平殿と盟約を交わして貰いたいという。
「ああ、今川家に仕えるという話は、北条殿の了解を得ておりますから、心配はいりませんぞ」
「そうですか。しかし……松平殿と盟約を結ぶとはどういうことで?そこのところを教えて貰えたら……」
そして、石川殿は松平殿の立場が盤石ではないことを打ち明けてくれた。特に桶狭間のいくさで義元公のご不興を勝ってしまったから、今は伝手が欲しいとも。
「上杉殿は足利将軍家にも近い家柄。今川家に参られたならば、必ずや太守様のお側近くに侍る事になるでしょう。如何でござろうか。協力願えないでしょうか」
まあ、幽閉されるよりはマシであろう。義元公への橋渡しもやってくれると言うし……俺は、その条件を受け入れて、降伏する事にしたのだった。




