第223話 宇佐美は、妻女山で啄木鳥戦法を計画する
永禄4年(1561年)8月中旬 信濃国妻女山 宇佐美定満
我ら上杉軍1万8千は、全軍で武田方の海津城を横切り、夕刻までには妻女山に布陣した。
なお、退路を確保するために、善光寺に兵を残してはという提案もあったが、退けられた。改めて言うが、ここには上杉軍の全軍が集結している。
そして、しばらくすると、海津城に近づいた上泉殿が本陣に戻って来られた。
「ご苦労をおかけしましたな」
「真に。大変でしたよ」
一騎打ちの様子は、後続の将たちからも聞いているが、相手はそれなりに手ごわかったようで、中々に苦労したようだ。しかも、最後は城から救援の兵が駆けつけて、勝負には勝ったが、仕留める事はできなかったとも聞いている。
ただし、一騎打ちはあくまで余興。上泉殿が海津城に近づいた理由は、上野の援軍が加わっているように武田方に印象づけることだ。
「まあ、あの一騎打ちで武田は誤解するでしょうな。生憎獲物は仕留め損ないましたが……まずは上々かと」
そうだ。上泉殿が言われる通り、武田は我らの兵力分析をしくじるだろう。上泉殿が仕える長野家やその他、上野・武蔵の軍勢が加わっている、もしくは援軍が来るとあれこれ考えるきっかけとなるはずだ。
すると、武田勢2万はこの川中島に足止めを喰らうことになるわけで、我ら上杉の狙いは……そこにある。
「あとは……松山城の上杉蔵人(憲勝)殿が武蔵から甲斐に攻め込めば……」
ふふふ、2万の兵は武田にとってはほぼ全力に近いはずだ。つまり、今は甲斐方面が手薄であり、そこを攻められた信玄は慌てると思われる。
「名付けて『啄木鳥戦法』と言われましたか?」
「左様。慌てふためいて、甲斐に戻ろうと城を出た所をパクっと我らが食らいつく。上手くいけば、信玄の首も取れるかもしれませぬな」
蔵人殿には武蔵の諸将を糾合して、9月中に甲斐へ攻め込めと命じている。別に甲府が落ちなくても構わないのだ。とにかく、攻め込んだという知らせがこの川中島に届けば……我らの勝ちなのだから。
「それにしても、ここからしばらくは持久戦ですか」
「そうですな。まあ……貴殿の役目は終わったし、もし希望するなら、上野に帰っても構いませぬぞ?」
長野家では、信濃守(業政)殿が亡くなられて代替わりがあった直後だし、上泉殿も重臣の一人として忙しいだろう。
だけど、そう思っていた儂を前に上泉殿は首を左右に振った。
「よろしいので?」
「ええ、武田を叩きのめす事こそ、長野家を守る最良の道を心得ております。微力ではございますが、このまま陣に留まらせて頂けたらと……」
これは心強い申し出だ。上泉殿が一騎当千の強者なのは、今日の一騎打ちでも明らかだ。必ずや我ら上杉の力になってくれると儂は歓迎した。
「おお!これは伊勢守殿。一騎打ちは見事であったな」
そして、こうして話がまとまったところに姿を見せられたのは、管領様――上杉政虎公だ。
「これは管領様」
「よい。そなたは我の秘密を知る者。堅苦しい挨拶はその辺りにして……どうだ?これより一戦、手合わせを……」
管領様が女で、かつ出産してまだ日が浅い事を知っている上泉殿が返答に困って儂を見た。受けても大丈夫なのかというように。
だから、儂はため息をあえて零して、管領様をお諌めする。産後の肥立ちを甘く考えてはなりませぬと。
「だが、我はこの通り元気一杯だぞ。少しくらいなら良いのではないのか?」
「ダメです。管領様のお身体にもしものことがあれば、上杉家はおしまいだと言うお話は、以前にも申し上げたはずですよね?」
よもや、忘れていませんよねと少し怒気を含ませて訊ねると、「も、もちろんだ」とお答えになられた。
「だが、あの頃とは違って、む、娘を産んだぞ!だから、我に何かあってもおしまいにはなるまい。皆であの子を盛り立てれば、何の心配も……いたっ!」
あ……腹立ちの余り、つい拳骨を管領様の頭に落としてしまったな。
「な、なにをするか……」
「主である貴女様に暴力を振るってしまった事はお詫び致します。お気に入らなければ、どうかこの首をお斬り下され。ですが……」
関東管領ともあろうお方が、幼子が口にするような屁理屈を並べて、わがままを言わないでくれと儂はお諌めした。そのうえで、今はおとなしく身体を休めるようにと。
「それに、幼子に関東管領の職は重すぎるかと。例え遺言をお残しになられたとしても、真っ先に弑されて、その地位を奪い合う争いが起こるものと……」
「……わかった。そなたの言葉に従おう」
その争いの筆頭が、管領様が頼りにされている義兄殿とは口に出さない。とにかく今は、おとなしく身体を休めていただけたら……それで良いのだ。




