第220話 勘助は、嘉兵衛に知恵を求める
永禄4年(1561年)7月上旬 信濃国海津城 山本勘助
上野にいる内通者から先程知らせが届いた。上杉政虎は6月の末に厩橋城に入り、関東の諸将を引見した後に越後へ引き上げたそうだ。
「関東の軍勢を引き連れて、そのままこちらへ来ると思っていたが……」
お屋形様はその知らせに接してそのように仰せられたが、関東の諸将にとって信濃に兵を出す理由はないのだ。別におかしな話ではない。
「しかし、越後に戻ったとなれば、こちらにやってくるとしてもまだしばらくはかかりそうですな。はぁ……」
「ため息を吐くな、穴山。お屋形様の御前だぞ」
「これは馬場殿、すみませぬ。しかし……そんなことなら、兵を一度甲斐に返しておけばよかったと思いましてな。皆さまもそう思われませぬか?」
穴山殿は若いけれども、武田家に連なる御一門だ。だが、その一方で、代々宗家に対して必ずしも従順というわけではなく、またその勢力も大きいことから、お屋形様であっても何かと気を使われる相手でもある。
そのため、この発言に賛同する者たちもそれなりにいた。中にはこの秋の減収を心配して、補填してもらえないのかと言い出す者も。飯富殿が「恥を知れ」と怒鳴られているが、たまりにたまった不安と不満の勢いには通じない。
「我らがこうして信濃に兵を出したから小田原は救われたのだ。年貢が減ったら、北条に請求すればよいのでは?」
「小山田殿。領地を焼け野原にされた北条にそのような力があると思っているのか?」
「ならば、今川に……」
「今川が我らに支援する理由はどこに?」
「それに、今川が支援するとしても我らよりも北条に対してでしょうな。あちらの方が我らよりも困っていますし、当主・氏真公の嫁は北条の娘ですから」
「それを申すのならば、若殿の奥方は義元公のご息女だぞ!」
「何を申されるのやら。お屋形様が若殿と揉めている事など、義元公はとっくにご存じのはず。娘夫婦を蔑ろにされているのに、なぜ北条よりも優先されると思われるのか?」
喧々諤々。お屋形様はただ聞くだけで何も語られないし、言い争いは収まる気配がない。
あ……何とかしろと合図が届いたな。いや、これは無理だろう。特に儂は譜代じゃないから立場はあまり強くないわけで、それなのにどうしろと。軍師であれば何とかしろと言われても……。
「これは一体何事ですかな?」
だけど、その時大蔵殿が尾張守殿を伴って広間に姿を現した。その腕の中には何やら丸められた大きな紙が何個も抱えられていたが、儂はとにかく今のこの惨状を説明して、救いを求めることにした。
「なるほど……確かにこれだけ長く国元を留守にすれば、兵たちの田畑が管理できているのか心配にもなりますな……」
「それゆえに、この秋の収入が減少することを皆は心配しているのです。何か良きお知恵はありませぬか?」
儂が大蔵殿に意見を求めたことが皆にも伝わったのだろう。騒いでいた連中も言い争いを休止して、大蔵殿が何を言うのか注目した。
「あはは……そのように期待されると、なんというか……」
「しかし、そのお顔。何か思いつかれていますよね?」
「ええ……では、説明しますが、こういう方法では如何でしょうか?」
大蔵殿はまず、不足した収入を補うために、諸将にはいくさが終わったのちに甲州金を配ることを提案してきた。そして、支払った分の代金を北条家に請求してはと。
「もちろん、本拠地・小田原城を攻められた今の北条家に支払い能力はないのかもしれませぬが……今川家に仲介を頼んで年賦で返してもらう様にすれば、踏み倒される心配もないかと」
「だが、甲州金を貰っても、腹は満たせぬぞ。大蔵殿……足りない米、その他食糧はどうする?」
「金払いが良ければ、商人は喜んで甲斐に物を運んでくれるでしょう。まあ、割高になるでしょうけど、それならばその分も北条家に請求すればよろしいわけで……」
その上で、その商人に宛がなければ、今川家から派遣しても良いと言い出した。
「如何ですかな?悪い話ではないかと思いますが……」
「つまり、これに乗じて今川も利を貪るという事か。お主、やはり相当な悪よのう」
ただ、確かに武田にとっては悪い話ではない。それまで黙られていたお屋形様が愉快そうに笑われたのだった。




