第217話 嘉兵衛は、海津城で暇を弄ぶ(1)
永禄4年(1561年)5月下旬 信濃国海津城 松下嘉兵衛
割ヶ嶽城を落した後、武田軍は川中島にある海津城に入った。諸将の中には、一度甲斐に帰還してはという意見もあったが、信玄公が頑なに拒んだ結果でもあった。もちろん、俺や信長も同行している。
「なんで信玄公は甲斐に戻ろうとしなかったのでしょうかねぇ?」
「そうだな……」
決戦が近いと考えたのか、あるいは別の理由があるのか。
「小田原では、援軍として派遣された次郎三郎が大活躍だったと聞くし、ここで兵を甲斐に戻したら武田の名折れだと……そう思われているのかもしれぬな」
「それにしても、上杉はいつ来るんですかねぇ」
「そうだな。割ヶ嶽城が落城した事はとっくの昔に知っていてもおかしくない話だ。普通であれば、何かしらの動きがあると思うのだがな……」
ちなみに、今の言葉の通り上杉軍に動きは見えないため、我らは暇を持て余している。信長は織田軍強化のためと称して城外へ鷹狩に出かけており、俺は例の作戦案を練りつつ、合間を見つけては息抜きとして、こうして藤吉郎と将棋を打っている。
「何か動けない事情でもあるのですかねぇ?……王手」
「ま、待った!」
「待ったはなしと、そうお約束でしたよね?」
むむむ……ダメだこりゃ。完全に詰みだな。俺は両手で駒をグジャグジャにしながら、今の話を続ける。
「ああ!ずるい!某が勝っていたのにぃ!!」
「それで……動けない事情とは、藤吉郎。おまえはどう思う?」
「……話をはぐらかそうとしても、そうは参りませぬぞ。某の勝ちでしたよね?」
「わかった、わかった。認めるから……」
それに奇妙な話は他にもある。上杉政虎は、2か月前の閏3月に鎌倉・鶴岡八幡宮で山内上杉家の家督と関東管領職を継承する儀式を執り行ったと伝わっているが、その時の政虎が影武者だったのではという疑惑が浮上している。
これは勘助殿から聞いた話であるが、何でも忍城主の成田下総守が側近たちに零したそうだ。「頬を叩かれた時の政虎公とは似ても似つかぬ別人だった」……と。
なお、何故その話がこちらに伝わっているかというと、その言葉を耳にした側近の一人が我らに通じて知らせてきたらしい。
「しかし……頬を叩かれるって、成田も何をやったんですかねぇ……」
「わからん。それに重要なのはそこではない。藤吉郎は本当に別人だったと思うか?」
「別人だったという答えの方が色々と説明できてスッキリしますな。例えば、何か重い病気にかかったり、あるいは大けがを負って動けないとしたら、ここ信濃に中々参らないのも説明ができるかと」
やはり、そう思うよなぁ。それならば、もしかしたら川中島の戦いはこの世界では起こらないのかな?ここまで色々と歴史を変えてきているし、その可能性は否定できないな……。
「それにしても、いくさがないのなら、尾張に帰りたい……」
「帰ったら祝言だもんな、藤吉郎」
「そうなんですよ。祝言を挙げたら、初夜が待っているし……ホント、いくさがないのなら、お家に帰ってもいいですかって言いたくなるもんですよ!」
まあ……藤吉郎のこの気持ちはわからないわけでもない。俺だっておとわが妊娠中だし、帰れるものなら帰りたい気持ちはある。
「ああ、そうだ。折角の機会だから言っておくが、祝言を挙げても初夜は、あと数年の間は待った方が良いぞ」
「ええ!なんでですか!!殿は祝言の前からヤっていたではありませぬか!!」
「あの時のおとわは、すでに19歳だったから問題なかったが、寧々ちゃんはまだ13歳だろ?松永様から前に教えてもらったのだが……体が大人になり切っていないのに子を産ませようとしたら、流産、下手をしたら母子ともに命を落とす恐れがあるそうだ」
これは松永様に聞いたわけではなく、未来で得ていた知識からの忠告だが、藤吉郎には子を儲けてもらって幸せになって貰いたいがために、少なくとも5年間は手を出さないようにと言った。
「しかし……織田家の又左殿の奥方は12歳で……」
「あれは危険な賭けをして勝っただけの話だ。それに、寧々殿は大酒飲みだろ?」
「ええ、まあ……」
「ならば、やはり又左殿の奥方とは違って、危険は高いと思うぞ」
もっとも、あと5年待ったから子ができるという保障はないけれども、そもそも史実で二人の間には子は産まれなかったのだ。ダメで元々という気持ちで、俺は藤吉郎に忠告したのだった。本人からしたら、余計なお世話だとは思うけれども。




