第213話 嘉兵衛は、迷える若殿の進路指導に乗り出す(前編)
永禄4年(1561年)4月中旬 信濃国割ヶ嶽城外 松下嘉兵衛
信玄公から川中島で武田が勝つようにしろと言われたが、結論から言えばそれほど難しい話ではない。勘助殿がこれから進言するであろう『啄木鳥戦法』に少し補足を加えたら……と、川中島の地図を広げて思案する。
「夜襲を仕掛けるように見せかけるために、炊飯の煙を多めに焚かせる事。あとは、別動隊は妻女山に登らず、早めに八幡原へ向かわせる。そうだ……別動隊の兵を半分にして、その分を本陣に回せば……」
ふふふ、負ける気がしない。これならば、勘助殿の目論見通りに八幡原に出てきた上杉勢に大打撃を与える事はできるはずだ。あとは、敗走する上杉勢を追ってどこまで領地を切り取るかだが……流石に越後に踏み込むのは時期早々か。
「おお、流石は大蔵殿ですな。すでに策を練られているとは……」
そして、そのように一人で思案しているところにやってきたのは、喜兵衛であった。
「あれ?藤吉郎に頼んで、部屋には誰も通すなと……」
「藤吉郎殿にはこちらを見せて通りました。ですので、どうかお叱りにならずに」
喜兵衛が俺に見せたのは、武田菱の印籠だ。誰でも持てるような軽い物ではなく、従って「この紋所が目に入らぬか!」……などと言われてしまえば、この部屋に通さないわけにはいかない。
「それで……このような物を使ってでも会いに来るとは、どのような要件だ?」
「実は、太郎様が大蔵殿に再びお会いして、お話をされたいと」
「言っておくが、謀反の相談はお断りだぞ?」
「もちろん、謀反の相談ではありませぬ。それは某が保証します」
具体的な相談内容は、本人から直接聞いてもらいたいと喜兵衛はパンパンと手を叩く。すると、部屋の外に待機していたのだろう。義信公が俺の目の前に姿を現した。
なるほど……変装はしているが、顔は隠しきれていない。これなら、面識のある藤吉郎ならば気づいたはずで、この部屋に通すしかないな。
「大蔵殿」
「はい、何でございましょう」
とっても嫌な予感はするし、できればこのまま何もしゃべらずに帰ってもらいたい所である。それに、本人も悔しそうな顔をしているし、それなら無理に相談しなくてもと思わないでもない。
「太郎様……」
「わかっている」
しかし、こうして喜兵衛が間に立っているからには、そういうわけにはいかないようだ。義信公は両手をついて頭を下げて俺に懇願した。「これからどう生きればよいのか、指南してもらえないか」と言って。
「え、ええ……と?」
「謀反を起こさずとも、すでに太郎様とお屋形様の関係は冷え切っております。賢明な大蔵殿ならば、この先何が起きるのか。すでにお判りでしょう?」
「ええ……」
そうだ。この先に義信公が如何なる運命をたどって破滅するのか。俺は知っている。だけど……それは俺には関係のない事でもある。いや、武田の弱体化は今川にとっては……。
「大蔵殿、この通りだ。先程、城が燃えた事に父上が激怒されたという話を耳にした。城が燃えたのは、敵方の手によるものだったのだが……」
その事を弁明したところで、信玄公の耳には届かないと言われたら、否定する事はできなかった。つまり、喜兵衛が言った関係の冷え込みは深刻な状況になっているということだ。
「……それで、どうしたらいい?」
「強引ですな。某はまだ承諾してはおりませぬぞ?」
「わかっている。それでも、俺はこうして頼むしかないのだ」
思わずその情けない姿にため息が零れそうになるが、一方でこのような姿を見せられて見捨てられるかと言えば……無理だった。
だから、仕方ないなと思いつつ義信公の進路をいくつか提案する事にした。
「まず……命を第一にと思うのでしたら、御父君と相談された上で京に上洛してはどうでしょう」
「上洛してどうするのだ?」
「そうですな……太郎様は三条家のお血筋ですから、公家となり三条家を再興為されることもできますし、あるいは公方様の側で幕臣として生きる道もあるでしょうな」
ちなみに、本気で勧めているわけではない。その先に待っているのは、史実の氏真様が辿った生き方だ。命は助かるかもしれないけど、武士としては死んだも同然の境遇を送る事になる。
「さて、如何なさいますか?」
「それは……できませぬ」
「そうですか」
まあ、謀反を起こしてでも家督を奪おうとするほどの野心家なのだから、当然の答えか。ならばと俺は話を続ける。次は、武田家の嫡男として、信玄公に認めてもらうためにはどうすればいいのかという話だ。




