第212話 嘉兵衛は、余計な口出しを後悔する
永禄4年(1561年)4月中旬 信濃国割ヶ嶽城外 松下嘉兵衛
諏訪の上原城を進発した武田勢は、深志城で馬場勢を始めとする北信濃の軍勢を加えてそのまま北上し、最初の目的地である割ヶ嶽城を取り囲むように布陣した。
武田方の兵はおよそ8千で、城の規模がそれほど大きくもなく、守備兵も2千に満たない割ヶ嶽城など、容易く落ちると誰もが思っていた。しかし……
「太郎の奴!一体いつまで梃子摺っておるのだ!!」
いくさが始まってからすでに5日は過ぎようとしているのに、未だ城は落ちない。しかも、義信公を補佐するためにと派遣した信玄公の重臣・原美濃守(虎胤)殿が重傷を負って戦場を離脱することになったのだから、先陣の大将となった義信公に対する怒りは頂点に達していた。
そして、挙句の果てに自分が前に出て指揮を執るとまで言い出した。もうこれ以上は任せておけないと。
「お待ちを!この程度の小城を落とすのに、お屋形様の出馬を仰ぐ必要はございますまい」
「それに、もうじき落ちると若殿も申されておりますし……」
今、目の前ではそうやって勘助殿や馬場殿が懸命になって宥めていたが……まあ、俺には関係ない話だ。出された白湯を啜りながら、火の子が飛んでこないように様子眺めに徹する。隣に座る信長には余計なことを言うなよと目配せして。
「畏れながら……」
「お、おい……」
だけど、俺の目配せは通じなかったようで、信長は城攻めの手助けをしたいと言い出した。妙案があるので任せてもらいたいと。
「ほう……それは頼もしいな!では、織田殿。お願いできるかな?」
「お任せくだされ!」
話はこうして、俺が止める隙もなくとんとん拍子に進み、俺も含めた今川勢3百は義信公に加勢することになった。
「それで、尾張守殿。妙案があると申されていましたが……?」
「鉄砲の三段撃ちよ!」
「三段撃ち?」
「大蔵殿から教わったあの戦法で城兵を攻撃すれば、2千の兵など容易く殲滅できると思ってな。桶狭間の時のようにな!」
広間を出て廊下を歩きながら俺が訊ねると、「その時が楽しみよ」とまるで童のように目を輝かせて俺に語る信長。思わず頭を抱えて、その考えが間違っていることを説明した。即ち、あの戦法は守備側が用いれば効果的だが、攻撃には適さないことを。
「え・……そうなのか?」
「よくよくお考え下さい。敵は籠城戦法を取っているのですから、鉄砲を放ったところで遮蔽物によって防がれるでしょう。はっきり申し上げて、玉薬代の無駄遣いに終わります」
「あ……」
ここでようやく信長の理解が追い付いたようで、自分の考えが甘かったと俺に謝罪した。
「だが……引き受けてしまった以上、後には引けないな」
「そうですね。一先ず、太郎様の陣に……」
ただ、そんな話を信長としている最中に、割ヶ嶽城が炎に包まれ始めている光景がその視界に飛び込んで来た。さらに、俺たちの正面から使い番が駆けてきて、そのまますれ違って広前向かって走り去っていった。
「落ちたか…」
「どうやら、そのようですね」
そうとなれば、俺たちはお呼びではない。今一度、広間に戻って方針の変更を確認しようとした。しかし、その直前に聞こえてきたのは信玄公の怒鳴り声だった。
「太郎め!何を考えておるのかぁあ!!!!」
今度はどうしたのかと思って、部屋に入るなり馬場殿に事情を訊ねたところ、信玄公は城が燃えている事にご立腹されているという事だった。そういえば、事前に説明を受けた構想では、割ヶ嶽城にてしばらく滞在して様子眺めをすると言っていたような気がする。
「だけど、そこまで目くじら立てるほどの事かな?それに、太郎様が果たして火をつけたかどうかも……あ!」
「ほう……これはこれは、今張良様。なるほど、目くじらを立てなくても、そなたが我が軍を勝たしてくれるという事だな?」
それならば、これ以上とやかく言うのは控えるが……と仰せになり、その上で信玄公は俺に勝利への責任を求めた。負けたら、今川領には生かして返さないからと。
「大蔵殿……」
「あ、はは……」
呆れるように見つめる信長に、俺はやっちまったと悟らざるを得なかった。




