第207話 義信は、謀反の密談を行うも……
永禄4年(1561年)閏3月下旬 信濃国上原城 武田義信
酒宴が終わり、俺は宛がわれた部屋へ戻った。しかし、ひとりではない。飯富兵部や曽根下野守ら側近も一緒だ。
そして、襖を閉じて部屋を密室にした上で話し合うのは、父・信玄をどうやって隠居に追い込むかだ。
「いっそのこと、祖父を追い出した時と同じことを……」
「若殿……何度も申し上げますが、それは謀反に等しき行いにて……」
「左様。どうか、お考えをお改め下され。御身の為にはなりませぬぞ」
ただ……当然だが、理解を得られるはずがない。俺だってわかっている。これは謀反だという事は。
「だが、このままではいずれ廃嫡されてしまうのではないのか?俺は座してそのような憂き目になど遭いたくはないぞ!」
「若殿!」
ああ、従兄の上総介(氏真)殿が羨ましい。聞けば、実権は義元公が握られているというが、それでも駿河と遠江においてはその仕置きを任されているとか。楽市を開いて、駿府を栄えさせているとも聞く。
それに引きかえ、俺はどうだ?同じ年なのに未だ何も成すことができず、唯々父の影に埋もれている日々。これでは、何のためにこの世に生を享けたというのか。
「とにかく、今は神妙にして時期をお待ちなされませ。廃嫡など、断じてございませぬゆえ……」
しかし、飯富がそのように申した時だった。襖が突然開いたのは。
「あれ?厠はこちらではありませんでしたか……」
そして、何食わぬ顔でそのまま立ち去ろうとする男を兵部が捕まえて部屋に引き込んだ。
「な、なにを……」
「貴様、お屋形様の手の者か!?」
「お、お屋形様?……って誰?」
「おのれ……惚けるつもりか!」
「ひ、ひぃ!!」
まあ、聞かれてしまったからには仕方ない。兵部はその猿顔の男を始末するべく刀を抜いた。
「お、お待ちを!某にはこのいくさが終わったら、祝言を挙げようと誓った女が居るのです!」
「それがどうした?」
「お願いです!何でもします!ケツの穴を舐めろと言われたら舐めます!だから、命ばかりはお助けを!!」
男は泣きながら必死に命乞いをした。そのあまりにもみっともない姿に兵部は俺を見て、「どうしますか?」と訊ねてきた。確かにただの小者ならば、斬る必要はないのかもしれない。
「わかった。これからいくつか質問をするから、正直に答えたら解放してやろう」
「ありがとうございます!」
「それで、まず一つ目の質問だが……」
そこで俺はこの男に訊ねた。おまえは何者かと。
「某は、松下大蔵少輔様に仕える木下藤吉郎と申す者にて……」
「松下大蔵少輔?」
確か父に飛騨攻めを進言していた今川の家臣だ。親しくしていたようだし、この男はやはり父の間者なのか……疑いを持って次の質問をしようとした時、下野守が俺に提案した。この際、その大蔵少輔の知恵を借りてはどうかと。
「なるほど……今張良殿の知恵があれば、ですか」
「兵部?」
その下野守の提案に賛同した兵部に説明を求めると、松下大蔵少輔は今川家において『今張良』と称されるほどの知恵者であり、桶狭間の合戦において今川に勝利をもたらした軍師だと言った。
「若殿、いかがでしょうか。この男が若殿の部屋に立ち入った事実は動かしようがございませぬし、それを餌にこちらに呼びつけて相談なされては……」
「しかし、応じてくれるかな?」
「応じてくれなければ、この男をこちらで無礼打ちすると言えばよいかと」
まあ、ダメで元々か。藤吉郎という男は「話が違う、助けてくれるんじゃないのか!」と叫んでいるが、ここが俺——即ち、武田義信の部屋であると教えてやったら、流石に黙り込んでしまった。どうやら、己の仕出かした無礼の重さに気が付いたのだろう。
「わかった。では、早速手はずを整えてくれ」
「畏まりました」
そうだ。この城には密談に持って来いの場所があったな。大蔵少輔に相談するのはそちらで行うことにするか。




