第205話 嘉兵衛は、信玄公と合流するも……
永禄4年(1561年)閏3月下旬 信濃国上原城 松下嘉兵衛
四郎君の元に信長の妹・犬姫を嫁がせる件について、岡崎に居られる義元公から返事が届いたそうだ。ニコニコ顔の信長は、無条件で承諾いただいたと言った。
「おめでとうございます」
「かたじけない。それもこれも、大蔵殿の添え状があったからこそ。礼を申し上げる」
まあ、この時点における四郎君の立場は側室腹の部屋住みだから、義元公もそれ程重要視していないのだろう。信長の方も娘ではなく妹だし、俺の添え状なんかなくたって許可は下りていた可能性が高い。
だけど、こうして恩に感じてくれるのなら、拒む理由なんてない。祝言に至るまで色々と詰めるところはあるだろうが、できるだけ協力したいと信長に告げた。
「殿、申し上げます。只今、甲斐より早馬が到着して、信玄公が間もなくこちらに……と」
「わかった」
先に到着していた勘助殿からは、長尾景虎を関東から引きはがして川中島へ誘い込むために、まずは北信濃・水内郡にある割ヶ嶽城を攻め落とすと聞いている。もちろん、我らも援軍としていくさに加わる予定だ。
「では、尾張守殿。出迎えに参るとしましょうか」
「甲斐の虎か……些か、緊張するな……」
おやおや、信長でも緊張する事があるのかと思ったが、それは口に出したりはしない。衆道好きという共通の趣味があるから、意外と仲良くなれるんじゃないか……などとからかったりもしない。途中で四郎君も合流して、俺たちは大手門の前で到着を待つことにした。
「おお、大蔵か。以前は色々と世話になったな」
「いえ、こちらこそ……」
そして、到着するなり忌々しそうに告げてきた信玄公に、俺は苦笑いを浮かべながら応じた。本当に色々とあったな……と思い出して。
「なんだ?その顔は」
「それはお互い様でしょう」
「ふっ……違いないな。それで、そちらが織田殿か?」
信玄公が俺の隣に立つ信長を見て声をかけたので、雑談はこの辺りにして場を信長に譲った。
「織田尾張守にございます。この度は名将の誉れ高き信玄公にお目通りが叶い、恐悦に存ずる」
「まあ、片苦しい挨拶は抜きだ。我らはこれより親戚なのだからな。そのつもりでお付き合いいただきたい」
「かたじけなく存ずる」
四郎君からは、犬姫との縁組について許可を得たと聞いているが、信玄公の信長への態度は俺とは異なり、非常に友好的な物だった。挙句、今日は共に湯につかり、語り合おうとまで言い出した。俺抜きで。
だから、面白くないのでからかってやることにした。二人きりになって風呂で盛るのかと。
「「なっ!?」」
「あれ、違ったのですかな?」
令和の時代でそのような事を温泉で行えば逮捕案件だが、この戦国の世では特段珍しい話ではないだろう。ましてや、信玄公はこの諏訪の支配者だから、なんでもOKのはずだ。
「何を馬鹿な事を言っておるか!」
だが、信玄公は明確にその疑惑を否定した。二人で風呂に入るのは、これから親戚になるのだから、懇親を深めたいだけだと力説する。ただし、こう言った話は力説すればするほどに疑いを増していくものだ。一方の信長の方も少し距離を置こうとしている。
「父上!織田と親戚になるとはどういうことですか!」
しかし、そんなこんなで賑やかに信玄公との旧交を温めているところに、ひとりの青年がお供を引き連れて近づいてきた。誰だと思っていると、信玄公が忌々しそうに呟いた。「義信……」と。
「それで、改めてお訊ねいたしますが、どういうことなのですか。某は何も聞いてはおりませぬが?」
「なぜ、おまえに言わねばならぬのだ?」
「某は、武田家の嫡男にございます。一族の者と縁組をなさるのであれば、当然知る権利はあるかと思いますが……」
おやおや、これは……。
「うぬぼれるなよ?嫡男の地位など……儂がその気になれば、吹き飛ばすこともできるのだぞ。そうされたいのか?」
「やれるものならやってみればいいでしょう!ただ、その時は……」
その青年がいずれ廃嫡されて死ぬことになる武田義信という事は今のやり取りでわかったが、事件が起こるのはまだ何年も先のはずだ。それなのに、もう揉めているとは予想外の展開だ。信長も口を挟まず、また四郎君も空気になって成り行きを見守っている。
さて、この親子喧嘩。俺としては、どうしたものかな……。




