第202話 嘉兵衛は、無人斎から伝言を託される
永禄4年(1561年)3月中旬 尾張国那古屋城 松下嘉兵衛
古渡城を出立した俺たち一行は、まず信長と合流するために那古屋城に入った。なお、城に着くなり、藤吉郎は厠に駆け込んでそのまま籠っている。俺も慶次郎も止めたのに、寧々の手作り弁当を食べたからだ。どうやら、気合と根性だけでは乗り切れない壁ってあるようだ。
「大蔵殿」
「これは、尾張守殿」
そして、藤吉郎が厠から戻ってくるのを待っているところに、信長がやって来た。率いている兵は2百ということだが、そのほとんどが鉄砲隊だった。
「桶狭間で我らに見せた三段撃ちというやつを教えてくれ」
「まあ、それは構いませんが……」
そもそも、この三段撃ちという戦法は、本来なら信長が考えだしたものだ。それゆえに、教えることに惜しくも何もない。どうせ、放っておいても思いつくだろうし、ならば、これを高く貸し付けるまでだ。
「ところで……こうして揃ったのだから、出立しないのか?」
「それが……」
言うか言わまいか。迷ったけれども、藤吉郎が厠から出てくるまでもう少しかかりそうだと小平太から報告があったこともあり、俺は正直に事情を打ち明けることにした。
すると、その信長は呆れた顔をして言った。「なんという命知らずの勇者がいるものよ……」 と。
「そういえば、寧々の毒キノコで清洲城は落ちたのでしたね……」
「真に馬鹿馬鹿しくて信じられない話だが……であるな」
ただ、そうは言いつつも、信長の顔には笑みがあった。不快な印象はどうやらないようで、その寧々と藤吉郎がこのいくさの後に祝言を挙げることになると告げると、その時は声をかけてもらいたいと言い出した。
「いつぞやは、手酷く酔い潰されたからな。その仕返しをさせてもらいたい」
何をするつもりなのかは聞かなかったが、この様子だと冗談で済む話に留まるだろうと思い、俺も承諾する。そして、そこに藤吉郎が戻って来た。
「藤吉郎、大丈夫……か?」
もっとも、その言葉の途中で背後にいる無人斎様の顔を見て、声を詰まらせた。何を言われたいのかはわかっている。甲斐に行くのなら、連れて行ってほしいとでもいうのだろう。
しかし、それは無理な話だ。案の定、その申し出をされたところで、俺は明確に断った。
「なぜだ?」
「信玄公より、予め禁止されております」
「前のように兵に紛れるから大丈夫なのではないか?」
「国境で顔を改めるとか。ちなみに、これがすでに出回っている手配書にて」
そこには、無人斎様のお顔がそっくりに描かれていて、「この顔見たら110番」と書かれていた。ちなみに、ここに記載されている「110番」は警察への電話番号ではなく、使用する狼煙の管理番号だと源五郎が教えてくれた。赤色の煙が昇ると、ぞろぞろと追い返すための兵が集まるとか……。
「まあ、そういうわけで、今回はご遠慮を……」
「ぐぬぬぬぬ!おのれ、晴信めが!あの親不孝者がぁあああ!!!!」
甲斐でゆっくり温泉に浸かりたかったとか、故郷の味を久しぶりに味わえると思っていたとか、孫の顔を久しぶりに見たかったとか……無人斎様は駄々をこねられているが、ダメなものはダメである。諦めてもらうより他にはない。
「まあ、甲斐でお土産は買って帰りますので、それでご容赦願えませんか?」
「……仕方ない。それで手を打つことにしよう。ただ……晴信に一つだけ伝えてもらえぬか?」
「伝言にございますか。それは構いませぬが……」
一体何を伝えるつもりなのかと思っていると、無人斎様は仰せになられた。このいくさで長尾に勝てぬのなら、越後は諦めて他を目指すように伝えてほしいと。
「越後ではなく、他ですか……」
「具体的には、飛騨……そこから、越中、加賀、越前を狙えばよい。晴信には儂がそう申していたと伝えてくれぬか?」
「承知しました。必ずお伝えすることにいたしましょう」
しかし、飛騨を抜けて……か。いい所に目をつけたものだな。




