第五話
「アイドルは夢を与える存在だと思ってました。ファンの人たちに、夢を提供することが仕事なんだって」
白い部屋で、カメラが回っている。私はカメラに向かって話しかける。
「でも、それは思い違いだったんだなって、気づかされました。本当に夢を見せてもらっているのは、私のほうなんです。ファンがいるからこそ、アイドルは夢を見続けることができる」
部屋には私と真山さんしかいなかった。武道館公演前の最後の『情熱ランナー』取材日で、私のたっての希望で、一対一のインタビューを組んでもらった。
幸いにして今日は体調が安定していた。私は柔らかいソファに腰掛け、リラックスして取材に臨めていた。
「何故アイドルをやるのか、という答えはみつかりましたか?」
真山さんが尋ねた。
「ステージに立つって、目も眩むような恍惚があるんです」
YES・NOで答えるかわりに、私はこの数週間で感じてきたことを述べる。
「自分が必要とされている強烈な歓びは、たぶんほかでは味わえないものだと思います。ステージにいるあいだは、身体が軽くなった気がしてしまう。なんでもできる気がする。自分のことを誇りに思えるんです」
でも、と私は続けた。
「それは永遠に続くわけじゃなくて、限られた時間だからこそ輝くもので。一種のファンタジーですよね。そんな夢のような瞬間を味わいたくて、私はアイドルをやっているんだと思います。そのためには、どんな努力も辛くないんです」
「ステージだけの話ではなく、アイドルとしての“終わり”がくることも、常に意識していますか?」
「もちろん」
私は、去っていったアイドルたちの姿を思い浮かべる。
華々しくデビューしても、成功する人間はほんの一握りだ。同期のアイドルたちで、芸能人として生き残っている者はほとんどいない。みんな、何らかの理由で次々と辞めていった。
彼女たちができちゃった結婚をしたり、海外留学という名の引退をするたびに、当時の私は荒野の葬列に並んで、死者を見送るような気持ちになった。さみしさと諦めと、一抹の不安。でも同時に、生き延びている者ならではの傲慢な想いもあった。私はそっちには行かない。私はまだ諦めていない。私はまだアイドルであり続けるのだと。
でも、今はそうは思わない。彼女たちは死んだわけじゃない。意識的にしろ無意識的にしろ、アイドルである自分を捨てる勇気があった。アイドルはいつか、夢の国の終わりを知らなければいけない。私はそれを受け入れられずに、かたくなにしがみ続けていた。
人は忘れやすい。水原ことりも、いつか忘れ去られる日が来るだろう。それは仕方がない。
「そのときは美しく去ることが、アイドルとしての務めだと思っています」
真山さんがカメラをいくらかいじってから、私を見て微笑んだ。
「以上で、インタビューは終了です。いい話が聞けました」
「ありがとうございます」
私はぺこりと頭をさげた。
「あ、そのままでいいですよ」と片づけを始めた真山さんに再度お辞儀をすると、私は立ち上がった。出口へと歩きながら、微かな名残惜しさが胸をかすめる。きっと、彼とはもう会うこともないだろう。
穏やかな午後で、窓からいい風が吹いていた。
ふと、真山さんの鼻歌が聞こえた。私は思わず立ち止まり、振り返った。
「その歌……」
「ああ」
真山さんはいたずらがみつかった子どものような顔をした。
「すみません、聞こえてましたか? だいぶ昔の、マイナーなアイドルの歌です。こないだの中止になったイベントを撮影したとき、なんかすごい懐かしくなっちゃって……。昔、結構好きだったアイドルがいたんですよ」
照れているのか、彼は不精髭をいじった。
「恥ずかしいんですけど、割とオタクだったんですよ。でも渡米するときに、サインやCDは全部処分しちゃって。人から与えられてるものにしがみついてる自分がカッコ悪いなと思ったんです。でも何年かぶりにネットで検索したら、ありました。Youtubeってマジで便利ですね。で、久しぶりに聴いたら、ちゃんと憶えてました」
ふんふんふん、と口ずさむ彼にかぶせるように、私は歌っていた。
♪お願いお願い愛してダーリン……
擦り切れるほど歌ったデビュー曲だった。ひたすらキャッチーなメロディラインと、大仰なアレンジの、安っぽいダンス・チューン。
「おおっ、すごい。さすがアイドルオタクっすね」
無邪気に笑う真山さんの姿がうまく見られなかった。
ずっと探していたものが思わぬところで急にみつかったような、不思議な感覚が私を襲っていた。
「今どうしてるのかなあ、相田莉子。実は取材してみたくて、芸能通のディレクターに聞いてみたんですけど、引退しちゃったらしいんですよね。でも、変な噂も聞いたんです」
風が吹いて、私の髪の毛がふわりと揺れた。
「人体改造みたいなことをしてる組織があって、相田莉子はそこで手術して、超絶美少女に生まれ変わったって。まったく別人として芸能界で再デビューしたとかなんとか……」
有り得ないですよね、と笑いながら私を見上げた真山さんの表情が、ゆっくり変化した。彼は吸い込まれるように私を見ていた。
「……“りこりこ”?」
私はたぶん微笑んでいたと思う。
「真山さん。武道館公演、楽しみにしててくださいね」
明るいやわらかい声が、口をついて出た。
「私、そこで引退するんです」
それだけ言って、振り返らずに部屋を出た。真山さんが追いかけてくる気配はなかった。
午後の光が胸を満たす。
100万人に忘れ去られても、誰かたったひとりが、私の歌を口ずさんでくれたら。
もう、私に怖いものなんてない。
* * * * * * *
武道館の照明が落ちる。
歓声が沸きあがる。
合図とともに、弾かれるように私は走り出す。
暗い袖を抜けた瞬間、ステージの強い光に目がくらみそうになる。
だけど私の名を呼ぶ声が聞こえる。
上下も左右も、自分の手足さえ判別できない白い光のなかで、私を導く。
アイドル水原ことりであるという意識だけが私を縁取る。
真っ白い光の中へ、私は飛び込んでいく。
たぶん今、私は天国にもっとも近い場所にいる。
了
お読みいただきありがとうございました。
この作品は、第13回文学フリマの喫茶マリエール新作『少女カルマ』に収録したものです。
少女というのは商品として価値があるものだけど、少女自身がそれに気づくのは、一種の「禁断の果実」ではないかと思います。少女という幻想に追いすがり、心も身体も犠牲にしていく女性の哀しさみたいなものを書きたいなと思っていました。同時に、一瞬でも光に触れられるのなら、それはそれで美しいことなんじゃないかな、とも。
ちなみに私が現行のアイドルで一番少女カルマを感じているのはAKB48のまゆゆこと渡辺麻友嬢です。美少女の身体にアイドルとモンスターを同居させた傑物だと思ってます。大好きです。
この作品は今まで書いたもののなかでも特に反響が大きくて、自分でも書きたいものが書けたという気がしています。もちろん、まだまだ未熟ですが。
読んでいただき、どうもありがとうございました。
ご意見・ご感想などお待ちしております。