第9話 次の段階、裏の段階
今回は、初期エリアにいた人たちへ一斉に次の段階への通知が届きます。
一方で欲望区では、正規ルートから外れた者たちだけが知る別の道が、静かに口を開きはじめます。
朝、端末が一斉に震えた。
昨日の戦いの疲れがまだ身体に残る中、かすみは小部屋の前で画面を開いた。
眠気は、それで一気に消えた。
見習い期間の条件を達成しました。
合格です。
次のエリアへ行く準備をしてください。
本日中に引っ越し準備と出発を行ってください。
「……え」
似たような声が、広場のあちこちで上がる。
端末を見たまま立ち尽くす人。
隣の相手と顔を見合わせる人。
通知を二度見している人もいた。
「合格ってこと?」
久美子が小さく言う。
誠司は自分の画面を見たまま、短くうなずいた。
「たぶんな。見習い期間修了ってことだろ」
少し離れた場所で、合同グループの誰かが明るい声を上げた。
「よかった。みんなで次に行けるんだ」
その言葉に、かすみは少しだけ肩の力が抜けた。
自分たちだけではない。
今まで一緒に鉱山へ行き、敵を倒し、食べ物を分け合ってきた人たちと、そのまま次へ進めるらしい。
優は端末を見たまま、大きく息を吐いた。
「ええ……めんどいなあ。せっかくここの生活、慣れてきて居心地よかったのに」
「そんなこと言わないの」
久美子がすぐに返す。
「移動中に敵が出るかもしれないんでしょ。ちゃんと準備しないと」
誠司も続けた。
「武器、防具、薬は奥にしまうなよ。すぐ取り出せるようにしとけ」
「食べ物も大事なんだけど」
優が言う。
「食べ物も大事。でもまず武器」
「はいはい」
その返事は軽かったが、昨日までのような投げやりさはなかった。
◇
広場は、朝から落ち着かなかった。
共同グループごとに荷車が割り振られ、木箱や布袋が運ばれていく。
生活道具をまとめる人。
薬品を数え直す人。
持ち手のゆるんだ袋を縛り直す人。
引っ越しといっても、ただ荷物を運べば終わりではない。
移動途中に敵と出会うかもしれない。
だから、武器、防具、回復薬、毒消しだけは荷物の奥へしまえなかった。
「鍋は後ろでいい?」
「割れ物は上。薬は手前」
「木盾、誰が持つ?」
「それは別で持とう」
そんなやり取りが、あちこちで飛ぶ。
かすみは薬品の瓶が入った木箱を抱え直した。
思ったより重い。
腕に少し力を入れた時、箱の角が荷車の木枠に当たった。
「あっ」
中の瓶が一本、ころんと転がり落ちる。
地面に当たって割れ、かすみは反射的に手を伸ばした。
次の瞬間、指先に細い痛みが走る。
「……っ」
すぐに誠司が駆け寄った。
「かすみ、大丈夫?」
「平気、ちょっとだけ――」
「ちょっとじゃない」
誠司はかすみの手を取った。
指先に赤い線がにじんでいる。
「消毒するから、じっとして」
「でも瓶……」
「瓶は後」
誠司は荷車の横に置いてあった薬箱から、消毒液と包帯を取り出した。
手つきは落ち着いている。
指先を拭われるたび、痛みより別の熱の方が気になった。
「しみる?」
「ちょっと」
「我慢して」
短くそう言って、手早く包帯を巻く。
「これでいい」
「……ありがとう」
「瓶より手の方が大事だろ」
誠司はそう言って、ようやく割れた破片を拾い始めた。
かすみは包帯の巻かれた指先を見たまま、小さく息をつく。
少し離れたところで、その様子を久美子が見ていた。
かすみには、誠司がすぐに駆け寄った。
何も言われなくても、手を取って、怪我を見て、手当てまでしてくれた。
その場に流れた空気は、荷物の整理の延長なんかじゃなかった。
◇
そのすぐ先で、別の空気もできていた。
少し前を歩いていた華奢な女の子が、荷物を抱えたまま石ころに足を取られた。
「危ない」
すぐ近くにいた男の子が、とっさに手を伸ばす。
女の子の身体が傾く前に腕を支えて、そのまま荷物まで受け取った。
「大丈夫?」
「あ、ごめん……ありがとう」
「謝らなくていいよ。それ重そうだから持ってあげようか」
そのやり取りは、あまりにも自然だった。
自分以外の女の子たちは、みんな男の子に荷物のことを気にかけてもらっている。
いいなあ。
久美子は箱を抱えたまま、心の中でそっとつぶやいた。
腕にじわりと重さがかかる。
自分も同じように荷物を持っている。
けれど、誰もこっちには来なかった。
自分は平気そうに見えるのかな。
たくましいと思われているのかな。
でも、その考えはすぐに別の言葉に押し流された。
やっぱり、顔?
それとも体?
喉の奥が少しだけ詰まる。
考えたくなかった。
けれど、一度浮かんだものは消えなかった。
◇
昼前には、初期エリアの門前に荷車が並びはじめていた。
見習い期間修了の印が、端末の端に小さく灯っている。
荷物を積み終えた人たちから順に、出発の列へ加わっていく。
「ほんとに次、行くんだね」
かすみが小さく言う。
「ここまで来たら行くしかないだろ」
誠司が答える。
「次のエリア、敵も強くなるんだよね」
「生活も一段階上がるって話だしな」
優は荷車の横を歩きながら言った。
「次のエリアも魚釣りできるかな」
「最初に気にするの、そこ?」
かすみが思わず言う。
「大事だろ。食べ物にもなるし」
「まあ、それはそうだけど」
優はもう、次のエリアで魚釣りができるかばかり気にしていた。
荷車がゆっくり動き出す。
木の車輪が土を削る音。
誰かが持ち手を握り直す音。
遠くで見張りの鐘が一度だけ鳴った。
進んでいる。
少しずつでも、確かに前へ。
一方その頃、欲望区では、昨夜の戦いの跡がまだ街に残っていた。
削れた石畳。
焦げた壁。
端に追いやられた荷車。
派手な看板だけが、何事もなかったみたいに光っている。
レイナと翔は、ようやく路地の奥から出てきたところだった。
敵が消えたあとも、すぐには足が動かなかった。
「……最悪」
レイナが小さく吐き捨てる。
上位パーティーの討伐結果は、端末越しに何度も流れてきていた。
高額経験値。
大金。
希少ドロップ。
けれど自分たちは、同じ街にいながら何ひとつ得ていない。
ただ隠れていただけだった。
「君たちも逃げ回ってたのか」
不意に声をかけられ、二人は振り返った。
壁際に、数人の男女がいた。
装備は半端だ。
武器も防具も上物とは言えず、どれも使い込まれて傷んでいる。
それでも、この街の裏側に慣れている空気があった。
「武器も防具も、まだろくに揃ってないだろ」
先頭にいた男が、苦く笑う。
翔は何も言わず、相手を見た。
レイナも返事ができない。
「そんな顔しなくていいよ。最初はみんなそうだ」
「……みんな?」
「欲望区に来たのに、上の連中には入れてもらえなくてさ。こういうとこで足踏みする」
隣にいた女が端末を軽く振った。
「昨日の募集、見たでしょ。戦闘レベルだの、特別装備だの、蘇生薬だの」
「見たけど……」
レイナがようやく言う。
「条件高すぎるでしょ、あれ」
「高いよ。でも入れるやつは入る」
女は肩をすくめた。
「入れないのは、こっち側」
その言い方はさらっとしていたが、胸に嫌な重さを残した。
男が続ける。
「君たち、まだ知らないのか」
「何を?」
「今ごろ初期エリアの連中は、見習い期間修了書でももらって、次の段階に進んでるころだよ」
レイナの表情が止まった。
「……は?」
「正規ルートってやつ。暮らしと討伐を一通りこなしたやつから、次のエリアへ上がっていく」
翔の目がわずかに動く。
「もう戻ることもできないね」
男はそこで区切って、肩をすくめた。
「まあ、その前にリンク売ってるだろ。どっちにしろ戻れないか」
「みんなここに来るやつは、だいたいそんな感じだよ」
女が笑う。
優しい笑い方ではない。
でも、露骨に突き放す笑いでもなかった。
戻れない。
その言葉だけが、嫌なくらいはっきり胸に落ちた。
初期エリアの人たちは、もう次へ進む。
自分たちはそこから外れた。
しかも、自分でリンクを売った。
男はそこで、少しだけ声をやわらかくした。
「でも、心配しなくていい」
「……何が」
「こっちにはこっちの進み方がある。裏ルートってやつだよ」
端末を軽く持ち上げる。
「良い仕事があるから、紹介してあげる。装備をそろえたいなら、まずはそこからだ」
「仕事?」
レイナが聞き返す。
「ちゃんと金になるよ。上の連中のおこぼれよりは、ずっと現実的だ」
翔はまだ黙っていた。
けれど、断る言葉も出てこなかった。
男の後ろにいた別の青年が、端末をいじっている。
画面が一瞬だけ光って、すぐ消えた。
何の通知かはわからない。
でも、そこに自分たちの名前が乗った気がした。
「どうする?」
レイナが小さく聞く。
正規ルートはもうない。
戻る場所もない。
ここで立ち止まっていても、戦闘レベルは上がらない。
討伐パーティーに入れてもらえる日も来ない。
男は急かさなかった。
その余裕が、かえって嫌だった。
「別に無理にとは言わないよ。でも、装備が欲しいんだろ」
「……」
「上のやつらが拾わない仕事でも、やれば金になる。みんな最初はそこからだ」
女も言う。
「大丈夫。あたしたちも最初は同じだったから」
同じだった。
その言葉に、レイナは少しだけ救われたような顔をした。
「……じゃあ」
口を開きかけて、止まる。
でも他に何があるのか、自分でもわからない。
翔が先に言った。
「紹介してくれ」
男はすぐに笑った。
「そうこなくちゃ」
その笑顔は親しげだった。
だから余計に、底が見えなかった。
初期エリアでは、荷車の列がゆっくりと次のエリアへ向かっていた。
欲望区では、レイナと翔が細い裏路地の奥へと連れていかれていた。
同じ世界の中で、初期エリアと欲望区は、それぞれ次の段階へと進んでいった。
読んでくださりありがとうございます。
今回は、初期エリアでは見習い期間を終えた者たちが次のエリアへ進み、欲望区では正規ルートから外れた者たちが裏ルートへ引き込まれていく回になりました。
同じ「次の段階」でも、その意味はもう大きく違いはじめています。




