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第10話 選ばれる場所、余った場所

今回は、新しいエリアでの暮らしが始まる回です。

環境が変わるだけでなく、人との距離や役割の決まり方も少しずつ変わりはじめます。

一方、欲望区では正規ルートに入れなかった者たちの裏の仕事が、静かに動きはじめます。

 次のエリアへ着いたのは、昼を少し過ぎたころだった。


 初期エリアより建物の間隔が広い。

 畑も広く、水路も長い。

 そのぶん、移動だけでも前より手間がかかりそうだった。


 門の近くに立てられた案内板には、新しい表示が並んでいる。


 生活レベルが上昇しました。

 討伐対象の危険度が上昇しました。

 役割分担と共同作業を推奨します。


「言い方、前よりはっきりしてるね」

 かすみが小さく言う。


「優しくなくなったな」

 誠司が答えた。


 優は荷物を地面に置きながら、周囲を見回した。


「池あるかな」

「着いて最初に気にするの、そこ?」

 久美子が思わず言う。

「大事だろ。魚いるかもしれないし」

「まあ、それはそうだけど」

 かすみが少しだけ笑った。


 優はもう、次のエリアで魚釣りができるかばかり気にしていた。


 荷物を小部屋へ運び込んだあと、共同グループはすぐに広場へ集められた。

 次のエリアでは、生活の仕事も討伐も、最初から役割分担を決めるらしい。


「水場が遠いから、運搬は二人一組」

「畑の班も二つに分ける」

「薬草の群生地は危険区域に近いから見張りつき」

「討伐は少人数だと危ない。合同で動くこと」


 説明を聞くだけで、ここが初期エリアより一段階上の場所なのだとわかった。


「じゃあ、水場当番どうする?」

 合同グループの誰かが声を上げる。


「私、〇〇くんと行くね」

「じゃあ僕は〇〇さんと畑の方回る」


 そんなふうに、あちこちで自然に組み合わせが決まっていった。

 最初から約束していたみたいに、迷いなく隣が埋まっていく。


 久美子は少し遅れて、その輪を見ていた。


 気になっている相手も、もう別の子の隣にいた。

 その子が何か言うと、彼は少しかがんで聞いている。

 近い。

 自然で、やわらかい距離だった。


「かすみは俺と来て」


 誠司の声がして、かすみが振り向く。


「薬草の群生地、危険区域に近いらしい。薬の見分けできるの、かすみの方が詳しいだろ」

「うん、わかった」

「昨日の指、大丈夫?」

「もう平気」

「無理はするなよ」


 短いやり取りだった。

 でも、その短さの中に、もう前から決まっていたみたいな近さがあった。


 久美子はその場に立ったまま、指先に少し力が入るのを感じた。


 自分は、まだ誰とも決まっていない。


「じゃ、俺たち余りかな」


 横から聞こえた声に、はっとする。

 優だった。


 いつもの気の抜けた顔で、荷物袋の肩紐を持ち直している。


「たぶん、そうなるよね」

 久美子は答えた。


「じゃあ、運搬の方でいい?」

「うん……」


 優のことは嫌いじゃない。

 気まずくない相手でもある。

 でも、それでも胸の奥は少し痛かった。


 余った場所。


 そんな言葉が、頭の中に浮かぶ。


 周りではもう、それぞれの仕事が決まりはじめている。


「それ重いから、こっち持つよ」

「ありがとう」

「水汲み、二人で行った方が早いよね」

「じゃあ私、そっち回る」


 久美子は持っていた布袋の口を握り直した。

 自分だけが最後に残って、空いたところへ収まった感じがした。


     ◇


 その日の仕事は、思った以上に忙しかった。


 久美子と優は、作業場と宿舎のあいだを何度も往復した。

 木材、水、布、細かな道具箱。

 どれも生活に必要なものなのに、運ぶだけで汗がにじむ。


「次これな」

 優が荷車の取っ手を押しながら言う。

「うん」

「新しいエリアって、最初から疲れるな」

「そうだね」


 優は途中でふと足を止めた。


「あ、あっち水ある」

「ほんとだ」

「魚いそう」

「まだ言うんだ」

「大事だからな」


 その言い方があまりにも優らしくて、久美子は少しだけ息を吐いた。

 嫌いじゃない。

 嫌いじゃないのに、胸の奥の痛さは消えなかった。


 昼休みに入るころ、広場の端でかすみと誠司が並んで座っていた。

 かすみが薬草の葉を一枚ずつ見て、誠司が横から覗き込んでいる。


「これ似てるけど違う?」

「そっちは苦味が強い方。傷には使えない」

「じゃあ、こっちか」

「うん、それ」


 二人は必要なことしか話していない。

 でも、その距離は近かった。

 言葉より、一緒にいることの方が自然に見えた。


 合同グループの別の方では、男の子が華奢な女の子の荷物を受け取っていた。


「それ、午後も持つのきつくない?」

「ちょっとだけ」

「じゃあ半分こっち持つよ」

「ありがと」


 まただ。


 久美子はパンをちぎる手を止めた。


 昨日の引っ越しの時も、そうだった。

 可愛い子や細い子には、男の子たちが自然に声をかけていた。

 重そうだから持つよ。

 大丈夫?

 無理しないで。


 自分も荷物を持っていた。

 重かった。

 でも誰も来なかった。


 今日だってそうだ。

 新しいエリアでも、自然に組み合わせができて、自然に気にかけてもらえる子がいる。


 自分は違う。


 やっぱり、顔?

 それとも体?


 その瞬間、中学の時の声が耳の奥によみがえった。


 ブス。


 笑いながら、軽く投げられた一言だった。

 でもあの言葉は、今もまだ消えていない。


 胸の奥が、きゅっと狭くなる。


「久美子?」

 優が声をかけた。


「え?」

「パン、食べてない」

「あ……うん」


 久美子は慌てて小さくかじった。

 味がよくわからなかった。


     ◇


 夜、新しい小部屋は妙に静かだった。


 初期エリアより少し広い。

 でも、それだけだ。

 荷物を置き終えたあとに残る空気は、前より少し冷たく感じた。


 久美子はベッドに座ったまま、端末を見ていた。

 昼間のことが、何度も頭に戻ってくる。


 私、〇〇くんと行くね。

 僕は〇〇さんと畑の方回る。


 自然に決まっていく役割。

 自然にできていく男女の並び。

 そして、自分は優と余ったようにそこへ入った。


 優のことは嫌いじゃない。

 むしろ悪い相手じゃない。

 でも、それでも痛かった。


 そのあと、昨日の引っ越しのことまで浮かんでくる。


 石ころに足を取られた華奢な女の子。

 とっさに手を伸ばした男の子。

 「それ重そうだから持ってあげようか」という、あまりにも自然な声。


 自分以外の女の子たちは、みんな気にかけてもらっている気がした。


 いいなあ。


 昨日、胸の中でつぶやいた言葉が、今また戻ってくる。


 そして、その奥にはもっと古い声が残っていた。


 ブス。


 中学の時に言われた、あの短い一言。

 今日のことだけじゃない。

 あの頃からずっと、久美子の中では消えずに残っていた。


 久美子は自分の腕を見た。

 それから、お腹のあたりに触れる。

 太ももにも、そっと指先を当てる。


 やっぱり、顔?

 それとも体?


 端末の画面を下へ滑らせる。


 売却可能項目

 腕の体毛

 腹部脂肪

 太もも脂肪


 ほんの少しだけ。

 目立たないところから。

 誰にもわからないくらいなら。


 そう思った時には、指先はもう止まらなかった。


 確認ボタンを押す。


 次の瞬間、腕にふっと風が通るような感覚が走った。

 驚いて触れると、細い毛の感触が消えている。


「……ほんとに」


 息が浅くなる。


 次に、お腹。

 太もも。


 痛みはない。

 ただ、身体の中の余分なものだけが静かに抜けていくみたいな、不気味なくらい軽い感覚が残った。


 服の上から触れると、さっきまでより少しだけ違う。

 ほんの少し。

 でも、自分にはわかる。


 画面の残高が増えていた。


 久美子はしばらくその数字を見つめた。

 それから、ゆっくりと次の項目を開く。


 外見調整

 まぶたライン微調整

 軽度二重形成


 心臓が、どくんと鳴る。


 ちょっとだけ。

 本当に、ちょっとだけ。


 押した瞬間、目元に熱とも冷たさともつかない感覚が広がった。

 すぐに消える。


 端末の黒い画面に自分を映す。

 変化はほんのわずかだった。

 でも前より、線がある。


「……これくらいなら」


 誰にもわからない。

 そう思ったのに、胸の奥は妙にざわついていた。


 変われた気がした。

 でも、それで満たされたわけではなかった。


     ◇


 一方その頃、欲望区では、レイナと翔が細い裏路地の奥へ通されていた。


 昼でも薄暗い。

 表通りの派手な看板も、ここまでは届かない。

 連れてこられた先は、倉庫とも事務所ともつかない、古びた建物だった。


「ここ」


 昨日、声をかけてきた男が扉を開ける。


 中には、同じくらいの年に見える男女が何人かいた。

 装備は半端で、目の下に薄く疲れが残っている。

 でも、怯えているだけの顔ではない。

 この場所に少し慣れてしまった顔だった。


「新入り?」

 奥にいた短髪の女が言う。


「昨日の防衛で逃げ回ってた二人。まあ、最初はそんなもんだろ」

 男が軽く答える。


 その言い方に、レイナは少しだけ顔をしかめた。

 でも、言い返す余裕はなかった。


「君たちも、最初はあっち側に入ろうとした?」

 別の男が笑う。

「まあね。戦闘レベルだの、特別装備だの、蘇生薬だのって、最初から入れるわけないのにさ」

「……」

「こっちはそういうのに弾かれたやつの集まりだよ」


 レイナは黙ったまま部屋を見回した。

 誰もきらきらしていない。

 でも、自分たちよりは少し先へ進んでいるようにも見えた。


「で、仕事って何するの」

 翔がようやく口を開く。


 短髪の女が机の上の端末を指で叩いた。


「最初は軽いの。表で使わない荷物の運搬とか、素材の回収とか、終わった区画の後処理」

「討伐じゃないんだ」

「正規の討伐に入れないんだから、そりゃそうでしょ」


 そう言って、女は肩をすくめた。


「でも金にはなるよ。少なくとも、何もできずに隠れてるよりはね」


 その言葉が、妙に耳に残る。


 何もできずに隠れている。

 それは昨日の自分たちそのものだった。


 短髪の女が、端末を見ながら何気ない声で言った。


「あ、昨日あなたたちをこっちに回した子たちには、もう紹介料振り込んだわ」

「……紹介料?」

 レイナが顔を上げる。

「そう。新入りをこっちに流したら、その分だけ入るの」

「欲望区って、そういう仕組みなの?」

「そういう仕組みもあるってこと」


 女はそこで視線を上げた。


「あなたたちも、そのうち同じような子を見つけたら連れてきて。昨日の自分たちみたいに、武器も防具もなくて、正規の討伐に入れない子」

「……」

「連れてきたら、ちゃんと払うから」


 レイナは口を閉じた。


 助けられたんじゃない。

 拾われたんでもない。

 自分たちは、流されてきただけだった。


 翔も何も言わなかった。

 でも、目だけが少し冷えた。


「まあ、気にしなくていいよ」


 昨日の男が言う。


「こっちだって最初は同じように誰かに連れてこられたんだから」


 その言葉で、部屋の空気が少しだけゆるんだ。

 レイナには、それが逆に怖かった。


 机の上の端末に、新しい表示が開く。


 裏業務・初級登録

 本日担当:運搬補助/素材回収補助


「とりあえず今日はこれ。危ないところまでは行かせない」

 男が言う。

「まずは慣れればいい」


 慣れればいい。

 その言い方が、もう逃げ道のないものに聞こえた。


 初期エリアでは、久美子が誰にも知られないように少しだけ自分を変えていた。

 欲望区では、レイナと翔が裏業務の端末登録を終えていた。


 初期エリアと欲望区は、同じように次の段階へ進みながら、まるで違う方角へ進んでいた。

読んでくださりありがとうございます。


今回は、新しいエリアでの暮らしが始まる中で、役割の決まり方や人との距離の違いが少しずつ見えてきた回でした。

一方で欲望区では、レイナと翔が正規ルートとは別の仕事へ足を踏み入れはじめています。

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