第89話 信じていた人魚たち
玲司と詩乃は、警察署でマーメイドラウンジの運営について事情を聞かれます。
人魚を紹介料つきで受け入れる仕組み。
本人同意とされていた記録。
そして、マーメイドラウンジの今後。
一方、ラウンジでは人魚たちへの事情聴取が始まり、キラリはリリアとミレナに出会います。
警察署では、玲司と詩乃への事情聴取が続いていた。
優については、端末に残っていたやり取りと、かすみ、誠司、久美子、大地、早希への確認を待つことになっている。
けれど、それとは別に、マーメイドラウンジそのものの問題は残っていた。
警察官は、机の上に置かれた資料へ視線を落とした。
「マーメイドラウンジでは、人魚をどのような形で受け入れていたのですか」
玲司は少し間を置いてから答えた。
「契約上は、紹介という形です」
「紹介?」
「漁師や仲介者が人魚を紹介し、ラウンジ側が受け入れる。その際に紹介料を支払っていました」
警察官は記録を取りながら続ける。
「その紹介制度を作ったのは誰ですか」
玲司はすぐには答えなかった。
詩乃も、膝の上で手を握りしめている。
やがて、玲司が口を開いた。
「仕組みそのものは、CEOの方針です」
「CEO?」
「はい。漁師や仲介者から人魚を紹介として受け入れ、紹介料を支払う。その後、マーメイドラウンジへ配置する。そういう流れは、私たちが作ったものではありません」
詩乃も静かに続けた。
「私たちは、その仕組みを営業として運用していました」
警察官は二人を見た。
「では、あなた方は問題がないと考えているのですか」
玲司は首を振った。
「いいえ。そういう意味ではありません」
玲司は目を伏せる。
「制度を作ったのは私たちではありません。ですが、その仕組みの中で営業を続けていた責任はあります」
警察官は記録を取りながら、さらに尋ねた。
「人魚本人の同意は、誰が確認していましたか」
その問いに、玲司と詩乃は黙った。
「紹介された人魚が、本当にここで働くことを望んでいたのか。迎えに来ると言われて待たされていたのではないか。人生交換について、どこまで理解していたのか」
警察官は、一つずつ言葉を置いていく。
「それを、誰が確認していましたか」
玲司は、苦しそうに唇を結んだ。
「報告上は、本人同意とされていました」
「報告上は、ですね」
警察官の声は淡々としていた。
詩乃が小さく息を吸う。
「直接、本人に確認したことはありません」
玲司も続けた。
「私もです。数字を見ていました。紹介数、稼働率、売上、顧客満足度……」
警察官が顔を上げる。
「人魚本人の声は?」
玲司は目を伏せた。
「聞いていませんでした」
詩乃も、膝の上の手を握りしめた。
「水槽の中にいる人たちが、何を思っていたのか。帰りたいのか。誰かを待っていたのか。後悔していたのか。私たちは、直接聞いていませんでした」
部屋の空気が重くなる。
玲司は、少し間を置いてから言った。
「この仕組みに関しては、先ほど三宮さんに指摘されました」
警察官の手が止まる。
「三宮さんに?」
「はい。本人同意という言葉だけでは説明にならない。その同意が本当の意味での同意だったのかを確認する必要がある、と」
詩乃も続けた。
「それで、改善に向けて話し合っていたところです」
「どのような内容ですか」
「人魚たち一人一人に希望を聞くこと。竜宮城へ帰りたい人魚は帰すこと。元人間の人魚については保護と調査を分けること。紹介契約と紹介料の流れを確認すること。そこまで話していました」
玲司は、静かに付け加えた。
「マーメイドラウンジを、本物の人魚を置く場所ではなく、演者による水中劇やショーの場所へ変えていく案も出ていました」
警察官は記録を取りながら、二人を見た。
「では、本当にその話をしていたのか、三宮さんに確認する必要がありますね」
玲司はうなずいた。
「はい。確認してください」
詩乃も静かに言った。
「三宮さん、翔さん、レイナさんも、その場にいました」
警察官は資料に名前を書き込んだ。
その後、煌成が別室から呼ばれた。
煌成は落ち着いた様子で椅子に座る。
警察官は、玲司と詩乃から聞いた内容を確認するように口を開いた。
「先ほど、玲司さんと詩乃さんから聞きました」
「はい」
「三宮さん。あなたは先ほど、玲司さんと詩乃さんと、マーメイドラウンジの改善に向けて話し合いをされていた。これは間違いありませんか」
煌成は静かにうなずいた。
「はい。間違いありません」
警察官は記録を取りながら続ける。
「どのような内容でしたか」
「人魚たち一人一人の希望を聞くこと。竜宮城へ帰りたい人魚は帰すこと。元人間の人魚については保護と調査を分けること。紹介契約や紹介料の流れを確認すること。そういった内容です」
煌成は少し間を置いて、続けた。
「本人同意という言葉だけでは説明にならない。その同意が本当の意味での同意だったのかを確認する必要がある。そう指摘しました」
警察官は顔を上げた。
「つまり、改善していこうという方針で話し合っていた、ということですね」
「はい」
煌成は答えた。
「その話をしている最中に、警察の方が応接室へ来られました」
警察官は記録を終えると、煌成へうなずいた。
「分かりました。確認は以上です」
煌成が部屋を出たあと、警察官は再び玲司と詩乃に向き直った。
「現時点で、お二人を逮捕することはしません」
玲司と詩乃は、わずかに息をついた。
けれど、警察官の言葉はそこで終わらなかった。
「ただし、任意で事情聴取は続けます。関係資料をそろえたうえで、書類送検の手続きを進めることになるでしょう」
詩乃の表情が強張った。
「書類送検……」
警察官は静かに続けた。
「制度を作ったのがあなた方ではなかったとしても、その仕組みを運用していた責任は残ります。人魚本人の意思を確認せず、報告書上の同意だけで受け入れを続けていた。その点については、今後も確認が必要です」
玲司は、何も言い返せなかった。
警察官は資料を閉じる。
「現在、マーメイドラウンジでは捜索を行っています。運営資料、紹介契約、紹介料の流れ、人魚本人の同意確認の記録。その他、関係する資料があれば、提出してください」
玲司は低い声で答えた。
「分かりました。こちらで保管している資料は、すべて提出します」
「従業員の名簿も、すべて提出してください。受付、ラウンジスタッフ、搬入口に関わった者、紹介者と連絡を取っていた者。関係者は全員確認します」
「分かりました。名簿と勤務記録も提出します」
詩乃も続けた。
「私の方で把握しているスタッフの記録も、すべて出します」
警察官は静かにうなずいた。
「それから、水槽の中にいる人魚たちについても、一人一人、事情聴取を行っています」
詩乃が顔を上げる。
「人魚たちに、ですか」
「はい。誰に連れてこられたのか。人生交換をしたことがあるのか。あるなら、誰と人生交換をしたのか。本人がここに残ることを望んでいるのか。竜宮城へ帰りたいのか。そういった事情を確認します」
玲司は言葉を失った。
今まで、数字として見ていた人魚たち。
紹介数、稼働率、売上、顧客満足度。
その一人一人に、初めて外から声が届いていた。
「それから、マーメイドラウンジについては営業停止となります」
詩乃が小さく息をのんだ。
「営業停止……」
「人魚の受け入れや紹介料の支払いに問題がある以上、営業を続けることはできません。中にいる人魚たちについては、警察立ち会いのもとで一時保護と確認を進めます」
玲司は目を伏せた。
「……分かりました」
詩乃も、膝の上で手を握りしめた。
マーメイドラウンジは、もう今までの形では続けられない。
二人は、その事実をようやくはっきり突きつけられていた。
その頃、マーメイドラウンジでは、人魚たち一人一人に警察官から事情聴取が行われていた。
誰に連れてこられたのか。
人生交換をしたことがあるのか。
あるなら、誰と人生交換をしたのか。
ここに残りたいのか、竜宮城へ帰りたいのか。
水槽の中にいた人魚たちは、順番に話を聞かれていた。
キラリは、水槽の中で不安そうに周りを見ていた。
「ワタル、警察っていう人たちに連れて行かれたの」
その言葉に、ミレナの表情が強張った。
リリアも静かにキラリを見る。
「理由を聞いたら、悪いことをしたからって言われたの。でも、ワタルは悪いことなんてしていないわ」
キラリは納得できないというように、首を振った。
「だって、ワタルは私を人間の世界に連れて行ってくれるって言ったの」
リリアは、その名前を聞いて小さく息を吐いた。
「この子も、ワタルに連れてこられたのね」
キラリは、リリアの言葉の意味が分からないようだった。
「ここで待っていたら、ワタルは迎えに来るよね?」
ミレナは何も言えなかった。
キラリは不安そうに続ける。
「ここにいたら、人間と体交換できるって聞いてついてきたの。人間になれば、ワタルと一緒にいられるでしょう?」
「人間と体を交換する?」
ミレナの声が、少し震えた。
「そうよ」
キラリはうなずいた。
「そうしたら、ワタルに触れられるでしょう? 人魚のままだと、ワタルに触れたらワタルがサンゴになっちゃうから」
ミレナは何も言えなくなった。
それは、自分が思っていたことと同じだった。
ワタルと触れ合いたい。
ワタルと一緒にいたい。
そのために、人間になりたい。
キラリは、まっすぐな声で言った。
「私、ワタルに愛してるって言われたの」
ミレナは言葉を失った。
「え……?」
キラリは少しだけ頬を赤くした。
「ワタルは、私のことを好きだって言ってくれたの。人魚の私が綺麗だって。人間になったら、ずっと一緒にいようって」
ミレナの顔から血の気が引いていく。
「私も……」
キラリがミレナを見る。
「私も、ワタルに愛してるって言われたの」
「え?」
今度はキラリの声が揺れた。
ミレナは唇を震わせながら続ける。
「ここで待っていたら迎えに来るって言われて……ずっと待っていたの」
キラリの表情が止まった。
「どういうこと?」
リリアが静かに口を開いた。
「私も、ずいぶん前に同じことを言われました」
キラリはリリアを見た。
「あなたも?」
「はい」
リリアの声は落ち着いていた。
けれど、その目は少し悲しそうだった。
「ここで待っていれば迎えに来る。人間になれば一緒にいられる。そう言われました」
キラリは何も言えなくなった。
ワタルは自分を愛している。
そう思っていた。
自分だけを見つけてくれたのだと思っていた。
けれど、目の前にいる二人も、同じ言葉を聞いていた。
「でも……」
キラリは小さく首を振った。
「だって、ワタルは私に優しかったの」
ミレナは目を伏せた。
「私にも、優しかったわ」
リリアも静かに言った。
「私にも、優しかったです」
キラリの瞳が揺れた。
優しかった。
愛してると言ってくれた。
迎えに来ると言ってくれた。
人間になれば一緒にいられると言ってくれた。
その言葉が、自分だけに向けられたものではなかった。
キラリは、ようやくその意味を少しだけ理解し始めていた。
「じゃあ……」
キラリの声が震えた。
「ワタルは、私だけに言ったんじゃないの?」
誰もすぐには答えられなかった。
ミレナは水槽の中で、自分の手を握りしめていた。
ワタルは、自分だけを見てくれていたのだと思っていた。
迎えに来ると約束してくれたのは、自分だけだと思っていた。
けれど、違った。
リリアにも。
キラリにも。
同じように優しくして、同じように愛してると言って、同じように待たせていた。
ミレナは、ようやく自分が見ようとしていなかった現実を見せられていた。
「私……」
キラリは混乱したまま、リリアとミレナを見比べた。
「私、ワタルに会えば分かると思うの。きっと何か理由があるのよね?」
リリアは、すぐには答えなかった。
キラリはまだ、よく状況が分かっていないようだった。
ワタルが捕まったことも。
自分が売られようとしていたことも。
愛してるという言葉が、自分だけに向けられたものではなかったことも。
すべてを一度に受け止めるには、あまりにも残酷だった。
その時、少し離れた場所で警察官が別の人魚に声をかけていた。
「次の方、こちらでお話を聞かせてください」
マーメイドラウンジの明るい照明の下で、人魚たちは一人ずつ事情を聞かれていく。
水の光だけが、静かに揺れていた。
マーメイドラウンジの仕組みは、玲司と詩乃が作ったものではありませんでした。
けれど、その仕組みを運用し、人魚たち本人の声を聞いてこなかった責任は残ります。
そして水槽の中では、ワタルを信じていたキラリ、ミレナ、リリアが向き合うことになりました。




