第88話 優は違います
ワタルたちの逮捕を受け、煌成たちは警察署へ向かいます。
現場にいた優も事情を聞かれていました。
けれど警察は、ワタルの証言から、優を共犯者の可能性があると見ていました。
警察署の一室で、翔は落ち着かない様子で座っていた。
隣にはレイナがいる。
煌成は冷静な表情を保っていたが、その目はいつもより鋭かった。
玲司と詩乃も、少し離れた席に座っている。
応接室に警察が来た時から、空気は一気に変わってしまった。
ワタル、いけすトラックの運転手、マーメイドラウンジ側で金を渡していた男、そして優。
現場にいた者として、優まで警察に連れて行かれていた。
翔は、その名前が出た時からずっと落ち着かなかった。
「優は違う」
翔が低い声で言った。
「ワタルの仲間じゃない」
警察官は、資料を見ながら落ち着いた声で答えた。
「その点についても、確認しています」
「確認って……」
翔は言葉を飲み込んだ。
感情的になれば、余計に話がややこしくなる。
それは分かっている。
けれど、優が一人で事情を聞かれていると思うと、黙っているのが難しかった。
警察官は資料を一枚めくった。
「ですが、ワタルはこう話しています」
翔の表情が強張る。
「優という男性は自分の友人で、今回、人魚を連れてくるのを手伝ってもらった、と」
「それは違います」
翔はすぐに言った。
けれど、それ以上の説明が続かなかった。
優は違う。
それだけは分かっている。
でも、警察に説明するには、感情だけでは足りない。
煌成が静かに口を開いた。
「優さんは、竜宮城で人魚の行方不明について知りました」
警察官の視線が、煌成へ向く。
「その後、私たちと一緒に調査をしていました。今回も、人魚を売るためではありません。ワタルの動きを探るために近づいていたのだと思います」
警察官は資料に目を落とした。
「ですが、現場では網を持ち、水槽を支え、いけすトラックにも同乗していました。こちらとしては、共犯者の可能性があると見ていました」
「そこだけを見れば、そう見えるのは分かります」
煌成は否定しなかった。
「ですが、優さんは人に強く主張することが得意ではありません。ワタルが近くにいる状況で、仲間に連絡することも、止めることもできなかったのでしょう」
翔は悔しそうにうつむいた。
レイナも唇を結んでいる。
警察官は、少し間を置いてから言った。
「その点については、本人にも確認しています」
しばらくして、別室から優が連れてこられた。
優は顔色が悪く、視線を上げられないまま立っていた。
「優」
翔が声をかける。
優は小さく顔を上げた。
「翔さん……」
声は弱かった。
警察官が静かに尋ねる。
「あなたは、なぜ網を持ったのですか」
優は小さく肩を揺らした。
「……キラリさんが、落ちたら危ないと思って」
その声は小さく、自信がなかった。
「ワタルさんに、網を持ってろって言われて……断れなくて……」
「水槽を支えた理由は?」
優は指先を握りしめた。
「水槽が揺れていたから……」
少し間を置いて、優は続けた。
「落ちたら、キラリさんが危ないと思いました」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
優はうつむいたまま、さらに小さな声で言った。
「でも……結果的に、手伝ってしまいました」
翔は息を止めた。
優は、人魚を売るつもりでそこにいたわけではない。
けれど、網を持った。
水槽を支えた。
トラックにも乗った。
自分でも、そのことを分かっている。
だからこそ、何も言えなくなっていたのだ。
「僕……止めなきゃいけなかったのに」
優の声が震えた。
「ワタルさんを、少しだけ友達みたいに思っていました。魚の話を聞いてくれて、港のことも教えてくれて……少しだけ、僕に近い人なのかもしれないって思っていました」
翔は何も言えなかった。
「だから、警察に捕まる前に、僕が止めなきゃいけなかったんです」
優は顔を上げられないまま続けた。
「でも、できませんでした」
その言葉が、部屋に静かに落ちた。
警察官は資料を見たまま、淡々と聞いていた。
優はしばらく黙っていた。
けれど、ふと思い出したように端末を握りしめる。
「あの……」
小さな声だった。
警察官が優を見る。
「僕の端末に、残っています」
「何がですか」
「人魚を助けようって、みんなで話していたチャットです」
優は自信なさげに、端末を差し出した。
「僕が、ワタルさんを手伝うために行ったんじゃないって……見てもらえたら、分かると思います」
警察官は端末を受け取り、内容を確認した。
画面には、竜宮城で聞いた人魚の行方不明の話、ワタルについて調べようとしていたやり取り、人魚たちを助けるために何ができるかを話し合っていた記録が残っていた。
煌成も静かに口を開いた。
「そのやり取りは、私も把握しています」
警察官が煌成を見る。
「優さんは、人魚を売る側ではなく、行方不明になった人魚たちを探す側として動いていました」
警察官はしばらく黙って文章を追っていた。
やがて、顔を上げる。
「確かに、人魚を助けようとしている内容ですね」
優は小さく息を吐いた。
けれど、確認はそこで終わらなかった。
警察官は端末を優に返しながら言った。
「このやり取りに出ている方々にも、確認を取らせてください。かすみさん、誠司さん、久美子さん、大地さん、早希さん。この五人と連絡を取ることはできますか」
優は端末を受け取り、小さくうなずいた。
「はい……」
煌成もすぐに答える。
「こちらからも連絡を取ります」
「お願いします。その方たちにも、優さんのことを確認したいので」
警察官の言葉に、翔は少しだけ力を抜いた。
少なくとも、優が一方的に共犯者として扱われる流れではなくなった。
優が人魚を助けようとしていたことは、端末の中に残っていた。
けれど、それで全てが終わったわけではない。
ワタルは優を友人だと言った。
優は実際に網を持ち、水槽を支え、トラックにも乗っていた。
警察が確認を続けるのは当然だった。
優はその場に立ったまま、端末を胸の前で握っていた。
翔はゆっくりと口を開いた。
「優は、ワタルとは違う」
優は顔を上げられなかった。
「でも、僕は……」
「違う」
翔の声は強かった。
けれど、怒っている声ではなかった。
「ワタルは人魚を利用した。優は止めようとしていた。そこは違う」
優は何も言えなかった。
煌成が静かに言う。
「できなかったことは、これから話せばいい。見たこと、聞いたこと、ワタルが何を言っていたか。優さんにしか話せないことがあります」
レイナも続けた。
「キラリさんを助けるためにも、あなたが見たことは必要になります」
優はゆっくりとうなずいた。
まだ、顔は上げられない。
それでも、ほんの少しだけ、息を吸えたように見えた。
一方、別室では、玲司と詩乃への事情聴取も始まっていた。
マーメイドラウンジは、なぜ人魚を受け入れていたのか。
紹介料はどのように支払われていたのか。
人魚たちの同意を、誰が確認していたのか。
警察官の問いに、玲司と詩乃はすぐには答えられなかった。
二人は営業を見ていた。
数字を見ていた。
けれど、水槽の中にいた人魚たちの声を、直接聞いてはいなかった。
その事実が、警察署の白い壁の中で、改めて重くのしかかっていた。
そして、同じ頃。
マーメイドラウンジでは、一時的に保護されたキラリが水槽の中にいた。
その前にいたのは、リリアとミレナだった。
ワタルを信じていた人魚。
ワタルを待っていた人魚。
そして、ワタルに騙されたことを知った人魚。
三人の話は、まだ始まったばかりだった。
優は、ワタルの共犯者として疑われました。
けれど、端末に残っていたやり取りから、仲間たちと人魚を助けようとしていたことが分かり始めます。
一方で、玲司と詩乃への事情聴取も始まり、マーメイドラウンジの問題はさらに深く掘り下げられていきます。




