第87話 応接室に来た警察
マーメイドラウンジの人魚たちをどう救うのか。
玲司と詩乃は、煌成たちとともに、今後の対応を考え始めます。
けれど、その話し合いの途中で、応接室の扉が開きます。
これからのマーメイドラウンジをどうするのか。
玲司、詩乃、レイナ、翔、煌成の五人での話し合いは、まだ終わっていなかった。
紹介契約を止める。
紹介料の流れを確認する。
水槽の中にいる人魚たちの声を聞く。
そこまでは決まった。
けれど、その先にある問題は、もっと複雑だった。
「まずは、一人一人に希望を聞く必要がありますね」
詩乃が言った。
「竜宮城へ帰りたい人魚がいるなら、その希望を尊重するべきです」
玲司も静かにうなずく。
「海に帰すことも検討します。少なくとも、帰る場所がある人魚をこちらの都合で引き止めることはできません」
「そうですね」
煌成は答えた。
「ただ、全員が同じ事情ではないはずです」
翔が少し身を乗り出す。
「元から人魚だった人と、人間から人魚になった人では、望んでいることも違うでしょう」
「はい」
煌成はうなずいた。
「元人間の人魚たちは、元の身体に戻りたいと思っているかもしれません」
レイナの表情が重くなる。
「でも、その身体を持っていった元の人魚が、どこにいるか分からない場合もありますよね」
詩乃は息を止めたように黙った。
玲司も、すぐには答えられなかった。
人生交換。
その言葉は、ただ体を交換するというだけではない。
誰かの人生を持っていき、誰かの人生を置き去りにすることだった。
「その場合は、探すしかありません」
煌成は静かに言った。
「探偵を使う。契約記録を追う。交換に関わった施設や人物を調べる。できることはあります」
玲司は低い声で言う。
「ですが、時間がかかりますね」
「はい」
「その間、元人間の人魚たちは、ここに残ることになる」
「本人が望むなら、一時的な保護という形になるかもしれません。ただし、今までのように働かせるのとは別です」
煌成の言葉に、玲司は深くうなずいた。
「保護と労働は分けるべきですね」
詩乃は、少し苦しそうに目を伏せた。
「当然のことなのに、私たちはそこを曖昧にしてきたのかもしれません」
「ラウンジとしては、どうなりますか」
レイナが尋ねた。
「もし、人魚たちの多くが帰りたいと言ったら」
その問いに、玲司と詩乃は同時に黙った。
マーメイドラウンジ。
それは、マーメイドエリアの中でも特別な場所だった。
水槽の中を泳ぐ本物の人魚。
幻想的な照明。
水中から客を見つめる美しい姿。
それが、この場所の大きな価値だった。
詩乃は小さく息を吐いた。
「正直に言えば、かなり厳しくなります」
玲司も続ける。
「マーメイドラウンジは、人魚がいることを前提に作られた施設です。人魚がいなくなれば、集客力は大きく落ちます」
「今まで人魚が目玉だったのに、ですか」
翔が言うと、玲司は否定しなかった。
「はい。そこを変えなければ、経営は成り立たなくなるでしょう」
詩乃は手元を見つめた。
「でも、だからといって、帰りたい人魚を引き止めるわけにはいきません」
「そこは、絶対に間違えてはいけないところです」
煌成は静かに言った。
「人魚がいるから価値があるのではなく、人魚を苦しめなくても価値がある場所に変えるべきです」
玲司が顔を上げる。
「人魚に頼らない価値、ですか」
「はい」
煌成は少し考えてから続けた。
「たとえば、水槽そのものを舞台にすることはできます」
「舞台?」
「本物の人魚を閉じ込めるのではなく、女優や演者に水槽の中で演技をしてもらう。魔法や照明、映像を組み合わせて、水中劇のようなショーにする」
詩乃の表情が少し動いた。
「水中劇……」
「人魚に見える衣装や演出を使えば、幻想的な空間は作れます。本物の人魚に頼らなくても、物語や演技で客を惹きつけることはできるはずです」
玲司は腕を組んだ。
「つまり、見世物として本物の人魚を置くのではなく、エンターテイメントとして作り直す」
「そうです」
煌成はうなずいた。
「他にはないショーにすればいい。人魚たちの犠牲の上に成り立つ場所ではなく、演者が自分の意思で参加できる場所にするんです」
詩乃はしばらく黙っていた。
その後、静かに口を開く。
「簡単ではありませんね」
「はい」
「でも、必要なことです」
詩乃の声には、先ほどまでとは違う強さがあった。
「マーメイドラウンジは、変わらなければいけません」
玲司も深くうなずいた。
「まずは、現場の人魚たちに話を聞きます。そのうえで、帰還、保護、身体交換の相手探し、示談、賠償、すべてを整理しましょう」
「お願いします」
煌成が言った。
その時だった。
応接室の扉が、強く開いた。
全員が一斉に振り向く。
入ってきたのは、警察官たちだった。
玲司の表情が変わる。
詩乃も立ち上がりかけたまま、動きを止めた。
先頭にいた警察官が、室内を見回す。
「マーメイドラウンジの責任者はどなたですか」
玲司がゆっくりと立ち上がった。
「営業責任者は私です。こちらの詩乃も、マーメイドエリアの営業に関わっています」
警察官は玲司を見る。
「先ほど、人魚の違法取引に関わった者を現行犯逮捕しました」
応接室の空気が凍った。
「人魚の違法取引……」
詩乃が小さくつぶやく。
「ワタルという漁師、いけすトラックの運転手、そしてマーメイドラウンジ側で金銭を渡していた男を押さえています」
警察官は、そこで一度言葉を切った。
「それから、もう一人。優という男性も現場にいましたので、現在事情を聞いています」
「優が?」
翔の顔色が変わった。
レイナも息をのむ。
「優さんは、ワタルの仲間ではありません」
翔がすぐに言った。
「それを確認するためにも、事情を聞く必要があります」
警察官は淡々と答えた。
玲司は一瞬、煌成たちを見た。
詩乃も同じように、レイナと翔へ視線を向けた。
その視線には、戸惑いと疑いが混じっていた。
まさか。
この人たちが、裏で警察に連絡していたのか。
そんな空気が、応接室に流れる。
煌成は、それを察した。
「私は警察には連絡していません」
玲司の目が、わずかに揺れる。
「……では、誰が」
「分かりません」
煌成は静かに答えた。
「少なくとも、私はまだ警察へ通報していません」
翔も続けた。
「俺もしていません」
レイナも首を振る。
「私もです」
詩乃は言葉を失った。
警察官は、そのやり取りを待たずに続ける。
「事情を聞く必要があります。署まで同行をお願いします」
玲司は一度目を閉じた。
そして、覚悟を決めたように顔を上げる。
「分かりました」
詩乃も静かにうなずいた。
「私も同行します」
警察官は玲司と詩乃を見たあと、煌成たちにも視線を向けた。
「こちらの方々にも、関係者としてお話を伺います」
煌成はすぐに答えた。
「私も行きます」
翔が顔を上げる。
「俺も行きます」
レイナも続けた。
「私も同行します」
警察官はうなずいた。
「では、準備をお願いします」
その時、別の警察官が一歩前に出た。
「それと、もう一つお願いがあります」
玲司が聞き返す。
「何でしょうか」
「先ほど保護したオレンジ色の人魚についてです」
詩乃の表情が変わった。
「オレンジ色の人魚……」
「取り調べの間、こちらの施設で一時的に預かっていただけませんか」
「こちらで、ですか?」
「警察署には、人魚を安全に預かるための設備がありません。海水の管理も、水槽も必要になります」
警察官は淡々と言った。
「もちろん、警察の立ち会いのもとで管理していただきます。勝手に移動させたり、外部の者と接触させたりすることはできません」
玲司はすぐにうなずいた。
「設備はこちらで用意できます」
詩乃も表情を引き締めた。
「その人魚が安全に過ごせる場所を確保します」
警察官に案内され、玲司たちは応接室の外へ出た。
廊下の向こうに、簡易的に用意された水槽があった。
その中に、オレンジ色の髪の人魚がいた。
キラリだった。
水槽の中で、キラリは不安そうに周囲を見回している。
先ほどまで信じていたものが、突然崩れたような顔をしていた。
「あれ……ワタルは?」
小さな声が、水槽の中から聞こえた。
警察官は少しだけ表情を和らげた。
「ワタルという男は、警察に連れて行きました」
「え……?」
キラリの顔から、少しずつ血の気が引いていく。
「どうして? ワタルは、私を人間の世界に連れて行ってくれるって……」
「その件について、事情を聞く必要があります」
警察官は言葉を選ぶように続けた。
「彼は、悪いことをした疑いで捕まりました」
「悪いこと……?」
キラリは信じられないというように首を振った。
「ワタルが……?」
誰も、すぐには答えられなかった。
煌成は、水槽の中のキラリを見た。
夢を信じて、ここまで来た人魚。
人間の王子さまに会えると信じていた岩場。
その先にあったのは、人間の世界ではなかった。
取引の現場だった。
キラリはまだ、何が起きたのか分かっていない。
ワタルが自分を利用したことも。
自分が売られようとしていたことも。
そのすべてを受け止めるには、まだ時間が必要だった。
詩乃は静かに目を伏せた。
玲司も、何も言えなかった。
マーメイドラウンジの光は、いつも通り美しく揺れている。
けれど、その美しさの中で、また一人の人魚が傷ついていた。
話し合いは、もう応接室の中だけでは済まなくなっていた。
マーメイドラウンジの今後について話し合っていた応接室に、警察が訪れます。
ワタルたちが逮捕されたことで、事態は一気に表へ出ることになりました。
そして、ワタルを信じていたキラリは、まだ現実を受け止めきれずにいます。




