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第81話 竜宮城をあとにして

竜宮城ホテルでの話し合いを終え、かすみたちは陸上へ戻ることになります。


リリアは家族に見送られながら、もう一度竜宮城へ帰ることを約束します。


その頃、陸上の港では、優が漁師との距離を少しずつ縮めていました。

竜宮城ホテルでの話し合いを終えた翌日。


かすみたちは、陸上へ戻ることになった。


真珠色の光に包まれた広間には、リリアの家族と長老が待っていた。


リリアは、人間の姿のまま人魚の母と向き合っていた。


触れることはできない。


母も、それを分かっている。


それでも、母はリリアから目をそらさなかった。


マーメイドラウンジの水槽へ戻ったあと、仲間たちがリリアを出すための作戦を立ててくれている。


希望はある。


けれど、その作戦が必ず成功するとは限らない。


もし失敗すれば、もう二度と竜宮城へ帰れないかもしれない。


だからリリアは、この時間をただの見送りだとは思えなかった。


最後になるかもしれない。


その思いを胸の奥に押し込めながら、リリアは母を見つめた。


「お母さま、元気でね。お父さまも、ミリアも」


リリアは、できるだけ笑おうとした。


母は涙をこらえながらうなずいた。


「あなたもよ、リリア。必ず帰ってきて」


父も静かに言った。


「待っている」


ミリアは泣きそうな顔で、リリアの名を呼んだ。


「お姉ちゃん……」


リリアは、ミリアへ手を伸ばしかけた。


けれど、その手は途中で止まった。


人間の姿のリリアは、人魚である家族に触れることができない。


リリアはそっと手を下ろした。


「また、必ず竜宮城へ来ます」


その言葉は、家族へ向けたものでもあり、自分自身へ言い聞かせるものでもあった。


長老は、かすみたちへ深く頭を下げた。


「リリアを連れてきてくれて、ありがとう」


かすみは首を横に振った。


「まだ、終わっていません。必ずまた来ます」


長老は静かにうなずいた。


「待っておる」


海底移動艇の扉が開いた。


まず早希が乗り込み、大地が続いた。


レイナと翔も静かに中へ入る。


かすみは一度リリアを振り返ってから、煌成とともに移動艇へ乗った。


リリアは、まだその場に残っていた。


少しでも長く、竜宮城の灯りを見ていたかった。


母の顔。


父の声。


ミリアの泣きそうな瞳。


長老の静かなまなざし。


そのすべてを、胸に刻みたかった。


誠司は、リリアの隣で待っていた。


急かすことはしない。


ただ、リリアが歩き出すまで、同じ場所に立っていた。


「行きましょうか」


誠司がそっと声をかける。


リリアは小さくうなずいた。


そして最後に、誠司と一緒に海底移動艇へ乗り込んだ。


扉が閉まる直前、リリアはもう一度だけ竜宮城を見た。


触れられない距離。


けれど、確かに帰る場所。


竜宮城の灯りが、ゆっくり遠ざかっていった。



その頃、陸上の港では、優が漁師の手伝いをしていた。


かすみたちが竜宮城へ向かう前から、優は何度もこの港へ通っていた。


最初は、魚屋の仕事の延長だった。


けれど、何度も顔を出しているうちに、港の人間とも少しずつ顔なじみになっていった。


普通の世間話や噂話は、優にとって得意なものではない。


誰が誰と仲がいいとか、誰がどこで何をしていたとか、そういう話になると、どう返せばいいのか分からなくなる。


けれど、魚の話なら違った。


魚の種類や鮮度の見分け方。


釣れる時間。


魚の料理の仕方。


焼くならどの魚がいいか、煮付けに向いている魚はどれか、汁物にすると旨味が出る魚は何か。


そういう話なら、漁師とも、市場の人とも、魚屋の客とも、分け隔てなく話すことができた。


魚の話は、優にとって人とつながるための数少ない言葉だった。


その日も、優は港でいつもの漁師の手伝いをしていた。


かすみたちが竜宮城で過ごしている間も、優は港へ通い続けていた。


そのせいか、漁師の男は以前よりも優に気を許すようになっていた。


「お前、案外使えるな」


仕事がひと段落したあと、漁師がそう言った。


優は少し困ったように笑った。


「そうですか?」


「ああ。最初はもっと使えないと思ってた」


「ひどいですね」


「本当のことだろ」


漁師は笑って、港の端に腰を下ろした。


夕方の港には、潮の匂いと魚の匂いが混ざっていた。


優も少し離れて腰を下ろす。


漁師は、しばらく海を見ていた。


「お前、魚屋で働いてるんだったな」


「はい」


「給料、安いだろ」


優は苦笑した。


「まあ、高くはないです」


「だろうな。魚屋なんか、まじめに働いたって大して金にならねえ」


漁師の声には、どこか馬鹿にしたような響きがあった。


優は黙っていた。


「お前、この世界に来る前は何してたんだっけ」


「……何もしていませんでした」


優は、少しだけ視線を落とした。


「小学校の頃、仲間外れにされて、それで不登校になりました。そのまま引きこもって……しばらくニートでした」


漁師は、優の方を見た。


「へえ」


「みんなが普通に学校へ行って、友達を作って、恋愛して、将来の話をしているのに、自分だけそこに入れない感じはありました」


漁師は、少しだけ口元を歪めた。


「やっぱり、お前、俺と似てるな」


「そうですか?」


「ああ。俺は、お前のこと気に入った」


漁師は海を見たまま言った。


「俺は昔から、世間の端っこだった。金もない。家に余裕もない。親は借金を残す。俺は漁師なんかやりたくなかったのに、結局、漁師を継ぐしかなかった」


優は黙って聞いていた。


「都会のやつらはいいよな。生まれた時から恵まれて、きれいな服を着て、好きな仕事を選んで、自由に暮らしてる」


漁師の声が低くなる。


「こっちは、選ぶ前から決まってたんだよ。海に出るしかない。家の借金を返すしかない。そんな人生、誰が好きで選ぶかよ」


優は、漁師の横顔を見た。


そこには、長い間こびりついていたような怒りがあった。


「最初から持ってるやつらが、夢だの、自由だの、愛だの、恋だの言ってるのを見るとさ、腹が立つんだよな」


優は、その言葉にすぐには返事をしなかった。


分からないわけではない。


自分だけ外側にいるような感覚は、優にもあった。


「……その気持ちは、少し分かります」


優は静かに言った。


「僕も、夢とか恋愛とか、そういう話は苦手でした」


漁師が、優を見る。


「周りは好きだの恋愛だの言っていましたけど、僕は魚の方が好きでした」


「魚?」


「はい。魚は裏切らないので」


漁師が少し笑った。


優は海の方を見た。


「魚釣りなら、一人でできます。誰かに合わせなくても、自分のペースで待てる。釣れた時は、ちゃんと嬉しい」


漁師は、しばらく優を見ていた。


そして、低く笑った。


「やっぱり、お前と俺、気が合うな」


優は曖昧に笑った。


漁師は少し声を落とした。


「なあ、優。いい金稼ぎがある」


優は、ゆっくりと顔を上げた。


「いい金稼ぎ、ですか?」


「ああ」


漁師は海を見たまま続けた。


「俺は両親が残した借金で困っていた。でも、その仕事を始めてから、借金を返すことができた」


優の胸の奥で、何かが静かに動いた。


それでも、表情は変えなかった。


「そんなに稼げるんですか?」


「稼げる。普通の漁なんか比べものにならねえ」


「でも、危ない仕事なんじゃないですか?」


「危なくない仕事で大金が入ると思うか?」


漁師は笑った。


「でも、お前なら向いてるかもしれない。余計なことを言わなそうだし、魚の扱いも悪くない」


優は、迷っているふりをして少し黙った。


ここで警戒していると悟られたら、話は終わる。


誠司から聞いていたリリアの話に、この漁師の言葉が近づいている。


優はそう感じていた。


「僕に、できるんですか?」


優が小さく尋ねると、漁師は満足そうに笑った。


「できるように教えてやるよ」


「どんな仕事なんですか?」


「普通の漁じゃない。けど、海に出る仕事には変わりない」


漁師は、優の肩を軽く叩いた。


「お前も、俺と一緒に稼いだら、もっとのんびりできるぞ。いつまでも、あんな給料の安い魚屋で働いてなくていい。やめてしまえばいいんだ」


優は、少し考えるふりをした。


「……楽に暮らせるなら、それはいいですね」


「だろ?」


漁師の目に、薄い光が差した。


「次、時間あるか?」


「あります」


「じゃあ、今度連れていってやる」


「どこへですか?」


漁師は、海の向こうを見て笑った。


「金になるものがある場所だ」


優は何も知らないふりをしてうなずいた。


「分かりました」


漁師は立ち上がった。


「やっぱり、お前と俺は気が合うな」


優も笑った。


けれど、心の中では別の言葉をつぶやいていた。


来た。


ようやく、近づける。


漁師が何を運んでいるのか。


誰に渡しているのか。


どこへ向かっているのか。


証拠をつかむために、優はその誘いに乗るしかなかった。


読んでくださりありがとうございます。


竜宮城をあとにしたリリアたち。


触れられない家族との別れと、陸上側で静かに進んでいた優の調査。


それぞれの場所で、物語が少しずつ動き始めています。

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