第80話 希望を捨てないで
竜宮城ホテルで、リリアは家族と再会しました。
その裏で、かすみたちはマーメイドラウンジの問題について話し合います。
翌朝、長老を交えた話し合いが始まり、人魚たちを救うために、それぞれが動き出すことになります。
翌朝。
竜宮城ホテルの応接室には、かすみたちと長老が集まっていた。
長老の隣には、桃色の髪の人魚と、青い髪の人魚も控えている。
かすみ、煌成、誠司、リリア、レイナ、翔、早希、大地。
八人は、大きな丸いテーブルを囲むように座っていた。
リリアは、誠司の隣に座っている。
前の日、家族と再会したリリアの表情には、まだ泣いたあとの名残があった。
けれど、前よりも少しだけ落ち着いて見えた。
長老は、ゆっくりと全員を見渡した。
「昨日は、リリアから詳しい話を聞かせてもらいました」
長老の声は穏やかだった。
けれど、応接室の空気は重かった。
「ミレナのこと。他の人魚たちのこと。マーメイドラウンジで起きている体交換のこと。どれも、竜宮城として見過ごせる話ではありません」
リリアは、膝の上で手を握りしめた。
長老は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「竜宮城には、古くから守ってきた宝があります」
かすみたちは、長老を見た。
「それをお金に変えれば、ミレナやリリア、そして他の人魚たちを戻してもらうことはできないでしょうか」
リリアは、長老を見つめた。
竜宮城の宝。
長い時間をかけて守られてきたもの。
それを手放してでも、人魚たちを救おうとしている。
長老の声には、切実な願いがにじんでいた。
「本来、人魚をお金で取り戻すなど、あってはならないことです。けれど、今すぐ助けるために必要なら、竜宮城としてできることをしたいのです」
煌成は、すぐには答えなかった。
長老の気持ちは分かる。
けれど、その方法だけでは危うい。
「長老。そのお気持ちは分かります」
煌成は静かに言った。
「ですが、お金を払って取り戻すだけでは、また同じことが起きる可能性があります」
長老が煌成を見る。
「同じこと……」
「はい。人魚を連れて行けば高く売れる。竜宮城はお金を払ってでも取り戻す。そう思われれば、次の被害者が出るかもしれません」
応接室の空気が重くなった。
翔が低く言った。
「買い戻すだけじゃ、相手の商売を成立させることになるってことか」
煌成はうなずいた。
「そうです。だから、まず証拠が必要です。漁師が人魚を高額で引き渡した証拠。マーメイドラウンジ側がそれを知っていた証拠。人魚が自由に帰れない状態に置かれている証拠」
長老は、静かに聞いていた。
煌成は続けた。
「救うためのお金が必要になる場面はあるかもしれません。でも、お金だけで終わらせるのではなく、交渉、責任追及、今後同じことを起こさない仕組みまで考えなければいけません」
長老は、深く息を吐いた。
「……確かに、その通りですね」
かすみは、長老を見た。
「竜宮城の宝を使うとしても、人魚を買い戻すためだけではなく、助けた後に安全に帰れる場所を整えるために使った方がいいのかもしれません」
煌成もうなずいた。
「はい。救済資金として使うなら意味があります。ただ、相手の要求通りに払うだけでは危険です」
長老は、しばらく考え込んでいた。
そして、かすみたちへ向き直る。
「私たち人魚は、欲望区へ直接向かうことができません」
かすみは、静かに長老を見た。
「欲望区に入れないんですね」
「はい。人魚が欲望区へ入れば、また狙われる危険があります。ミレナや他の人魚たちを救いたい気持ちはあります。けれど、私たちだけでは動けないのです」
長老は、かすみたちへ深く頭を下げた。
「そこで、お願いがあります」
応接室の空気が、静かに変わった。
「あなた方に、竜宮城の代理として、欲望区側と交渉していただきたいのです」
かすみは、すぐには返事ができなかった。
それは、軽く引き受けられる話ではなかった。
欲望区。
マーメイドラウンジ。
玲司と詩乃。
漁師。
体交換された人魚たち。
あまりにも多くの問題が絡んでいる。
煌成が、静かに口を開いた。
「分かりました。ただ、交渉するには、やはり証拠が必要です」
長老が煌成を見る。
煌成は、長老へ向き直った。
「昨日、私たちの間でも話しました。漁師が人魚を甘い言葉で連れ出し、水槽で運び、マーメイドラウンジへ高額で引き渡しているのなら、これは普通の商売ではありません」
長老は、静かに聞いていた。
煌成は続けた。
「ただで連れてきた人魚を、高額で売る。そして、その後も人魚は水槽に閉じ込められ、接客をさせられる。得たお金が人魚本人に入るわけでもない」
応接室の空気が重くなる。
桃色の髪の人魚も、青い髪の人魚も、言葉を失っていた。
「いくら欲望区でも、これは違法だと思います。表に出れば、マーメイドラウンジは営業停止になる可能性が高い」
長老は、重くうなずいた。
「やはり、そうなりますか」
「はい。ただ、いきなり表に出すことが、必ずしも最善とは限りません」
煌成は、少し間を置いた。
「中には、人間になった元人魚もいる。体交換をした人魚もいる。今さら元に戻すのが難しい人魚の体もある。マーメイドラウンジをただ潰せばいいという話ではありません」
大地が腕を組んだ。
「中にいる人魚たちがどうなるか分からないからな」
「そうです」
煌成はうなずいた。
「だから、証拠を掴んだ上で交渉する必要があります。人魚を解放すること。ミレナを竜宮城へ返すこと。体交換の整理に協力すること。今後は本人の意思、休暇、里帰りを含めた形に変えること」
早希が言った。
「そこまで相手が飲めば、示談で終わらせる道もある」
「そうです」
煌成の声が少し低くなった。
「飲まなければ、処罰してもらうしかありません」
応接室の中が静かになった。
レイナは、膝の上で手を握った。
しばらくして、ゆっくり顔を上げる。
「私たちも協力します」
翔がレイナを見た。
レイナは続けた。
「正直に言えば、怖いです。私たちの立場も悪くなるかもしれません。今の暮らしも、身分も、失うかもしれません」
それでも、レイナの声は逃げていなかった。
「でも、もう見なかったことにはできません」
翔も、静かにうなずいた。
「俺も同じだ。社内で調べられるものは調べます。マーメイドラウンジの契約や、人魚に関わる記録が残っているかもしれない」
レイナは、少し迷ってから言った。
「玲司さんと詩乃さんとも、話そうと思います」
その言葉に、応接室の空気が少し張りつめた。
玲司と詩乃。
欲望区でレイナと翔を引き上げた存在。
そして、マーメイドラウンジにも関わっている人物たち。
その二人に話をすることは、簡単なことではなかった。
煌成は、静かにレイナと翔を見た。
「レイナさん、翔さん」
「はい」
「二人だけで動くのは危険です」
レイナの表情が固くなる。
煌成は続けた。
「あなたたちが先に玲司さんと詩乃さんへ話せば、二人の立場が悪くなりすぎるかもしれません。内部から問題を持ち出したと見られれば、守られなくなる可能性もあります」
翔は、唇を結んだ。
「じゃあ、どうすれば……」
「まず、僕を玲司さんと詩乃さんに会わせてもらえませんか」
煌成の声は落ち着いていた。
「交渉は、僕が前に出ます。二人には、社内で調べられる範囲の情報を集めてもらいたい。ただし、無理はしないでください。証拠を集めることも大事ですが、二人の立場を失わせるために動くわけではありません」
レイナは、驚いたように煌成を見た。
「私たちを……守るためですか?」
「そうです」
煌成は静かにうなずいた。
「人魚を助けるために、レイナさんと翔さんを犠牲にするのは違います」
翔は、少しだけ顔を伏せた。
そして、ゆっくりうなずいた。
「分かりました。玲司さんと詩乃さんに会えるようにします」
レイナも続けた。
「私たちも、調べられることを調べます。でも、先に煌成さんに会ってもらう形にします」
かすみは、二人を見つめた。
レイナと翔は、欲望区で生きるために、自分たちの利益を優先してきた。
けれど今、二人は違う方を見ようとしている。
怖くても。
失うものがあっても。
それでも、誰かを助けるために動こうとしていた。
大地も、しばらく考え込んでいた。
そして、静かに口を開いた。
「俺は、もう一回うちの会社の水槽トラックを調べてみます」
かすみが大地を見る。
「水槽トラック……」
「はい。いつ、誰が、どこまで、何を運んだのか。記録が残っているかもしれません」
大地の表情は、いつもより真剣だった。
「人魚を船から車の水槽へ移したって話がありましたよね。もしかしたら、その漁師に、うちの会社のトラック運転手が関わっているかもしれない」
応接室の空気が、さらに重くなる。
早希が大地の方を見た。
「私も一緒に確認します。運行記録、搬入先、時間帯、担当者。見落としがないようにしましょう」
大地はうなずいた。
「助かる。社内の記録だけじゃなくて、運転手本人に話を聞く必要が出るかもしれない」
煌成は、静かに言った。
「それは重要な証拠になる可能性があります」
大地は、少し苦い顔をした。
「もし、うちの会社のトラックが人魚の輸送に使われていたなら、俺も他人事じゃありません」
早希は、落ち着いた声で言った。
「だからこそ、先に確認しましょう。知らないまま動くより、事実を押さえた方がいいです」
大地は深くうなずいた。
「ああ。俺は俺で、できることをやります」
長老は、かすみたちの話を静かに聞いていた。
その表情には、深い悲しみと、わずかな希望が混ざっていた。
「竜宮城だけでは、ここまで具体的には動けなかったでしょう」
長老は、ゆっくりと言った。
「みなさんにお願いするしかないことを、心苦しく思います」
かすみは首を横に振った。
「リリアさんやミレナさんだけの問題ではないと思います」
煌成もうなずいた。
「そうですね。これは人魚全体の問題です。欲望区側と交渉するには、こちらも役割を分ける必要があります」
かすみが指折りながら確認する。
「優さんから漁師情報を聞く。大地さんと早希さんが水槽トラックを調べる。レイナさんと翔さんは社内で調べられることを調べる。玲司さんと詩乃さんには、先に煌成さんが会う」
「はい」
煌成は答えた。
「そして長老側には、竜宮城に残っている情報を整理してもらいたいです。行方不明になった人魚の名前、時期、残された持ち物、最後に目撃された場所。その情報は、交渉にも調査にも必要になります」
長老は、すぐにうなずいた。
「分かりました。こちらで整理しましょう」
桃色の髪の人魚と青い髪の人魚も、深く頭を下げた。
「承知いたしました」
話し合いは、少しずつ形になっていった。
まだ答えは出ていない。
けれど、誰が何をするのかは見えてきた。
その時、長老が静かにリリアと誠司を見た。
「それから、リリアと誠司さんのことです」
リリアの手が、膝の上で止まった。
誠司も姿勢を正す。
長老は、少し間を置いてから言った。
「リリアが本当に人間になることを望むのなら、方法がないわけではありません」
リリアは、一瞬頭が真っ白になり、言葉が出なかった。
「私が……人間に……?」
「はい」
長老はうなずいた。
「禁断魔法を使えば、人魚を人間にすることはできます」
応接室の空気が、静かに変わった。
リリアは、長老を見つめたまま動けなかった。
誠司も、すぐには何も言えなかった。
けれど、長老の表情は明るくはならなかった。
「ただし、それは簡単なものではありません」
長老は続けた。
「禁断魔法を使うには、海底の奥にある海底神殿の神様の許可が必要です」
かすみが、小さく聞き返した。
「海底神殿……」
「はい。竜宮城よりもさらに深い場所にある、古い神殿です」
長老の声が重くなる。
「そこで神様の許可が下りれば、リリアは人間になり、誠司さんと結ばれる道が開けます。人間として生き、結婚することもできるでしょう」
リリアは、何も言えなかった。
希望だった。
けれど、あまりにも遠い希望だった。
長老は、現実を告げるように続けた。
「そのためには、海底神殿ミッションをクリアしなければなりません」
早希が、表情を引き締めた。
「ミッション……」
「とても難しいミッションです」
長老は、八人を見渡した。
「今の君たちでは、まだクリアできません」
応接室に、重い沈黙が落ちた。
希望はある。
けれど、今すぐ届く場所にはない。
リリアは、膝の上で手を握りしめた。
誠司は、リリアの方を向いた。
「リリアさん、希望を捨てないでください」
リリアは、何も言えずに誠司を見た。
誠司の声は、静かだった。
けれど、まっすぐだった。
「美波さんに体を返せば、リリアさんは一時的にマーメイドラウンジの水槽に戻ることになると思います」
その言葉に、リリアの胸が痛んだ。
けれど、誠司は続けた。
「でも、必ず水槽から出します。まずは竜宮城へ連れて帰ります」
リリアの瞳が揺れた。
「そして、その後で、俺たちはもっと強くなります。レベルを上げて、海底神殿ミッションをクリアします」
誠司は、リリアをまっすぐ見た。
「その時、リリアさんが望むなら、人間になれるようにします」
リリアは、言葉が出なかった。
人魚に戻れば終わりだと思っていた。
美波に体を返せば、マーメイドラウンジの水槽に戻る。
誠司とはもう触れ合えない。
二度と故郷へ帰れなくなる。
そう覚悟していた。
けれど、誠司は終わりにしようとしていなかった。
「俺は、諦めません」
誠司は静かに言った。
「リリアさんが望む未来を、一緒に探します」
竜宮城ホテルの応接室に、静かな光が揺れていた。
すぐに届く希望ではない。
けれど、道は消えていなかった。
リリアは震える手で、そっと誠司の手を握った。
「……はい」
小さな返事だった。
けれど、その声には、確かに生きる力が戻っていた。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、長老を交え、人魚たちを救うための話し合いが始まる回でした。
欲望区へ戻れば、リリアは美波に体を返すことになります。
けれど、誠司はまだ希望を捨てていません。




