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第76話 竜宮城跡地へ

沈没船ミッションを越えた八人は、海底移動艇で竜宮城跡地へ向かいます。


かつて滅びた海の国に残っていたもの。


そして、そこでリリアを待っていたものとは――。

海底移動艇の窓の向こうで、深い青の世界がゆっくりと流れていた。


沈没船のあった海域を越えると、海の色は少しずつ深くなっていった。


光は遠くなり、海の底へ向かうほど静けさが増していく。


魚影が通り過ぎるたびに、竜宮城跡地へ近づいていることを思い知らされた。


「……本当に、海の奥へ向かってるんだな」


翔が窓の外を見ながらつぶやいた。


隣に座るレイナも、いつものように軽く笑うことができなかった。


「竜宮城って、もっときれいな観光地みたいな場所を想像してた」


「跡地って出てたからな。たぶん、そんな雰囲気じゃない」


翔の言葉に、レイナは小さくうなずいた。


海底移動艇の中には、八人が乗っていた。


早希、大地、翔、レイナ、リリア。


前衛に立つ五人。


誠司、かすみ、煌成。


後ろから支える三人。


端末には、次の表示が出ている。


【目的地:竜宮城跡地】


【海底移動艇で指定座標へ向かっています】


【到着後、海底廃宮調査ミッションを開始します】


かすみは薬袋を確認しながら、静かに息を整えていた。


「水中活動補助魔法Ⅱは、到着前に全員へかけます。前回より長く持つはずですが、状態異常が多い場所だと思うので、無理はしないでください」


「了解」


早希が短く答える。


大地は盾を膝の上に置き、持ち手の感触を確かめていた。


「今回は俺が正面で受ける。翔、お前は右側から抜けろ。レイナは左とリリアさんの援護。早希は全体指揮でいいな」


「うん。それでいこう」


早希はうなずき、リリアを見た。


「リリアさんは、無理に前へ出すぎないでください。ここは、リリアさんにとって普通の場所じゃないと思うから」


リリアは窓の外を見つめたまま、少し遅れて返事をした。


「……はい。分かっています」


その声は、どこか遠かった。


誠司は操縦席の近くで端末を見ていたが、何度もリリアの方を見てしまう。


昨夜、リリアが言った言葉が頭から離れなかった。


本当は、人魚に戻らず、誠司の彼女になりたかった。


その言葉を聞いてから、誠司の中で何かが変わってしまっていた。


リリアは、美波へ体を返すと決めている。


それは正しいことだ。


分かっている。


分かっているのに、この海の奥へ進むほど、リリアが遠くへ行ってしまうような気がした。


「誠司さん」


煌成が隣から声をかけた。


「はい」


「リリアさんを見るなとは言わない。でも、戦闘中は端末から目を離さない方がいい」


穏やかな声だった。


責めているわけではない。


だからこそ、誠司は少しだけ肩の力を抜いた。


「……分かっています」


「君の分析は、前衛全員の命綱になる。彼女を守りたいなら、なおさら冷静に」


「はい」


誠司は端末を握り直した。


海底移動艇が、ゆっくりと速度を落とす。


前方の暗い海の中に、巨大な影が見え始めた。


壊れた門。


珊瑚に覆われた柱。


半分崩れた階段。


真珠の飾りはところどころ剥がれ落ち、貝殻の装飾も欠けていた。


それでも、その跡には確かに、かつて美しかった宮殿の気配が残っている。


「……あれが」


レイナが息をのんだ。


「竜宮城……」


翔も言葉を失っていた。


華やかなホテルや、きらびやかなラウンジとは違う。


そこにあるのは、誰かが暮らしていた場所が壊された跡だった。


リリアは、窓に手を添えた。


指先が、かすかに震えている。


「……竜宮城」


その声は、懐かしさだけではなかった。


怖さ。


悲しさ。


そして、戻ってきてしまったことへの痛みが混じっていた。


海底移動艇が、崩れた門の近くで止まる。


端末が音を立てた。


【竜宮城跡地に到着しました】


【海底廃宮調査ミッションを開始します】


【内部へ進んでください】


かすみが杖を掲げた。


「水中活動補助魔法Ⅱ、かけます」


杖の先に、水紋のような魔法陣が広がった。


淡い虹色の光が八人の体を包み込む。


水の中でも息がしやすくなり、体の動きが軽くなる。


続いて煌成が手をかざした。


「防御補助も重ねておく。完全に防げるわけではないけれど、初撃への備えにはなる」


透明な膜のような魔法が、全員の周囲に薄くまとわりついた。


早希が剣を抜く。


「前衛、行くよ」


「おう」


大地が盾を構えた。


翔は剣を抜き、レイナは短剣を握る。


リリアも、護身用の短い槍を手にした。


その姿を見て、誠司は一瞬だけ胸が苦しくなった。


リリアは戦うためにここへ来たわけではない。


それでも、彼女は前に立とうとしている。


海底移動艇の扉が開く。


八人は、竜宮城跡地の中へ進んだ。


壊れた門をくぐると、廃宮の静けさが全身にまとわりついてきた。


床には砕けた真珠が散らばっている。


柱には黒ずんだ珊瑚が絡みつき、ところどころに貝殻の欠片が沈んでいた。


広間へ続く道には、人魚の像が並んでいた。


顔が欠けた像。


腕が折れた像。


尾びれだけが残った像。


どれも、時が壊したというより、誰かの手で壊されたように見えた。


リリアが、その一つの前で足を止めた。


「リリアさん?」


レイナが声をかける。


リリアは返事をしなかった。


欠けた人魚の像を見つめるその横顔は、今にも泣き出しそうに見えた。


翔が少し間を置いて聞く。


「知ってる場所なのか?」


リリアは、ほんの少しだけ唇を動かした。


「……知らないはずなのに、知っている気がします」


それ以上は言わなかった。


早希が周囲を警戒しながら言う。


「進もう。ここで止まっている方が危ない」


八人は、さらに奥へ進んだ。


やがて、広い玉座の間に出た。


高い天井には、星のような貝殻の飾りが残っている。


壁は崩れ、床には大きな傷跡が走っていた。


奥には、ひび割れた玉座がある。


かつて誰かが座っていた場所。


かつて、誰かが守ろうとした場所。


その中央に足を踏み入れた瞬間、床の傷跡から光が浮かび上がった。


深い海の紺。


血のような赤紫。


真珠の白。


三つの色が渦を巻き、玉座の間全体に広がっていく。


端末が震えた。


【記憶映像を再生します】


次の瞬間、壊れた宮殿が光に包まれた。


崩れた柱が元の姿を取り戻していく。


欠けた貝殻の装飾が、鮮やかに輝く。


真珠の灯りが広間を照らし、珊瑚の柱が色とりどりに光った。


そこには、かつての竜宮城があった。


人魚たちが穏やかに泳ぎ、歌い、笑っている。


子どもの人魚が貝殻の飾りを持って遊び、広間には優しい音楽が流れていた。


玉座には王が座り、民を見守っている。


レイナは、息をひそめるように言った。


「こんなに……きれいだったんだ」


翔も剣を下げないまま、映像を見つめていた。


やがて、映像の中に一人の人魚の姫が現れた。


姫は海の外を見つめていた。


海面の上。


人間の世界。


そこへ行きたい。


その願いは、やがて一人の人間との出会いに変わった。


人間の男は優しく笑い、姫に手を伸ばした。


姫は、その手を取った。


尾びれが光に包まれ、二つの脚へ変わる。


姫は海を離れた。


リリアの手が震えた。


誠司は、それに気づいた。


映像の中の姫は、人間の男を信じていた。


けれど、男の目はやがて欲に濁った。


竜宮城の場所。


海底へ続く道。


宝物庫。


守りの抜け穴。


秘密を知った人間たちは、竜宮城へ押し寄せた。


槍を持つ者。


剣を持つ者。


魔法具を持つ者。


宝を入れる箱を持つ者。


静かだった宮殿に、悲鳴が広がる。


人魚たちは戦い慣れていなかった。


守ろうとした者たちが倒れ、王も玉座の前で三叉槍を手に取った。


けれど、守りきれなかった。


宝は奪われた。


宮殿は壊された。


若い女の人魚たちは連れて行かれた。


歌わされ、笑わされ、望まない場所で働かされ、海へ帰ることも許されなかった。


映像の中の竜宮城が、ゆっくりと壊れていく。


歌の消えた広間。


ひび割れた玉座。


砕けた真珠。


誰も帰らない宮殿。


そして映像は消えた。


玉座の間に、冷たい声が響く。


『人間よ……』


床のひび割れから、黒紫の泡が噴き出した。


壊れた柱の影から、人魚の幽霊たちが現れる。


女の人魚。


槍を持つ男の人魚。


幼い人魚の影。


王を守ろうとして倒れた兵士たち。


そして、長い髪を水に漂わせる女の人魚たち。


その目には、悲しみと怒りが沈んでいた。


『許さない……』


『私たちの海を奪った人間……』


『私たちの命を奪った人間……』


『これ以上、先へ進ませない……』


早希が剣を構えた。


「来る!」


大地が盾を前に出す。


翔も右へ回り込み、レイナはリリアの少し前に立った。


誠司が端末を操作する。


「怨念反応、多数。音魔法の反応があります。横笛、ハープ、歌声に注意してください」


かすみが薬袋に手を入れた。


「状態異常が来ます。眠気やしびれを感じたらすぐ言ってください」


人魚の幽霊の一人が、珊瑚でできた横笛を構えた。


澄んだ音が、水の中に細く伸びる。


その瞬間、翔の剣先が少し下がった。


「……なんだ、急に……眠い」


レイナもまぶたを押さえる。


「まずい、これ……」


大地の盾がわずかに下がる。


かすみがすぐに杖を振った。


「眠り解除!」


銀の泡が前衛の額に触れ、沈みかけていた意識を引き戻す。


「助かった!」


翔が歯を食いしばって剣を握り直す。


しかし、今度は別の人魚が小型ハープを抱えた。


真珠の糸のような弦が震える。


きん、と澄んだ音が広がった。


レイナの指先がしびれた。


「手が……動きにくい!」


「麻痺です!」


かすみが叫ぶ。


煌成が手をかざし、前衛の前に水流の壁を作った。


「少し時間を稼ぐ。誠司君、中心は?」


誠司は端末を睨んだ。


「ハープの三本目の弦です。そこが魔力の中心になっています」


「翔!」


早希の声が飛ぶ。


「右から回って弦を狙って!」


「分かった!」


翔は体のしびれを押し切り、水流の薄い場所へ飛び込んだ。


ハープの人魚が弦を震わせる。


麻痺の波が翔の腕を止めようとする。


その瞬間、レイナが短剣を投げた。


短剣はハープの正面ではなく、人魚の横をかすめるように通り過ぎる。


一瞬、人魚の視線がそれた。


「翔!」


「任せろ!」


翔の剣が伸びた。


真珠の弦が一本、切れる。


鋭い音が弾け、麻痺の波が弱まった。


「よし!」


だが、安心する暇はなかった。


柱の影から巨大な魚が突進してくる。


大地が盾を構えた。


「正面は俺が受ける!」


魚の突進が盾にぶつかった。


水中に重い衝撃が広がる。


大地の足が床を削る。


「っ……重いな!」


「大地、斜めに流して!」


早希の指示に、大地は盾の角度を変えた。


突進の力が横へ流れる。


そこへ翔が剣を叩き込んだ。


魚影が大きく揺らぐ。


さらにリリアが短槍を構え、魚の動きが鈍ったところへ一撃を入れた。


「リリアさん、無理しないで!」


レイナが叫ぶ。


「大丈夫です!」


リリアはそう答えたが、声には少しだけ震えがあった。


その時、人魚たちの歌が重なった。


眠りでも、麻痺でもない。


もっと深く、胸の奥へ入り込む歌だった。


悲しみ。


怒り。


後悔。


罪悪感。


それらが、直接心を締めつけてくる。


『人間の体をまとった海の娘……』


リリアの動きが止まった。


『海を離れ、人間に恋をした娘……』


誠司がはっと顔を上げる。


『おまえは、まだ自分を人魚だと言えるのか……』


「え……?」


レイナの声が震えた。


「リリアさんが……人魚?」


翔も剣を構えたまま、思わずリリアを見た。


「どういうことだよ……元人魚って……」


リリアは何も答えられなかった。


人魚たちの怨念が、リリアへ向かって集まっていく。


『裏切り者……』


『人間の体で、人間と共に戻った娘……』


『また海を捨てるのか……』


リリアの短槍を持つ手が震えた。


「私は……」


その隙を狙うように、柱の影から人魚の怨念が飛び出した。


黒紫の泡をまとった腕が、リリアへ伸びる。


「リリアさん!」


レイナは、考えるより先に動いていた。


驚きも、疑問も、全部あとでよかった。


今、目の前でリリアが傷つけられようとしている。


それだけで十分だった。


レイナはリリアの前へ飛び込み、短剣で怨念の腕を受け止めた。


衝撃で体が後ろへ流される。


「レイナさん!」


リリアが叫ぶ。


レイナは歯を食いしばりながら言った。


「話はあとです! 今は生きて戻る方が先!」


その言葉に、リリアの表情が揺れた。


翔もすぐに我に返った。


「そうだな。びっくりはしてるけど、今聞いてる場合じゃねえ!」


翔はレイナの横へ入り、怨念を斬り払った。


早希が声を張る。


「全員、前を見て! リリアさんのことは後で聞く。今は戦闘に集中!」


「はい!」


かすみが杖を掲げた。


「魅了と罪悪感への干渉が来ています。リリアさんに集中しています!」


煌成が防御壁をリリアの周囲へ寄せる。


「リリアさんを中心に守る。前衛はそのまま陣形を崩さないで」


誠司は端末を握る手に力を込めた。


本当は、今すぐリリアのそばへ行きたかった。


でも、それでは守れない。


今、自分がやるべきことは別にある。


「怨念の流れは玉座の奥から来ています。中心反応が出ます!」


その言葉と同時に、ひび割れた玉座の背後が大きく揺れた。


水が逆巻き、黒紫の泡が柱の間を満たしていく。


玉座の前に、巨大な影が浮かび上がった。


三叉槍を持った、人魚の王だった。


長い髪は水中で王冠のように広がり、折れた冠が額に残っている。


尾びれは黒く傷つき、体には古い戦いの跡が刻まれていた。


その目には、深い怒りと悲しみが沈んでいる。


『人間よ』


声だけで、水が震えた。


大地が盾を構える。


早希が剣を握り直す。


レイナと翔は、リリアを挟むように位置を取った。


王の視線が、リリアへ向く。


『海の娘よ』


リリアの体がこわばった。


『人間の体をまとい、人間を愛し、人間と共にこの場所へ戻ったのか』


誠司は息をのんだ。


リリアは、震える手で短槍を握り直した。


「私は……海を裏切りたいわけではありません」


声は小さかった。


けれど、玉座の間に届いた。


「でも、今は……ここを通してください」


王の表情が、冷たく沈んだ。


『人間と共に来た者を、竜宮城へは通さぬ』


王が三叉槍を掲げた。


玉座の間の水が逆巻き、巨大な水流の壁となって襲いかかってくる。


「防御!」


早希の声が飛ぶ。


大地が盾を前に出した。


煌成の防御壁がその前に重なる。


かすみも杖を掲げた。


「水流防御!」


三重の防御に、王の水流がぶつかった。


水の圧力が凄まじい。


大地の足が床を削り、翔とレイナも必死に踏みとどまる。


「重すぎる……!」


レイナが歯を食いしばる。


翔が横から剣を振り、水流の薄い場所を切り裂いた。


「こっち、少し抜ける!」


誠司が端末を見る。


「王の三叉槍が魔力の中心です。ただ、周囲の歌い手が怨念を補助しています。先に歌を弱めないと本体に届きません!」


早希はすぐに判断した。


「翔とレイナは左右の歌い手! 大地は王を引きつけて! リリアさんは私の後ろへ!」


「でも……!」


「今は守られるのも役目です!」


早希の声に、リリアは唇を噛み、うなずいた。


翔が右へ飛び出す。


レイナは左へ回り込んだ。


人魚の歌い手たちは、さらに声を重ねる。


『返して……』


『海を返して……』


『奪われた命を返して……』


レイナの胸が苦しくなる。


自分たちは、ただミッションを進めるためにここへ来た。


でも、目の前の怨念は、ゲームの敵というだけではない。


本当に奪われた人たちの声だった。


足が止まりかける。


その時、リリアの声が聞こえた。


「レイナさん!」


レイナははっとした。


リリアがこちらを見ている。


不安そうに。


それでも、信じるように。


レイナは短剣を握り直した。


「大丈夫!」


レイナは前へ出た。


「私は、何も知らなかった。でも、だからって今ここであなたを置いていく理由にはならない!」


短剣が水を裂き、歌い手の前にある黒紫の泡を切った。


歌声が一つ弱まる。


翔も別の歌い手へ斬り込んだ。


「俺たちは奪いに来たわけじゃねえ!」


翔の剣がハープの残った弦を切る。


麻痺の音が途切れた。


だが、王は三叉槍を振り下ろす。


床から無数の珊瑚の槍が突き上がった。


「下から来ます!」


誠司が叫ぶ。


早希はすぐにリリアの前へ入った。


剣で珊瑚を切り払う。


大地は盾で王の水流を受けながら、前へ進んだ。


「こっち向け、王様!」


王の三叉槍が大地へ向く。


巨大な渦が生まれ、大地を飲み込もうとした。


煌成が手をかざす。


「流れをずらす」


防御壁が斜めに展開し、渦の中心を少しだけ逸らす。


その隙に、早希が動いた。


「翔、右下! 流れが薄い!」


「見えた!」


翔の剣が水流を切る。


大地が盾で渦を押し返す。


王の動きが一瞬止まった。


「誠司!」


早希が叫ぶ。


「次は?」


誠司は画面を睨んだ。


「三叉槍の根元に魔力が集まっています。大技が来ます!」


王の周囲に、人魚たちの怨念が集まっていく。


歌声。


泣き声。


怒号。


悲鳴。


すべてが三叉槍へ吸い込まれていく。


『返せ』


王の声が低く響いた。


『我が国を返せ』


三叉槍の先に、巨大な水の竜が形を作った。


玉座の間全体が震える。


かすみの顔色が変わった。


「このままだと、防ぎきれません」


煌成がかすみの前に立つ。


「僕が主防御を張る。かすみさんは状態異常解除に集中してください」


「はい!」


煌成の足元に、大きな魔法陣が広がった。


水流と光が重なり、前衛の前に厚い壁を作る。


かすみはその後ろから杖を掲げた。


「眠り、麻痺、魅了、まとめて弱めます!」


銀色の泡が前衛へ広がる。


リリアの体に絡みついていた黒紫の泡が、少しだけほどけた。


リリアは息を吸った。


王の水の竜が迫る。


大地が盾を構えた。


「ここで止める!」


早希が剣を横に構える。


「全員、耐えて!」


水の竜が防御壁へぶつかった。


一枚目の壁が砕ける。


二枚目が割れる。


三枚目が軋む。


大地の盾に衝撃が走る。


「ぐっ……!」


翔が横から水の竜の首元を斬る。


レイナが短剣で泡の核を狙う。


早希の剣が、竜の流れを切り裂いた。


「今!」


誠司の声が響く。


「王の槍の魔力が乱れました!」


早希は迷わなかった。


「前衛、王へ!」


大地が盾で水の竜を押し返す。


翔が右から走る。


レイナが左から援護する。


早希が正面へ入った。


王は三叉槍を振り下ろす。


早希は剣で受け流した。


衝撃で体が流されかける。


そこへ大地が盾をぶつけた。


王の三叉槍がわずかにずれる。


「翔!」


「分かってる!」


翔の剣が三叉槍の根元を狙う。


しかし、黒紫の泡が刃を止めた。


「くそ、届かねえ!」


その時、リリアが前へ出た。


「リリアさん!」


誠司が叫ぶ。


レイナも慌てて振り向いた。


「危ないです!」


リリアは短槍を構え、王をまっすぐ見た。


「私は、美波さんに体を返します」


王の動きが、わずかに止まった。


「この体は、私のものではありません。返さなければいけないものです」


黒紫の泡が揺れる。


リリアの声は震えていた。


けれど、逃げなかった。


「でも、人間の世界で知ってしまった気持ちも、なかったことにはできません」


誠司は、その言葉を聞いて胸が締めつけられた。


リリアは続けた。


「私は、海を捨てたいわけではありません。人間を利用したいわけでもありません。ただ……もう一度、自分の姿に戻って、その上でどう生きるのかを決めたいんです」


王の目に、怒りとは違う揺らぎが生まれた。


『人間と人魚は、共には生きられぬ』


「それでも、道がないか探したいんです」


誠司が端末を握りしめ、声を張った。


「俺も探します!」


王の視線が、誠司へ向く。


誠司は怯まなかった。


「リリアさんがどんな姿になっても、俺の気持ちは変わりません。人間と人魚が一緒にいられないなら、いられる方法を探します」


玉座の間の水が、静かに震えた。


だが、怨念はまだ消えていない。


人魚たちの悲しみが、王の三叉槍へ絡みついている。


かすみが杖を掲げた。


「怨念の鎖を切ります!」


白金の波紋が広がる。


煌成がその魔法を支えるように、防御壁を解除し、光を重ねた。


「今なら届く」


誠司が叫ぶ。


「三叉槍の根元、黒紫の泡が薄くなっています!」


早希が剣を構えた。


「全員、合わせて!」


大地が盾で王の三叉槍を押さえる。


翔の剣が根元へ入る。


レイナの短剣が黒紫の泡を切り裂く。


リリアの短槍が、震えながらも同じ場所へ向かった。


最後に、早希の剣が叩き込まれる。


三叉槍に、ひびが入った。


王が低くうめく。


周囲の怨念が激しく渦巻く。


かすみが最後の解除魔法を放った。


「今です!」


早希、翔、レイナ、リリア。


四つの刃と槍が重なった。


大地の盾が押し込む。


三叉槍が砕けた。


玉座の間に、白い光が広がった。


黒紫の泡がほどけていく。


人魚たちの歌声が消える。


眠りも、麻痺も、魅了も、罪悪感の重さも、水の中に溶けていった。


王は、崩れた玉座の前で静かに浮かんでいた。


その目から、怒りが少しずつ薄れていく。


『……我は、人間を憎んだ』


声は、先ほどよりも穏やかだった。


『憎まなければ、民の声に応えられなかった』


リリアは、短槍を下ろした。


レイナはその横に立ち、まだ少し息を切らしている。


翔も剣を下げたが、リリアの方を見る目には驚きが残っていた。


王は、リリアを見た。


『海の娘よ』


リリアは逃げずに、その視線を受け止めた。


『人間の体で得た心も、そなたのものか』


リリアの喉が震えた。


けれど、答えた。


「はい」


王はしばらく沈黙した。


やがて、玉座の奥に光の扉が浮かび上がる。


『ならば、進め』


扉の奥から、淡い真珠色の光が漏れる。


『海の今を知るがよい』


『まだ、海へ帰れぬ者たちがいる』


その言葉に、リリアの胸が痛んだ。


美波。


海へ帰れず、人魚の体で苦しんでいる人間の少女。


そして、自分。


人間の体で恋をしてしまった元人魚。


どちらも、まだ元の場所へ戻れていない。


王の姿が、真珠の光になってほどけていく。


周囲の人魚の幽霊たちも、次々に光へ変わった。


最後に残った歌は、眠りでも麻痺でも魅了でもなかった。


ただ、海の底に沈んだ悲しみを送るような歌だった。


端末が音を立てる。


【海底廃宮調査ミッションをクリアしました】


【報酬を配布します】


床の中央に、珊瑚の装飾が施された宝箱が現れた。


早希が近づくと、真珠の鍵穴が光り、箱が静かに開く。


中には、金貨と宝石。


そして、薄い貝殻で作られた札のようなものが入っていた。


かすみがそっと読み上げる。


「竜宮城入場券……」


さらに、もう一つの貝殻の札には別の文字が浮かんでいた。


【竜宮城ホテル宿泊許可証】


誠司が宝箱の底にあった小さな貝殻を手に取った。


貝殻の表面には、淡い光の線が浮かび上がっている。


「地図みたいです。竜宮城跡地の奥に、別の場所が表示されています」


煌成が表示を覗き込む。


「竜宮城ホテル……そこが次の目的地になりそうだね」


レイナは、リリアの横顔を見た。


さっき聞こえた言葉が、まだ頭から離れない。


人間の体をまとった海の娘。


人間に恋をした娘。


リリアさんが、人魚。


どういうことなのか、分からない。


でも、今ここで問い詰める気にはなれなかった。


リリアは、ずっと苦しそうな顔をしていた。


それだけは、レイナにも分かった。


翔も同じように、リリアを見ていた。


言いたいことはある。


聞きたいこともある。


けれど、今はまだ言葉にならなかった。


リリアは二人の視線に気づき、少しだけうつむいた。


「……レイナさん、翔さん」


声は小さかった。


「あとで、ちゃんと話します」


レイナは少し迷ってから、うなずいた。


「はい。今は、先に進みましょう」


翔も剣を収めた。


「びっくりはしたけどな。でも、戦うのは一緒だろ」


その言葉に、リリアの目元がわずかに揺れた。


「……ありがとうございます」


早希が周囲を確認する。


「全員、報酬を確認したら移動艇へ戻ろう。ここで長く休むのは危ない」


大地が盾を背負い直した。


「次は竜宮城ホテルか。名前だけ聞くと休めそうだけど、ただの宿って感じじゃなさそうだな」


かすみはリリアを見た。


「大丈夫ですか?」


リリアは少しだけ息を整え、うなずいた。


「はい」


誠司は、その返事が強がりだと分かっていた。


でも、今は無理に聞かなかった。


リリアが話すと決めるまで、待つ。


その代わり、次の場所で何が起きても、必ず支える。


そう決めて、誠司は端末を閉じた。


八人は宝箱の報酬を受け取り、海底移動艇へ戻った。


竜宮城跡地の玉座の間には、静けさが戻っている。


けれど、その静けさは、来た時とは少し違っていた。


人魚王は、道を閉ざすために現れた。


そして最後には、進めと言った。


海の今を知るがよい。


まだ、海へ帰れぬ者たちがいる。


リリアは、その言葉を胸に抱えたまま、もう一度窓の外を見た。


崩れた竜宮城が、青い闇の中で遠ざかっていく。


美波へ体を返すために。


そして、自分の本当の姿で、もう一度誠司の前に立つために。


八人を乗せた海底移動艇は、竜宮城ホテルへ続く光る道へ向かって進み始めた。

読んでいただきありがとうございます。


今回は、竜宮城跡地での海底廃宮調査ミッションでした。


レイナと翔にとっては初めて見る本当の竜宮城。


そしてリリアにとっては、忘れられない過去と向き合う場所になりました。

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