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第75話 海辺のロッジの朝

沈没船ミッションを終えた八人は、海辺のロッジで一夜を過ごすことになりました。


レイナと翔は、初めて自分たちで海のミッションを越えた達成感を覚えます。


一方、誠司とリリアは、竜宮城へ向かう前の夜に、お互いの気持ちを確かめ合います。

沈没船ミッションを終えた八人は、海辺のロッジへ戻ってきた。


海の中では呼吸もできていたし、体も動かせていた。


けれど地上へ戻ると、全身にずしりとした重さが残っている。


特に、初めて本格的に海のミッションへ挑んだレイナと翔は、ロビーのソファへ腰を下ろすなり、大きく息を吐いた。


「……水の中って、思ったよりずっと疲れますね」


レイナが言うと、翔も隣でうなずいた。


「ああ。地上なら普通に振れる武器も、海の中だと全然違った」


早希は、装備を外しながら言った。


「慣れていないと、思ったようには動けないわ。沈没船はまだ初級だけど、それでも油断したら崩れる」


「正直、二人だけだったら無理でした」


翔は素直に言った。


「毒の魚の時点で、かなり危なかったと思います」


レイナも続ける。


「欲望区で組んでいた時の仲間は、前衛ばかりでした。魔法を使える人がいなかったので……今回みたいに、かすみさん、煌成さん、誠司さんがいてくれると、全然違いました」


「海のミッションは、魔法を使える人がいないと厳しいですね」


その言葉に、かすみは少しだけ首を横に振った。


「魔法だけでも無理だったと思います。前で止めてくれる人がいたから、私たちも魔法を使えました」


煌成もうなずく。


「大地さんが盾で受けて、早希さんが指示を出してくれて、翔さんとリリアさんが横を止めてくれた。レイナさんも後ろを見てくれていました。役割が分かれていたから進めたんだと思います」


レイナは、少しだけ照れたように視線を落とした。


「でも……ありがとうございました」


翔も、改めて頭を下げる。


「本当に助かりました。今までは、端末でお金を払って、ミッションの権利を買えば進めると思っていました」


その言葉に、レイナも静かにうなずいた。


「でも、自分たちで動いて、戦って、クリアすると……大変だけど、達成感がありますね」


「経験値も、宝も、こんなにもらえるんですね」


翔は端末に表示された報酬を見ながら、少し驚いたように言った。


「ただ買った権利とは、重みが違う気がします」


レイナは、窓の外の海を見た。


「それに、あの海賊の亡霊も……ただ宝を守っていたわけではなかったんですよね」


沈没船に残されていた記録映像。


宝ではなく、仲間たちの眠る場所を守り続けていた亡霊。


ミッションは終わった。


けれど、ただ敵を倒して宝を持ち帰っただけではない。


海の底には、誰かの過去が沈んでいる。


レイナと翔は、そのことを初めて実感していた。


その日の夜、八人はロッジに泊まることになった。


次の海エリアへ進むためには、まだ体力を戻す必要がある。


海辺のロッジには、いくつかの部屋が用意されていた。


部屋割りは、自然と決まっていった。


レイナと翔、かすみと煌成は夫婦。


早希と大地も、かすみの結婚式の頃から付き合っている。


そうなると、残るのは誠司とリリアだった。


その組み合わせを見た時、リリアは少しだけ動きを止めた。


誠司も、すぐには何も言えなかった。


「……私たち、正式に付き合っているわけではないのに」


部屋に入ったあと、リリアは小さくつぶやいた。


窓の外から、夜の波音が聞こえている。


誠司は荷物を置きながら、少し気まずそうに視線を下げた。


「嫌なら、僕はロビーで休みます」


「嫌ではありません」


リリアはすぐに答えた。


けれど、その声は少し震えていた。


「嫌では、ないんです。ただ……誠司さんと二人きりでいると、人魚に戻るのが怖くなってしまいそうで」


誠司は何も言えなかった。


リリアは、窓の外の暗い海を見た。


「私は、美波さんへ人間の体を返します。それは、もう決めています」


静かな声だった。


「でも、本当は……」


リリアはそこで一度言葉を切った。


胸の奥に押し込めていた本音が、波の音に紛れてこぼれそうになる。


「本当は、人魚に戻らず、誠司さんの彼女になりたかったです」


誠司の呼吸が、わずかに止まった。


リリアは振り返らなかった。


振り返ったら、決意が揺らいでしまいそうだった。


「美波さんの体なのに。この手も、この足も、この声も、本当は私のものではないのに」


リリアは、自分の手を見下ろした。


「それでも私は、この体で誠司さんに触れてしまいました。この体で、誠司さんのそばにいたいと思ってしまいました」


幸せだった。


誠司と過ごす時間は、リリアにとって確かに幸せだった。


けれど、その幸せが大きくなるほど、胸の奥に後ろめたさも残った。


美波へ体を返さなければいけない。


それは分かっている。


それでも、誠司のそばを離れたくないと思ってしまう。


「私は、ずるいですね」


リリアが小さく言った。


その言葉を聞いた瞬間、誠司は気づけばリリアの背中へ手を伸ばしていた。


迷いながらも、その体を後ろからそっと抱きしめる。


リリアの肩が、少しだけ震えた。


「誠司さん……」


「ずるくなんて、ありません」


誠司の声も、少し震えていた。


ついこの前まで、誠司の頭の中には、かすみのことばかりあった。


かすみに見てほしかった。


かすみに認めてほしかった。


その気持ちに縛られて、自分でも情けなくなるほど前へ進めなかった。


けれど今は違う。


リリアが人魚へ戻る日が近づくほど、誠司はリリアのことばかり考えるようになっていた。


このまま人間のままでいてほしい。


この時間が止まってほしい。


そんなことを願ってはいけないと分かっているのに、腕の中の温もりを離したくなかった。


「僕も、リリアさんにそばにいてほしいと思っています」


リリアの瞳が揺れた。


「誠司さん……」


「リリアさんが人魚に戻ることを止める権利は、僕にはありません。美波さんへ体を返すと決めたリリアさんの気持ちも、分かっています」


誠司は、リリアを抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。


「でも、それでも……僕は、リリアさんに行ってほしくないと思ってしまいます」


リリアは、そっと誠司の腕に手を重ねた。


「私もです」


その声は、とても小さかった。


「私も、人魚に戻りたくない。このまま、誠司さんの隣にいたいです」


言ってはいけない本音だった。


けれど、この夜だけは、もう隠せなかった。


波の音が、静かな部屋に届いている。


リリアはゆっくりと振り返った。


二人の距離は、もうほとんどなかった。


「少しだけでいいです」


リリアは、誠司を見つめた。


「今だけは、何も考えたくありません」


誠司は答えなかった。


ただ、リリアを見つめ返した。


そのまま二人は、静かに唇を重ねた。


美波へ体を返さなければならないこと。


リリアが人魚へ戻る日が近づいていること。


触れ合えなくなるかもしれない未来。


そのすべてを分かっていても、今だけは離れたくなかった。


夜のロッジに、波の音だけが続いていた。


翌朝。


リリアが目を覚ますと、隣には誠司がいた。


窓の外から、淡い朝の光が差し込んでいる。


波の音が、昨夜と同じように聞こえていた。


リリアはしばらく、誠司の寝顔を見つめていた。


昨日の夜のことを思い出すと、胸の奥が熱くなる。


幸せだった。


本当に、幸せだった。


けれど、その幸せが大きければ大きいほど、リリアの胸には小さな痛みも残った。


今、自分が使っているこの体は、美波のものだった。


この手で誠司に触れた。


この体で、誠司のそばにいた。


人間として恋をしたことまで、すべて間違いだったとは思いたくない。


それでも、美波の体を借りたまま、誠司の恋人になりたいと願ってしまったことに、後ろめたさがあった。


このまま時間が止まればいいのに。


そう思ってしまう自分がいる。


けれど、リリアは分かっていた。


美波へ人間の体を返すと決めたことは、変えてはいけない。


誠司を好きになったからこそ、誰かの体を借りたまま幸せになることはできなかった。


いつか。


いつか、自分の本当の体で、誠司に触れられたらいいのに。


人魚の体に戻っても、誠司が珊瑚にならずにそばにいられたらいいのに。


美波の体を借りたままではなく、リリア自身として、誠司に好きだと言えたらいいのに。


そんな願いが、胸の奥に浮かんだ。


叶うかどうかは分からない。


けれど、竜宮城へ行けば、誰か知っている人がいるかもしれない。


人魚と人間が触れ合う方法。


人魚の体に戻ったあとでも、誠司が珊瑚にならずにいられる方法。


竜宮城の偉い人なら、何か知っているかもしれない。


美波へ体を返すことは、もう決めている。


けれどそのあとも、誠司を好きでいていい道があるのなら。


リリアは、その可能性だけは捨てたくなかった。


「……リリアさん」


名前を呼ばれて、リリアは顔を上げた。


いつの間にか、誠司が目を覚ましていた。


「どうしました?」


リリアは少し迷った。


けれど、誠司には言っておきたかった。


「誠司さん。私、竜宮城へ行ったら、偉い人に聞こうと思います」


「何をですか?」


リリアは、自分の手を見下ろした。


今はまだ、人間の手だった。


美波から借りている体。


その手で、昨夜、誠司に触れた。


幸せだった。


だからこそ、胸の奥が少し痛かった。


「もし私が人魚に戻っても、誠司さんが珊瑚にならずに……私に触れられる方法がないか」


誠司は息をのんだ。


リリアは続けた。


「美波さんへ、この体を返すことは決めています。そこは変えません」


声が少し震える。


「でも、そのあとも……私が私の体で、誠司さんを好きでいられる道があるなら、知りたいんです」


誠司は、リリアをまっすぐ見た。


「リリアさんが、どんな姿になっても、僕の気持ちは変わりません」


その声には、昨日までの迷いがなかった。


「人間の姿だから好きになったわけじゃありません。リリアさんの優しさや、苦しんでも誰かの体を返そうとする強さや……そういう心に惹かれたんです」


リリアの瞳に涙が浮かんだ。


「僕は、リリアさんの心や魂に惹かれています」


誠司は、リリアの手を包むように握った。


「だから、人魚に戻っても、リリアさんはリリアさんです。僕の気持ちは変わりません」


「誠司さん……」


リリアは、誠司の手を握り返した。


美波の体を返さなければならないことは変わらない。


けれど、体を返したら、誠司の気持ちまで消えてしまうわけではない。


そのことが、リリアの胸を少しだけ温めた。


「私も、自分の本当の体で、誠司さんに好きだと言える方法を探したいです」


誠司はうなずいた。


「一緒に聞きましょう。竜宮城で」


リリアは涙をこぼしながら、小さく笑った。


「はい」


しばらくして、二人は支度を整え、部屋を出た。


その頃、レイナと翔は先にロビーへ出ていた。


二人は海の見えるソファに座り、ほかの六人を待っている。


昨日の疲れはまだ残っていたが、沈没船ミッションを越えた達成感が、二人の表情を少し明るくしていた。


やがて、廊下の奥から最初に出てきたのは、かすみと煌成だった。


煌成は、かすみの荷物を片手に持っている。


かすみはその隣を歩きながら、何か小さな声で話していた。


煌成がそれに静かにうなずき、かすみがふっと笑う。


それだけで、二人がもう夫婦として自然に寄り添っていることが伝わってきた。


次に、早希と大地の部屋の扉が開く。


「大地、寝相悪すぎ」


開口一番、早希が言った。


大地は眠そうに頭をかきながら、眉を寄せる。


「朝一番にそれかよ」


「朝一番だから言ってるの。夜中に何回蹴られたと思ってるの?」


「蹴ってないだろ」


「蹴った。しかも、いびきも大きかった」


「それは……まあ、悪かった」


「謝るなら、次からちゃんと端で寝て」


「端で寝たら落ちるだろ」


「落ちないように鍛えて」


「それ、寝る時の話じゃねえだろ」


そんなふうに言い合いながら、二人はロビーへ出てきた。


言葉だけ聞けば朝から喧嘩をしているようだったが、空気はまったく険しくない。


早希は遠慮なく言い、大地もそれを正面から受け止めている。


そして最後に、誠司とリリアの部屋の扉が開いた。


リリアは、誠司の腕にそっと自分の腕を絡めていた。


昨日までの二人なら、そんなふうに人前へ出てくることはなかった。


けれど今朝のリリアは、少し照れたようにしながらも、誠司のそばを離れようとしない。


誠司も、照れた顔を隠すように少し視線をそらしながら、リリアの腕をそのまま受け止めていた。


二人の距離は、明らかに昨日より近くなっていた。


ロビーのソファからその様子を見ていたレイナは、小声で翔に言った。


「……ねえ、なんかここ、カップル多すぎない?」


翔は、かすみと煌成、早希と大地、誠司とリリアを順番に見た。


それから、隣に座るレイナへ視線を戻す。


「人のこと言えるか?」


「……それは、そうだけど」


レイナは少しだけ頬を赤くし、視線をそらした。


翔は小さく笑い、立ち上がる。


「みんなそろったなら、朝飯に行こうぜ」


八人はロッジの食堂へ向かった。


朝食を取りながら、次の海エリアについて話し合う。


焼き魚、スープ、パン、果物が並ぶテーブルを囲むと、レイナが改めて頭を下げた。


「昨日は、本当にありがとうございました」


翔も続ける。


「二人だけだったら、絶対に無理でした」


早希は、スープを飲みながら言った。


「次も楽にはならないと思う。沈没船より奥へ行くなら、敵も環境も厳しくなるはずよ」


大地も腕を回しながらうなずいた。


「海の中で盾を構えるだけでも疲れるからな。次はもっと長く潜るかもしれねえ」


かすみは端末を確認した。


「薬は多めに持っていきます。水中活動補助も、できるだけ安定させます」


「僕も機材と魔法の状態を確認します」


誠司が言うと、リリアは隣で小さくうなずいた。


その様子を見て、レイナはまた少しだけ翔の方を見た。


翔は何も言わず、ただ苦笑した。


その時、全員の端末が同時に震えた。


画面に、新しい通知が表示される。


【次の海エリアへの進行条件を満たしました】


【次区域への移動方法】


【海底移動艇を使用してください】


【目的地:竜宮城跡地】


リリアの手が、わずかに震えた。


竜宮城。


その文字を見ただけで、胸の奥が締めつけられる。


もう一度、竜宮城へ帰る。


美波へ体を返せば、人間の足で自由にここまで来ることは、もうできないかもしれない。


だから、その前に。


今の体で動けるうちに、最後になるかもしれない故郷を見ておきたかった。


そして、できることなら。


自分の本当の体に戻ったあとも、誠司を好きでいられる未来を探したかった。


その隣で、レイナと翔も海を見ていた。


二人にとっては、初めて向かう竜宮城。


欲望区で聞いていた華やかな名前とは違う、本当の海の奥へ進むことになる。


リリアは誠司の隣へ並び、レイナと翔も覚悟を決めるように顔を上げた。


八人は、竜宮城へ続く海へ向かった。


美波へ体を返す前に、もう一度だけ竜宮城へ帰りたいリリア。


そして、自分の本当の体で誠司と向き合える未来を探したいという願いも生まれました。


次回、八人は竜宮城跡地へ向かいます。

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