第49話 私だけを見て
誠司は、もう一度マーメイドラウンジへ向かうことにします。
仲間たちは止めようとしますが、誠司は「奥を確認しなければ分からない」と言い、再び青い光の中へ入っていきます。
誠司は、朝から端末を見つめていた。
昨夜、グループチャットには何度も返信が来ていた。
誠司がもう一度マーメイドラウンジへ行くと書いたからだった。
早希からは、すぐに返事が来た。
一人で奥へ行くのは危ないと思う。
無理に進めないで。
優からも続いた。
こっちも港の方を調べています。
まだ外から分かることもあるはずです。
急いで奥へ入らなくてもいいと思います。
大地の返信は短かった。
俺も反対だ。
金もかかるし、何か嫌な感じがする。
久美子からも、少し遅れてメッセージが届いていた。
欲望区は、空気に飲まれやすい場所だと思います。
私も採寸で行っただけなのに、少し胸がざわつきました。
誠司さん、一人で無理しないでください。
誠司は、画面を見たまま息を吐いた。
みんなの言うことは分かる。
昨日、自分が十分な情報を持ち帰れなかったことも分かっている。
けれど、奥へ行かなければ、ミレナにつながる情報は手に入らない。
誠司は端末に文字を打った。
心配してくれてありがとうございます。
でも、奥を確認しないと分からないことがあります。
今度はちゃんと調査します。
無理はしません。
送信してから、誠司はしばらく画面を見ていた。
誰かがまた止めるかもしれない。
そう思ったが、端末を閉じた。
玄関へ向かうと、かすみが立っていた。
「誠司さん」
「……かすみさん」
かすみは、誠司の手にある鞄を見た。
「本当に、もう一度行くんですか」
「はい」
「昨日、帰ってきた時……様子が変でした」
誠司は、一瞬だけ言葉に詰まった。
「疲れていただけです」
「本当に?」
かすみの声は、責めるものではなかった。
心配している声だった。
「無理して行かなくてもいいんじゃないですか。みんなも止めていました」
「奥を確認しないと、何も分かりません」
「でも……」
「大丈夫です」
誠司は落ち着いた声で言った。
「今度は、ちゃんと調査します」
かすみは、その言葉を聞いても安心できなかった。
昨日も、誠司は冷静な顔で出ていった。
でも帰ってきた時、何かが違っていた。
「お願いです」
かすみは、誠司の袖をそっとつかんだ。
「危ないと思ったら、すぐ帰ってきてください」
誠司は、その手を見た。
小さくて、少し震えていた。
「分かっています」
そう答えて、誠司は家を出た。
かすみは扉が閉まってからも、しばらく玄関に立っていた。
誠司は、二度目のマーメイドラウンジへ入った。
昨日と同じ青い光が、足元を揺らしている。
けれど、今日は昨日よりも店の奥が気になった。
階段。
奥席。
本物の人魚に近い席。
そこまで行けば、何か分かるはずだ。
誠司はそう自分に言い聞かせた。
「誠司さん」
甘い声がした。
振り向くと、昨日のマーメイド店員が立っていた。
「昨日も担当させていただいた、リリアです」
今日は、衣装が違っていた。
奥席用なのだろう。
昨日よりも大人っぽく、目のやり場に困る衣装だった。
胸元の貝殻飾りには小さな真珠がついていて、水槽の光を受けるたびに細かく揺れている。
誠司は、反射的に視線をそらした。
リリアはそれに気づいて、くすっと笑う。
「今日は、奥に行ってお話ししましょう?」
「奥、ですか」
「はい。前回、気になっていたでしょう?」
誠司は喉が少し乾くのを感じた。
「本物の人魚について、聞きたいことがあります」
リリアは、少しだけ寂しそうに目を伏せた。
「また今日も、その話ですか?」
「いえ、必要な調査で……」
「私、少し寂しいです」
その声に、誠司は言葉を止めた。
「誠司さんは、私といるのに、奥の人魚のことばかり気にするんですね」
「そんなつもりでは」
「じゃあ、今日は私だけを見てください」
リリアは、誠司の手を取った。
昨日よりも近い距離だった。
「本物の人魚は、触ったら珊瑚になるんですよ」
その言葉に、誠司は息をのんだ。
人魚に触れると珊瑚になる。
竜宮城ホテルで聞いた掟と同じだ。
「でも、私は違います」
リリアは、ゆっくり微笑んだ。
水槽の光が、彼女の胸元の貝殻飾りを青く照らした。
気づけば、誠司の視線はそこに吸い寄せられていた。
「……気になりますか?」
リリアが、少し甘い声で聞いた。
誠司は慌てて視線を上げる。
「いえ、そういうわけでは」
「いいんですよ。綺麗でしょう?」
リリアは、ほんの少し身を寄せた。
「誠司さんなら、触ってもいいですよ」
誠司は言葉を失った。
触れようとしたわけではない。
ただ、見てしまっただけだ。
そう思った。
けれど、リリアは誠司の手をそっと取った。
「怖がらなくて大丈夫です」
リリアは誠司の手を導いた。
貝殻の飾りは、指先に冷たく触れた。
「きれいでしょう?」
「……はい」
誠司の声は硬かった。
「誠司さん、優しい触れ方をするんですね」
そう言われると、また胸の奥が緩んだ。
営業の言葉だ。
分かっている。
それでも、欲望区では見かけない誠実な人だと言われたことも、優しいと言われたことも、まだ胸に残っていた。
リリアは、誠司の手を離さない。
「今日は、奥の人魚じゃなくて、私のことを覚えて帰ってください」
誠司は、調査のことを思い出そうとした。
本物の人魚。
ミレナ。
ラウンジの奥。
聞かなければならないことはあった。
けれど、リリアの声が近い。
水槽の光が揺れる。
甘い香りがする。
気づいた時には、誠司は昨日よりも深く、店の空気に飲まれていた。
どこまでが接客で、どこからが自分の意思なのか、もうはっきりしなかった。
「誠司さん」
リリアは、誠司の手を離さないまま、声を落とした。
「今度は、外で会いませんか?」
「外で?」
「はい。ここだと話せないこともありますから」
その言葉に、誠司の目が少し動いた。
「ここでは話せないこと、ですか」
「誠司さんが知りたがっていることです」
リリアは、誠司をじっと見た。
「奥の人魚のこと。人魚の秘密。知りたいんですよね?」
誠司は返事に詰まった。
「外なら、教えてくれるんですか」
「教えられることもあります」
リリアは少し笑った。
「それに……私、誠司さんタイプなんです」
その一言で、誠司は息を止めた。
「欲望区では、誠司さんみたいに誠実そうな人、あまりいないんです」
リリアは、指先で誠司の手をなぞるようにしてから離した。
「店とは違う場所で、ゆっくり話したいです」
誠司は、端末を握りしめた。
断るべきだ。
そう思った。
けれど、外で会えば、店の中では聞けない情報が得られるかもしれない。
ミレナに近づけるかもしれない。
そう考えているうちに、胸の奥では別の理由が膨らんでいた。
もう少し、この人と話してみたい。
誠司は、その考えを慌てて押し込めた。
「……分かりました」
リリアが嬉しそうに顔を上げる。
誠司は少しだけ視線をそらした。
「今度、外で会いましょう」
「約束ですよ、誠司さん」
リリアは、甘く微笑んだ。
その笑顔を見た時、誠司は自分が調査の線を越えかけていることに気づいた。
けれど、もう言葉を取り消せなかった。
ラウンジを出た後、誠司は夜の道を歩いた。
本物の人魚のことも、ミレナのことも、ほとんど聞けなかった。
それでも、次に外で会えば情報が得られるかもしれない。
これは調査の続きだ。
そう自分に言い聞かせた。
家の前まで来て、誠司は足を止めた。
かすみの心配そうな顔が浮かぶ。
それなのに、頭の中にはリリアの声が残っていた。
約束ですよ、誠司さん。
誠司は、しばらく玄関の前に立っていた。
そして、リリアとの約束を消せないまま、自宅の扉を開けた。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、誠司が二度目のマーメイドラウンジ調査へ向かう回でした。
仲間たちが止める中、それでも奥の情報を求めて入った誠司は、リリアと店の空気にさらに引き込まれていきます。




