表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

49/65

第49話 私だけを見て

誠司は、もう一度マーメイドラウンジへ向かうことにします。


仲間たちは止めようとしますが、誠司は「奥を確認しなければ分からない」と言い、再び青い光の中へ入っていきます。

誠司は、朝から端末を見つめていた。


昨夜、グループチャットには何度も返信が来ていた。


誠司がもう一度マーメイドラウンジへ行くと書いたからだった。


早希からは、すぐに返事が来た。


一人で奥へ行くのは危ないと思う。

無理に進めないで。


優からも続いた。


こっちも港の方を調べています。

まだ外から分かることもあるはずです。

急いで奥へ入らなくてもいいと思います。


大地の返信は短かった。


俺も反対だ。

金もかかるし、何か嫌な感じがする。


久美子からも、少し遅れてメッセージが届いていた。


欲望区は、空気に飲まれやすい場所だと思います。

私も採寸で行っただけなのに、少し胸がざわつきました。

誠司さん、一人で無理しないでください。


誠司は、画面を見たまま息を吐いた。


みんなの言うことは分かる。


昨日、自分が十分な情報を持ち帰れなかったことも分かっている。


けれど、奥へ行かなければ、ミレナにつながる情報は手に入らない。


誠司は端末に文字を打った。


心配してくれてありがとうございます。

でも、奥を確認しないと分からないことがあります。

今度はちゃんと調査します。

無理はしません。


送信してから、誠司はしばらく画面を見ていた。


誰かがまた止めるかもしれない。


そう思ったが、端末を閉じた。


玄関へ向かうと、かすみが立っていた。


「誠司さん」


「……かすみさん」


かすみは、誠司の手にある鞄を見た。


「本当に、もう一度行くんですか」


「はい」


「昨日、帰ってきた時……様子が変でした」


誠司は、一瞬だけ言葉に詰まった。


「疲れていただけです」


「本当に?」


かすみの声は、責めるものではなかった。


心配している声だった。


「無理して行かなくてもいいんじゃないですか。みんなも止めていました」


「奥を確認しないと、何も分かりません」


「でも……」


「大丈夫です」


誠司は落ち着いた声で言った。


「今度は、ちゃんと調査します」


かすみは、その言葉を聞いても安心できなかった。


昨日も、誠司は冷静な顔で出ていった。


でも帰ってきた時、何かが違っていた。


「お願いです」


かすみは、誠司の袖をそっとつかんだ。


「危ないと思ったら、すぐ帰ってきてください」


誠司は、その手を見た。


小さくて、少し震えていた。


「分かっています」


そう答えて、誠司は家を出た。


かすみは扉が閉まってからも、しばらく玄関に立っていた。


誠司は、二度目のマーメイドラウンジへ入った。


昨日と同じ青い光が、足元を揺らしている。


けれど、今日は昨日よりも店の奥が気になった。


階段。


奥席。


本物の人魚に近い席。


そこまで行けば、何か分かるはずだ。


誠司はそう自分に言い聞かせた。


「誠司さん」


甘い声がした。


振り向くと、昨日のマーメイド店員が立っていた。


「昨日も担当させていただいた、リリアです」


今日は、衣装が違っていた。


奥席用なのだろう。


昨日よりも大人っぽく、目のやり場に困る衣装だった。


胸元の貝殻飾りには小さな真珠がついていて、水槽の光を受けるたびに細かく揺れている。


誠司は、反射的に視線をそらした。


リリアはそれに気づいて、くすっと笑う。


「今日は、奥に行ってお話ししましょう?」


「奥、ですか」


「はい。前回、気になっていたでしょう?」


誠司は喉が少し乾くのを感じた。


「本物の人魚について、聞きたいことがあります」


リリアは、少しだけ寂しそうに目を伏せた。


「また今日も、その話ですか?」


「いえ、必要な調査で……」


「私、少し寂しいです」


その声に、誠司は言葉を止めた。


「誠司さんは、私といるのに、奥の人魚のことばかり気にするんですね」


「そんなつもりでは」


「じゃあ、今日は私だけを見てください」


リリアは、誠司の手を取った。


昨日よりも近い距離だった。


「本物の人魚は、触ったら珊瑚になるんですよ」


その言葉に、誠司は息をのんだ。


人魚に触れると珊瑚になる。


竜宮城ホテルで聞いた掟と同じだ。


「でも、私は違います」


リリアは、ゆっくり微笑んだ。


水槽の光が、彼女の胸元の貝殻飾りを青く照らした。


気づけば、誠司の視線はそこに吸い寄せられていた。


「……気になりますか?」


リリアが、少し甘い声で聞いた。


誠司は慌てて視線を上げる。


「いえ、そういうわけでは」


「いいんですよ。綺麗でしょう?」


リリアは、ほんの少し身を寄せた。


「誠司さんなら、触ってもいいですよ」


誠司は言葉を失った。


触れようとしたわけではない。


ただ、見てしまっただけだ。


そう思った。


けれど、リリアは誠司の手をそっと取った。


「怖がらなくて大丈夫です」


リリアは誠司の手を導いた。


貝殻の飾りは、指先に冷たく触れた。


「きれいでしょう?」


「……はい」


誠司の声は硬かった。


「誠司さん、優しい触れ方をするんですね」


そう言われると、また胸の奥が緩んだ。


営業の言葉だ。


分かっている。


それでも、欲望区では見かけない誠実な人だと言われたことも、優しいと言われたことも、まだ胸に残っていた。


リリアは、誠司の手を離さない。


「今日は、奥の人魚じゃなくて、私のことを覚えて帰ってください」


誠司は、調査のことを思い出そうとした。


本物の人魚。


ミレナ。


ラウンジの奥。


聞かなければならないことはあった。


けれど、リリアの声が近い。


水槽の光が揺れる。


甘い香りがする。


気づいた時には、誠司は昨日よりも深く、店の空気に飲まれていた。


どこまでが接客で、どこからが自分の意思なのか、もうはっきりしなかった。


「誠司さん」


リリアは、誠司の手を離さないまま、声を落とした。


「今度は、外で会いませんか?」


「外で?」


「はい。ここだと話せないこともありますから」


その言葉に、誠司の目が少し動いた。


「ここでは話せないこと、ですか」


「誠司さんが知りたがっていることです」


リリアは、誠司をじっと見た。


「奥の人魚のこと。人魚の秘密。知りたいんですよね?」


誠司は返事に詰まった。


「外なら、教えてくれるんですか」


「教えられることもあります」


リリアは少し笑った。


「それに……私、誠司さんタイプなんです」


その一言で、誠司は息を止めた。


「欲望区では、誠司さんみたいに誠実そうな人、あまりいないんです」


リリアは、指先で誠司の手をなぞるようにしてから離した。


「店とは違う場所で、ゆっくり話したいです」


誠司は、端末を握りしめた。


断るべきだ。


そう思った。


けれど、外で会えば、店の中では聞けない情報が得られるかもしれない。


ミレナに近づけるかもしれない。


そう考えているうちに、胸の奥では別の理由が膨らんでいた。


もう少し、この人と話してみたい。


誠司は、その考えを慌てて押し込めた。


「……分かりました」


リリアが嬉しそうに顔を上げる。


誠司は少しだけ視線をそらした。


「今度、外で会いましょう」


「約束ですよ、誠司さん」


リリアは、甘く微笑んだ。


その笑顔を見た時、誠司は自分が調査の線を越えかけていることに気づいた。


けれど、もう言葉を取り消せなかった。


ラウンジを出た後、誠司は夜の道を歩いた。


本物の人魚のことも、ミレナのことも、ほとんど聞けなかった。


それでも、次に外で会えば情報が得られるかもしれない。


これは調査の続きだ。


そう自分に言い聞かせた。


家の前まで来て、誠司は足を止めた。


かすみの心配そうな顔が浮かぶ。


それなのに、頭の中にはリリアの声が残っていた。


約束ですよ、誠司さん。


誠司は、しばらく玄関の前に立っていた。


そして、リリアとの約束を消せないまま、自宅の扉を開けた。

読んでいただきありがとうございます。


今回は、誠司が二度目のマーメイドラウンジ調査へ向かう回でした。


仲間たちが止める中、それでも奥の情報を求めて入った誠司は、リリアと店の空気にさらに引き込まれていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ