第48話 青い光のラウンジ
誠司は、ミレナの手がかりを探るため、マーメイドラウンジへ入ります。
冷静に調査するつもりでしたが、そこで出会った店員は、誠司が今まで接したことのないタイプの女性でした。
誠司がマーメイドラウンジへ入ると、青い水槽の光が足元まで揺れていた。
客たちは静かに酒を飲み、マーメイド衣装の店員たちがテーブルの間を歩いている。
誠司は店内を見回した。
調査のために来たはずなのに、入口から数歩進んだだけで、ここが普通の店とは違うことは分かった。
一階には、水槽を眺めながら酒を飲む席が並んでいた。
少し奥にはカウンター。
さらにその先には、上の階へ続く通路が見える。
誠司は料金表を見た。
席の種類は細かく分かれていて、奥へ進むほど料金が一気に高くなっていく。
本物の人魚に近づける席は、特に高額だった。
「初めてのお客様ですか?」
声をかけられ、誠司は顔を上げた。
そこに立っていたのは、大人っぽい雰囲気のマーメイド店員だった。
長く波打つ髪。
艶のある唇。
胸元に貝殻の飾りがついた衣装。
かすみとは、まったく違うタイプだった。
誠司は一瞬、返事が遅れた。
「……はい。初めてです」
「では、私がご案内しますね」
店員はやわらかく微笑んだ。
その笑顔を見ただけで、誠司の手のひらに汗がにじんだ。
調査に来ただけなのに。
そう思うほど、余計に緊張した。
案内されたのは、水槽に近い席だった。
誠司が座ると、店員も隣に腰を下ろす。
距離が近い。
かすみなら、こんな近さでは座らない。
誠司は端末を見ようとしたが、指がうまく動かなかった。
「緊張していますか?」
店員が、誠司の顔をのぞき込む。
「いえ、別に……」
「初めての方は、みなさんそう言います」
彼女は小さく笑った。
からかうような声ではなかった。
緊張をほどくような、甘い声だった。
「誠司さんって、欲望区ではあまり見かけない感じですね」
「どういう意味ですか」
「誠実そうなんです」
誠司は返事に困った。
「ここに来るお客様は、もっと欲が前に出ている方が多いんです。でも誠司さんは、落ち着いていて、ちゃんと考えていそう」
店員は、グラスを誠司の前へ置いた。
「そういうところ、好きです」
その一言で、誠司の胸が変な形で跳ねた。
営業の言葉に決まっている。
それでも、誠実だと言われたことが妙に胸に残った。
誠司は、なんとか本題に入ろうとした。
「あの……奥の本物の人魚の話ですが、聞いてもいいですか?」
店員の表情が、少しだけ曇った。
「やっぱり、奥の人魚の方が気になりますか?」
「いえ、そういうつもりでは……」
「ここに来る人は、みんなそうなんです」
彼女は寂しそうに笑った。
「私と話していても、最後は本物の人魚の話になるんです」
誠司は言葉を止めた。
「じゃあ、今は私を見てください」
店員は、誠司の方へ少し身を寄せた。
「奥の人魚じゃなくて、私のことを見てほしいです」
甘い香りが近づく。
誠司は、端末に記録しようとしていた指を止めた。
調査に来た。
奥のことを聞かなければ意味がない。
そう分かっているのに、目の前の女性にそんな声で言われると、すぐには戻せなかった。
「……すみません」
なぜか、誠司は謝っていた。
店員は、ほっとしたように笑った。
「誠司さん、優しいんですね」
その言葉で、また胸が緩む。
誠司は、自分が何をしに来たのかを思い出そうとした。
だが、水槽の光も、歌声も、店員の距離も、思考を少しずつ曖昧にしていく。
しばらくして、店員が小さな端末を見せた。
「今日は、追加で触れてもいいコースもつけてくれませんか?」
「触れても……」
誠司は、言葉を詰まらせた。
彼女は少しだけ目を伏せる。
「私……誠司さんなら、触られてもいいなって思ったんです」
誠司はすぐに答えられなかった。
店の仕組みを知るため。
料金体系を確認するため。
そう考えようとした。
けれど、胸の奥では別の何かが揺れていた。
「……分かりました」
気づけば、そう答えていた。
自分から手を伸ばす勇気はなかった。
すると店員は、誠司の手をそっと取った。
「怖がらなくて大丈夫です」
彼女はそう言って、誠司の手を自分の髪飾りへ導いた。
貝殻の形をした飾り。
なめらかな真珠の粒。
指先に、冷たい感触が伝わる。
「きれいでしょう?」
「……はい」
誠司の声は、自分でも分かるくらい硬かった。
店員は小さく笑い、誠司の手を自分の肩に添えさせた。
「誠司さん、優しい触れ方をするんですね」
その言葉に、誠司の呼吸が浅くなった。
自分から触れたわけではない。
彼女に導かれただけだ。
そう思おうとした。
けれど、その言い訳は、もう自分でも苦しかった。
嫌ではなかった。
むしろ、拒めないほど心地よかった。
水槽の光。
甘い香り。
近い声。
柔らかい手。
そのすべてが、誠司の判断を少しずつ曇らせていく。
「大丈夫です。誠司さん、優しいから」
そう言われると、また胸が緩んだ。
気づいた時には、誠司は彼女に導かれるまま、さっきよりも近い距離にいた。
どこまでが接客で、どこからが自分の意思なのか、もう分からなかった。
調査。
その言葉は、遠くなっていた。
やがて時間が過ぎ、店員が名残惜しそうに言った。
「今日はそろそろお時間です」
誠司は、はっとした。
端末を見る。
記録欄は、ほとんど空白だった。
本物の人魚。
奥の席。
ミレナにつながる手がかり。
聞くべきことは、何も聞けていない。
店員は誠司を見つめた。
「また来てくれますか?」
「……はい」
答えは、すぐに出ていた。
誠司はラウンジを出たあともしばらく足元がふわついていた。
得られた情報は少ない。
奥に行くには、さらに高い料金がかかる。
本物の人魚に近づくには、上位コースが必要。
分かったのは、それくらいだった。
誠司は端末を見た。
記録欄の空白が、妙に目立つ。
「次は、奥まで行かないと……」
小さくつぶやく。
今回分からなかったのは、自分が流されたからではない。
奥に入れなかったからだ。
そう思おうとした。
次に行けば、ちゃんと調査できる。
今度こそ、本物の人魚の情報を聞き出せる。
誠司は、そう自分に言い聞かせた。
けれど、頭のどこかでは、店員の声がまだ残っていた。
また来てくれますか?
その言葉を思い出すと、胸の奥がまた少しだけふわっとした。
家に戻ると、かすみが玄関へ出てきた。
「誠司さん。どうでした?」
誠司は靴を脱ぎながら、少し遅れて顔を上げた。
「……何がですか」
「ラウンジです。調査に行ったんですよね」
「ああ」
誠司は短く答えた。
かすみは、その様子に少し不安を覚えた。
いつもの誠司なら、分かったことを整理して話してくれる。
でも、今の誠司はどこかぼんやりしていた。
「何か分かりましたか?」
「奥に行かないと、詳しいことは分かりません」
「奥……?」
「上位コースが必要みたいです」
「そうなんですか」
かすみは少し黙った。
「大丈夫でした? 変なことされませんでした?」
その言葉に、誠司の肩がわずかに動いた。
「大丈夫です」
声が冷たかった。
かすみは息を止めた。
「心配しただけです」
「分かっています。でも、今は整理したいので」
誠司はそれだけ言うと、かすみの横を通り過ぎた。
「誠司さん」
呼び止めても、誠司は振り返らなかった。
「少し、一人にしてください」
そう言って、誠司は書斎へ入ってしまった。
扉が閉まる。
かすみは、廊下に立ったまま動けなかった。
心配していただけだった。
無事に帰ってきてくれたことに安心して、何があったのか聞きたかっただけだった。
それなのに、誠司はまるで自分を遠ざけるように部屋へこもってしまった。
かすみは、閉じた扉を見つめた。
胸の奥に、小さな痛みが残った。
誠司さんは、何を見てきたのだろう。
そして、どうして私に話してくれないのだろう。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、誠司がマーメイドラウンジへ調査に入る回でした。
冷静に見るつもりだった誠司ですが、ラウンジの空気と店員の接客に少しずつ飲まれていきます。




