第43話 欲望区へ続く手がかり
竜宮城ホテルから戻った久美子たちは、それぞれの仕事場で聞き込みを始めます。
一方、欲望区では、レイナが詩乃から新しいマーメイドビジネスの話を聞かされていました。
竜宮城ホテルから戻った翌日。
久美子たちは、いつもの街で仕事に戻っていた。
海の底にあった竜宮城ホテルは、夢のような場所だった。
けれど、目の前にあるのはいつもの作業台であり、いつもの伝票であり、いつもの仕事だった。
久美子は洋裁工房で、布を裁ちながら先輩職人に声をかけた。
「この前のマーメイドファッションの注文って、まだ続いているんですか?」
先輩職人は伝票をめくった。
「続いているよ。むしろ増えてるね」
「増えているんですか」
「欲望区向けは流行が早いからね。今は海っぽいものが売れるらしいよ」
久美子は並べられた材料を見た。
貝殻風の飾り。
水に濡れると光る布。
尾びれのように広がるスカート部分。
前に見たものより、種類が増えていた。
「これ、全部同じ店の注文ですか?」
「同じ系列だね。店員用、撮影用、客用のレンタル衣装、販売用。細かく分かれてる」
「客用もあるんですか」
「あるよ。人魚みたいな格好をして写真を撮るんじゃない? 欲望区ではそういうのも売れるから」
久美子は、伝票の端に書かれた名前を見た。
【マーメイドラウンジ関連】
その文字を、静かに覚えた。
同じ頃、かすみは薬局で棚の整理をしていた。
水中生物専用の薬の前で、担当者に聞く。
「この人魚用の薬って、どんな人が買っていくんですか?」
担当者は少し考えた。
「正規の海関連施設や、研究施設が買うこともある。でも最近は、欲望区からの注文が増えてるね」
「欲望区から?」
「水槽管理用の薬、水温変化による体調不良の薬、鱗や皮膚の保護薬。人間用とは違うから、扱いを間違えると危ない」
かすみは伝票を見せてもらった。
購入者名の一部は伏せられていたが、何度も出てくる文字があった。
【マーメイドラウンジ】
「この店、よく買っているんですね」
「水槽を持っている施設なら必要なんだろうね」
担当者はそう言ったが、声は少し硬かった。
かすみは、それ以上深く聞かなかった。
薬の棚に並ぶ瓶が、昨日までとは違って見えた。
大地は運送会社で、海水タンクの伝票を確認していた。
前に運んだ大量の海水。
その最終的な配送先が気になっていた。
大地は、海水や生きた魚を扱う部門の担当者に声をかけた。
「この前、欲望区に大量の海水を運んだんですけど、あれって何に使うんですか」
担当者は伝票を整理する手を止めた。
ほんの一瞬だけ、顔が曇る。
「さあな。俺は知らない」
「でも、生き物を運ぶ部門なら、何か聞いてませんか」
「知らないって言ってるだろ」
声は荒くなかった。
けれど、それ以上聞くなという空気だけはあった。
大地は無理に問い詰めなかった。
ただ、その反応だけは覚えておくことにした。
優は魚屋の仕入れの仕事で、港へ来ていた。
漁師たちは朝の仕事を終え、網や道具を片づけている。
優は魚を確認しながら、さりげなく聞いた。
「最近、海の方で人魚の噂ってありませんか」
漁師たちは顔を見合わせた。
「人魚? 昔話じゃねえのか」
「この辺じゃ見ねえな」
「歌が聞こえたって言うやつはたまにいるけど、酒飲んだ帰りだろ」
笑い混じりの声が返ってくる。
優は、ミレナの特徴を出しすぎないように聞いた。
「銀色に近い髪で、薄い青の尾びれの人魚を見た人はいませんか」
その瞬間、一人の若い漁師の顔がかすかに曇った。
彼はすぐに視線をそらし、網の方へ手を伸ばした。
ほかの漁師たちは首を振る。
「知らねえな」
「見たら忘れないだろ、そんなの」
少し遅れて、若い漁師も軽く笑った。
「人魚なんて、昔話だろ」
優は何も言わなかった。
ただ、その反応だけは気になった。
誠司は修理工房で、欲望区からの発注記録を確認していた。
水槽用の強化ガラス。
水温管理装置。
水流調整機。
大型照明。
音響設備。
記録には、同じ施設名が何度も出てくる。
【マーメイドラウンジ】
誠司は端末に記録を移した。
「かなり大きな設備ですね」
工房の職人は、工具を拭きながら言った。
「水槽を見せ物にする店らしい。欲望区の仕事は金払いがいいから、依頼は多い」
「故障も多いんですか」
「多い。水槽は繊細だし、照明や音響も派手に使うからな」
誠司は発注記録を見つめた。
「水槽、照明、音響、温度管理……ただの飲食店ではなさそうですね」
夕方。
久美子たちは、街の小さな食堂に集まった。
それぞれが仕事のついでに聞いたことを持ち寄る。
久美子が言った。
「マーメイドファッションの注文元に、マーメイドラウンジって名前がありました」
かすみもうなずく。
「薬局でも、その名前が出ました。人魚用や水中生物用の薬を買っています」
大地は腕を組んだ。
「海水の配送先も、たぶんそこにつながってる。ただ、詳しく聞こうとしたら濁された」
優は港で見た若い漁師の話をした。
「証拠はありません。でも、人魚の話になった時、少しだけ反応が不自然な人がいました」
誠司は端末を見せた。
「修理工房の発注記録にも、マーメイドラウンジが出ています。大型水槽、照明、音響、水温管理装置。設備としてはかなり大きい」
早希は全員の話を聞いてから、静かに言った。
「ミレナがそこにいるかどうかは、まだ分からない。でも、調べる価値はありそうだね」
「行くのか?」
大地が聞く。
早希は首を横に振った。
「すぐには行かない。正面から入るのは危険かもしれない。まず、どういう店なのか、もう少し情報を集める」
久美子は、テーブルの上に置かれたメモを見た。
衣装。
薬。
海水。
設備。
港の違和感。
すべてが、同じ名前へ向かっている。
【マーメイドラウンジ】
その文字だけが、はっきりと残った。
一方、欲望区では。
レイナは詩乃に連れられて、明るい店内を歩いていた。
そこは、マーメイドラウンジとは別の入り口だった。
壁には貝殻や真珠を使った飾りが並び、大きな鏡の前にはマーメイド風のドレスが何着も展示されている。
露出は少なめで、色も上品だ。
薄い水色。
淡い紫。
真珠のような白。
どれも、女性客が憧れやすい美しさだった。
詩乃は、棚に並んだアクセサリーを指先でなぞった。
「ここはマーメイドクラブの準備店舗よ」
鏡に映るドレスや美容液の棚を見ながら、詩乃は続けた。
「ラウンジのファンクラブとは別。これは女性客向けの会員制サロンね」
「会員制サロン……?」
「マーメイドエステ、変身撮影、衣装レンタル、アクセサリー販売、美容商品。人魚を応援するためじゃなくて、自分が人魚みたいになりたい人のための商品よ」
レイナは、並んだドレスを見た。
綺麗だ。
売れるだろう。
客向け、撮影向け、販売用。
目的ごとに分けられているのが分かった。
詩乃は奥の部屋へレイナを案内した。
そこには、エステ用の寝台が並んでいた。
青い照明。
海藻のような香り。
真珠色に光る美容液の瓶。
「端末で整形や外見変更は買える。でも、気持ちよさや肌のつや、ハリは体験で売れるの」
詩乃は美容液の瓶を手に取った。
「海の成分を使った特別品として売るわ。エステを受けた客は、家でも同じ気分を続けたくなる。だから、シャンプー、リンス、ボディソープ、香水、化粧品も一緒に売るの」
棚には、マーメイドをイメージした商品が並んでいた。
容器はどれも美しく、置かれているだけで高そうに見える。
次の部屋には、撮影用の背景があった。
貝殻の椅子。
水槽風の壁。
光る珊瑚の飾り。
人魚になったように見える写真が撮れる場所だった。
「マーメイド変身コースでは、専門のスタイリストがメイク、髪、衣装を整える。写真はスタッフ撮影のみ。衣装やセットによって料金も変わるわ」
レイナは鏡に映る衣装を見た。
「これを私が売るんですか」
「あなたには、女性客向けの案内を手伝ってもらいたいの」
詩乃はレイナを見た。
「綺麗に変身したい。写真を撮りたい。人魚みたいな肌や香りを手に入れたい。そういう客をここへ案内するの」
「紹介料は?」
「もちろん出るわ。エステ、衣装、アクセサリー、化粧品、撮影。全部につながるから、単価は高い」
レイナは並ぶ商品を見た。
綺麗になりたい人。
特別になりたい人。
写真に残したい人。
そういう気持ちは、レイナにも分かる。
だからこそ、売れると思った。
詩乃は鏡の前に立ち、自分の髪を整えた。
「最初は、少しだけ人魚気分を味わえれば満足するの。衣装を着て、写真を撮って、美容商品を買う。それだけでも十分に商売になる」
そこで、詩乃は少しだけ声を落とした。
「でも、中にはマーメイドラウンジで働きたいと言い出す人もいるわ。綺麗にしてもらって、褒められて、写真を撮られて、自分にも価値があると思えるのよ」
「マーメイドラウンジ……?」
「奥にある接客用の店よ。人間のマーメイド店員として働く道があるの」
詩乃は、さらに奥から漏れる水槽の光を見た。
「そして、それでも足りない人は、本物の人魚になりたがる」
レイナは黙った。
詩乃は、商品説明の続きを話すように言った。
「人間になりたい本物の人魚と希望が一致すれば、人生交換もできる。人魚になりたい人間と、人間になりたい人魚。お互いの望みが合えば、交換は成立するの」
レイナは、鏡に映るドレスを見た。
真珠のアクセサリー。
甘い香りの美容液。
撮影用の美しい背景。
その奥に、マーメイドラウンジの青い光が続いている。
「レイナ」
詩乃が名前を呼んだ。
「これは伸びるわ。あなたも早めに覚えた方がいい。客に説明できるようにね」
「分かりました」
レイナは答えた。
お金は欲しい。
成績も上げたい。
でも、目の前の美しい商品棚が、ただ綺麗なだけには見えなかった。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、久美子たちが街で手がかりを集め、マーメイドラウンジへ近づいていく回でした。
一方、レイナは詩乃から、女性客向けのマーメイドクラブについて説明を受けます。




