第41話 竜宮城の玉手箱
竜宮城ホテルに泊まった久美子たち。
美しい海底の宮殿で、人魚たちの話を聞いた久美子たちは、海の今に少しずつ近づいていきます。
竜宮城ホテルの朝は、静かな歌声から始まった。
窓の外で、人魚たちがゆっくりと泳いでいる。
真珠の灯りは夜よりも淡くなり、珊瑚の庭には、朝の光のような白い輝きが広がっていた。
海の底に朝があるのかどうか、久美子には分からない。
けれど、竜宮城ホテルの庭は、たしかに朝のように見えた。
光る珊瑚の枝に、小さな魚たちが集まっている。
透明な泡が、庭の奥からゆっくり浮かび上がる。
その泡の中には、真珠の粉のような細かい光が混ざっていた。
「きれい……」
久美子は窓辺に立ったまま、しばらく外を見ていた。
部屋の扉が静かに鳴った。
「朝食の準備が整いました」
昨日案内してくれた桃色の髪の人魚だった。
久美子たちは身支度を整え、広間へ向かった。
朝の広間には、昨日とは違う料理が並んでいた。
貝殻の器に入った温かいスープ。
海藻を細く刻んだサラダ。
真珠色の実を使った小さな菓子。
人間用に調整されているからか、香りは強すぎず、やさしい味がした。
大地は少し安心したようにスープを飲んだ。
「昨日も思ったけど、ここの飯は見た目より食べやすいな」
「水中生物用と人間用を分けていると言っていましたから」
かすみは料理を見ながら言った。
「薬も食事も、体に合うものが違うんですね」
誠司は端末に記録を残している。
「竜宮城ホテルの食材管理、かなり細かいです。人間用、人魚用、水中生物用で完全に分かれているみたいですね」
優は広間の奥を見た。
「ここは本当に、人魚と外の人が安全に会うための場所なんだね」
早希は静かにうなずいた。
「だから掟も厳しいんだと思う」
朝食が終わる頃、桃色の髪の人魚が久美子たちの席へ来た。
「昨日のお話の続きですが、少しだけお伝えできることがあります」
久美子たちは顔を上げた。
早希がまっすぐに聞く。
「行方不明になった人魚のことですか」
「はい」
人魚はうなずいた。
「最近姿を消したのは、若い人魚です。名前はミレナ。銀色に近い髪で、尾びれは薄い青。歌が得意な子でした」
かすみが静かに聞いた。
「人間と会っていたという話は、本当なんですか」
「噂ではあります。でも、保護区域の外れで、誰かと会っていたのを見た者がいます」
「誰か?」
「遠くから見ただけなので、はっきりとは分かりません。ただ、人魚ではなかったそうです」
誠司が端末に記録する。
「名前も顔も分からないなら、宿泊者かどうかは確認できないですね」
「はい。ですが、正規の宿泊者なら、保護区域の外れで人魚と隠れて会う理由はあまりありません」
早希が静かに言った。
「隠れて会っていた可能性が高い、ということか」
人魚はうなずいた。
「だから、不安なのです」
行方不明。
その言葉が、重く残った。
大地が低く聞いた。
「そのミレナって子は、連れて行かれた可能性があるのか」
人魚はすぐには答えなかった。
「証拠はありません。でも、自分から出て行ったとしても、戻れなくなっている可能性はあります」
誠司が端末に情報を記録する。
「銀色に近い髪、薄い青の尾びれ、歌が得意。名前はミレナ」
かすみは人魚を見た。
「他に、何か手がかりはありますか」
人魚は少し迷ってから、小さな貝殻を取り出した。
「ミレナが最後に残していったものです」
それは、小さな髪飾りだった。
貝殻と薄青の石で作られている。
「預かってもいいですか」
誠司が聞いた。
「調べるだけです。傷つけたり、売ったりはしません」
人魚は少し驚いたように誠司を見た。
それから、静かに髪飾りを差し出した。
「お願いします」
誠司は慎重に受け取った。
「魔力反応を記録します。これがどこかの品物とつながるかもしれません」
早希は全員を見た。
「今すぐ欲望区へ行くのは危険だと思う。でも、情報は集めた方がいい」
大地がうなずく。
「戦いに行くんじゃなくて、調査だな」
「そうですね」
かすみも言った。
「行方不明の人魚がいるなら、見過ごせません」
桃色の髪の人魚は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。ですが、無理はなさらないでください。欲望区は、私たちにとってもよく分からない場所です」
早希は答えた。
「分かっています。だからこそ、慎重に動きます」
その後、久美子たちは竜宮城ホテルの中を少し案内された。
宿泊者が入れる区域だけだったが、それでも十分に広かった。
廊下の壁には、海の歴史を描いた絵が並んでいる。
人魚たちが珊瑚を育てる絵。
魚たちと歌う絵。
古い竜宮城を失った後、新しい場所へ移っていく人魚たちの絵。
長い時間をかけて、今の竜宮城ホテルは作られたのだと分かった。
中庭には、透明な水晶でできた大きな鐘があった。
人魚が近づき、そっと手を触れると、音ではなく光が広がる。
その光に反応して、庭の珊瑚が一斉に輝いた。
「すごい……」
久美子は思わず立ち止まった。
珊瑚の枝から、光の粒が舞い上がる。
金色、青、桃色、白。
まるで海の中に花火が咲いたようだった。
優も見上げている。
「海の中なのに、空を見てるみたいだ」
かすみは静かに微笑んだ。
「この景色を守りたいと思う気持ち、分かる気がします」
案内役の人魚は、少しだけ表情をやわらげた。
「ここは、簡単に見つからないように作られています。ですが、閉じ込めるための場所ではありません。守るための場所です」
案内の最後に、久美子たちは小さな礼拝堂のような部屋へ通された。
そこはホテルの奥にある静かな部屋だった。
壁には珊瑚の紋様が刻まれ、床には円形の魔法陣が描かれている。
中央には、白い貝殻の台が置かれていた。
その上に、小さな箱がある。
箱は、白と金の貝殻で作られていた。
角には珊瑚の飾りがあり、ふたには竜宮城の紋章が刻まれている。
久美子は、思わず足を止めた。
「これって……」
早希も見つめている。
「玉手箱みたい」
案内役の人魚は、静かにうなずいた。
「竜宮城にたどり着いた方へ渡される箱です」
「開けてもいいものなんですか」
優が聞くと、人魚は首を横に振った。
「今は開けないでください」
広間の空気が、少しだけ張りつめた。
大地が眉を寄せる。
「今は、ってことは、開ける時があるのか」
「はい。けれど、開ける時を間違えないでください」
人魚は玉手箱に手を添えた。
「中にあるものは、望んだものとは限りません。見たいものではなく、見るべきものが入っている場合があります」
誠司が端末を向けようとして、すぐに手を止めた。
「分析しても?」
人魚は首を横に振った。
「外側の記録だけなら構いません。ですが、中を調べようとすると、箱が反応する可能性があります」
かすみが一歩前に出た。
「危険物に近いなら、私が預かります」
「かすみが?」
久美子が見ると、かすみはうなずいた。
「薬や魔法道具と同じです。扱いを間違えると危ないものなら、きちんと管理した方がいいと思います」
案内役の人魚は、かすみを見つめた。
「あなたなら、丁寧に扱ってくださりそうです」
かすみは両手で玉手箱を受け取った。
箱は小さいのに、どこか重そうに見えた。
持った瞬間、箱の表面に刻まれた竜宮城の紋章が、ほんの一瞬だけ白く光った。
久美子は息をのんだ。
「反応した……?」
かすみも箱を見下ろす。
「でも、開いてはいません」
人魚は静かに言った。
「その箱は、時と記憶に関わるものです。急いで答えを知ろうとしないでください」
時。
記憶。
その言葉が、久美子の胸に残った。
玉手箱は美しい。
けれど、ただの報酬ではない。
開けるかどうかを試されるようなものだった。
早希は慎重に言った。
「分かりました。今は開けません」
人魚は深くうなずいた。
「それがよいと思います」
竜宮城ホテルを出る前に、久美子たちはもう一度ロビーへ戻った。
桃色の髪の人魚と青い髪の人魚が、入口まで見送ってくれた。
「またお越しください」
青い髪の人魚が言った。
「ただし、次に来る時も、必ず入場券をお持ちください。道は、資格のない方には開きません」
「分かりました」
早希が答える。
桃色の髪の人魚は、久美子たちを見て、少しだけ声を落とした。
「ミレナのこと、もし何か分かりましたら……」
久美子はうなずいた。
「はい。すぐに伝えます」
「ありがとうございます」
人魚は深く頭を下げた。
久美子たちは竜宮城ホテルを後にした。
門を出ると、来た時と同じように光の道が現れた。
珊瑚の森は静かで、真珠の泡が水中に浮かんでいる。
かすみは玉手箱を布に包み、薬袋とは別の鞄に入れていた。
「絶対に開けないようにします」
「うん。かすみに任せる」
久美子が言うと、かすみは少し緊張した顔でうなずいた。
誠司はミレナの髪飾りを慎重に保管している。
「戻ったら、これの魔力反応を調べます。欲望区の商品や装飾品に似た反応があれば、手がかりになります」
大地は腕を組んだ。
「欲望区か……行くなら気をつけねえとな」
早希は冷静に言った。
「戦いに行くんじゃない。まずは調査。危ないと思ったら引く」
優もうなずく。
「でも、行方不明の人魚がいるなら、何もしないわけにはいかないね」
久美子は、遠ざかっていく竜宮城ホテルの光を振り返った。
海の底に隠された、美しい場所。
その美しさを守るための掟。
そして、外に憧れて消えた人魚。
それらは、これから久美子たちが進む道につながっている。
そんな気がした。
一方、欲望区では。
玲司が、翔を連れて大きな建物の前に立っていた。
入口には、青く光る水槽の看板が掲げられている。
看板の中では、美しい人魚のシルエットがゆっくりと泳いでいた。
文字が浮かぶ。
【マーメイドラウンジ】
翔は足を止めた。
「マーメイド……?」
玲司は楽しそうに笑った。
「本物もいるぞ」
「本物?」
「そう。本物の人魚だ」
翔は思わず看板を見上げた。
水槽の光が、建物の壁にゆらゆらと揺れている。
美しい。
でも、なぜか少しだけ寒気がした。
玲司は入口へ向かいながら言った。
「人間は人魚に憧れる。人魚は人間の自由に憧れる。そこに商売が生まれるんだよ」
翔はその言葉の意味を、まだ理解できなかった。
自動扉が開く。
中から、水と香水の混ざったような甘い空気が流れてきた。
玲司は笑って、翔を中へ招いた。
「さあ、勉強の時間だ」
読んでいただきありがとうございます。
今回は、竜宮城ホテルで行方不明の人魚についてさらに話を聞き、謎の玉手箱を受け取る回でした。
そして欲望区では、玲司が翔を連れて、マーメイドラウンジへ足を踏み入れようとしていました。




