第40話 隠された竜宮城ホテル
竜宮城跡地で海底廃宮ミッションをクリアした久美子たち。
宝箱から手に入れた地図と入場券を頼りに、久美子たちはそのまま海の奥へ進みます。
竜宮城跡地を出た後も、久美子たちは調査艇には戻らなかった。
宝箱から手に入れた貝殻の地図が、淡く光っていたからだ。
地図の表面には、竜宮城跡地からさらに奥へ続く道が描かれている。
その先に、小さな印があった。
【竜宮城ホテル】
久美子は、その文字をもう一度見つめた。
「本当に、ホテルがあるんだね……」
早希は周囲を見回した。
「でも、簡単には行けそうにないね」
目の前には、青紫に光る珊瑚の森が広がっていた。
枝のように伸びた珊瑚が、迷路の壁のように並んでいる。
その隙間を、小さな銀色の魚が星屑のように泳いでいた。
頭上には、発光するクラゲがゆっくりと漂っている。
透明な傘の内側に金色の光を宿し、動くたびに、細い光の尾を水中へ引いていた。
美しい。
けれど、道は分かりにくかった。
さっき曲がったはずの珊瑚の柱が、また目の前にある。
右へ進んだはずなのに、同じ形の岩が現れる。
地図の光は先を示しているのに、実際の海底は何度も久美子たちを迷わせようとしているようだった。
大地が眉を寄せた。
「これ、普通に来たら絶対迷うだろ」
誠司は端末と貝殻の地図を見比べていた。
「地図に反応して、道が少しずつ変わっているように見えます。入場資格がない人を迷わせる仕組みかもしれません」
「隠したくなるよね」
かすみが静かに言った。
「ここまで分かりにくいのも、理由があるんだと思います」
優は前方を見つめた。
「でも、僕たちは入場券を持っている。だから、きっと通してくれているんだと思う」
その時、貝殻の地図が小さく光った。
地図に描かれていた細い線が、ふわりと浮かび上がる。
光の線は水中をすべるように伸びていき、珊瑚の森の奥へ続いた。
早希がうなずく。
「道案内が出たみたい。離れないように進もう」
久美子たちは、光の線を追って進んだ。
珊瑚の森は、進むほど色を変えていく。
青紫だった光は、少しずつ桃色を帯び、やがて真珠のような白へ変わった。
足元には、貝殻でできた小さな道が続いている。
その貝殻は踏まれるたびに、ほのかに光った。
右側には、花のように開いた珊瑚が並んでいた。
花びらの代わりに、薄い透明な膜が揺れている。
そこへ小さな魚が触れると、膜がきらきらと光を散らした。
左側には、丸い真珠の泡がいくつも浮かんでいた。
泡の中には、小さな光が閉じ込められている。
それが水流に揺れるたび、海底全体が星空のように見えた。
「すごい……」
久美子は思わずつぶやいた。
竜宮城跡地の冷たい廃墟とは違う。
この道には、今も誰かが守り続けている光があった。
しばらく進むと、道は急に途切れた。
目の前にあるのは、ただの大きな岩壁だった。
珊瑚も、門も、建物もない。
地図の光は、その岩壁の前で止まっている。
大地が岩を見上げた。
「行き止まりじゃねえか」
誠司は端末を確認する。
「座標はここで合っています」
「でも、入口なんてないよ」
優も周囲を見回す。
久美子は、手に持っていた貝殻の入場券を見た。
【竜宮城入場券】
白い貝殻に刻まれた文字が、かすかに光っている。
「これを使うのかな」
早希がうなずいた。
「試してみよう」
久美子は、貝殻の入場券を両手で持ち、岩壁へ向けてかざした。
その瞬間、入場券に刻まれた文字が白く光った。
岩壁の表面に、水紋が広がる。
何もなかったはずの場所に、珊瑚の模様が浮かび上がった。
真珠の粒が星座のように並び、岩壁全体へ光の線を走らせていく。
やがて、岩壁の中央に大きな門の形が現れた。
貝殻を重ねたような扉。
珊瑚で編まれた飾り。
真珠の灯り。
それらが海底の暗がりの中で、静かに輝いた。
門が、音もなく開いていく。
「入口……」
久美子は息をのんだ。
門の向こうには、光があった。
温かい灯り。
誰かが暮らしている気配。
遠くに、大きな建物が見えた。
真珠色の壁。
珊瑚の柱。
海藻のカーテンのように揺れる飾り。
貝殻の屋根は、月の光を受けたように白く輝いている。
その建物の上に、文字が浮かんでいた。
【竜宮城ホテル】
大地がぽつりと言った。
「本当にあったんだな」
かすみも、静かに見つめている。
「跡地だけじゃなかったんですね」
早希は一度だけ深く息を吐いた。
「行こう。ここから先は、さっきまでとは違う場所だと思う」
久美子たちは門をくぐった。
門の内側に入った瞬間、水の感触が少し変わった。
体を押していた海流が穏やかになる。
息もしやすい。
水中活動補助魔法があるからだけではなく、この場所そのものが宿泊者を受け入れるように整えられているのだと感じた。
道の両側には、真珠の灯りが並んでいた。
足元には、白い砂と貝殻で作られた道が続く。
頭上を、色とりどりの魚がゆっくり泳いでいく。
竜宮城ホテルの入口前には、二人の人魚が待っていた。
一人は淡い桃色の髪をした人魚。
もう一人は青い髪をした人魚だった。
どちらも美しい衣装をまとっている。
貝殻と真珠で飾られた上品な服。
腰から下は、きらきらと光る尾びれ。
二人は久美子たちを見ると、静かに頭を下げた。
「海底廃宮調査ミッションの達成者ですね」
桃色の髪の人魚が言った。
声は柔らかく、鈴のように澄んでいた。
早希が一歩前に出る。
「はい。ミッションをクリアして、入場券と宿泊許可証を受け取りました」
久美子は貝殻の入場券と宿泊許可証を差し出した。
人魚はそれを確認し、静かにうなずく。
「確認しました。皆さまは、竜宮城ホテルへの入場と宿泊が許可されています」
青い髪の人魚が、門の奥を示した。
「ようこそ、竜宮城ホテルへ」
案内役の人魚は、久美子たちをホテルの中へ案内した。
ロビーは、海の中とは思えないほど明るかった。
壁には貝殻の模様が描かれ、天井からは真珠の灯りが吊るされている。
床は磨かれた白い石で、歩くたびに淡く光った。
中央には、大きな水晶の噴水があった。
水中なのに、噴水の水はさらに透明な流れとなって、花のように広がっている。
その周りには、小さな魚たちが舞っていた。
「きれい……」
久美子は思わず声を漏らした。
先輩職人の工房で見たマーメイドファッションの素材を思い出す。
貝殻。
真珠。
尾びれのような布。
あれは、この世界のどこかにつながっていたのかもしれない。
けれど、ここにあるものは商品ではない。
暮らしの中にある美しさだった。
案内役の人魚は、ロビーの奥にある広間へ久美子たちを通した。
そこには、宿泊者用の説明板が立っていた。
水晶の板に文字が浮かび上がっている。
【竜宮城ホテル利用規則】
人魚は静かに言った。
「ここから先へ入る前に、竜宮城の掟をご確認ください」
水晶の板に、文字が一つずつ浮かび上がる。
【一、人魚の許可なく、人魚の体に触れてはならない】
【一、許可なく触れた者は、珊瑚となる】
久美子は思わず息を止めた。
「珊瑚に……なるんですか?」
案内役の人魚は、静かにうなずいた。
「はい。これは脅しではありません。竜宮城を守る古い結界です。人魚の意思を無視して触れた者は、海の一部へ変えられます」
大地が顔を引き締める。
「冗談じゃないんだな」
「はい。触れる必要がある場合は、必ず本人の許可を得てください」
次の文字が浮かぶ。
【一、人魚の歌、鱗、涙、髪、装飾品を勝手に持ち去ってはならない】
【一、人魚を売買、契約、所有の対象として扱ってはならない】
かすみが小さく息をのんだ。
「売買……」
案内役の人魚の表情は穏やかだったが、その言葉だけが重く響いた。
さらに、最後の掟が浮かび上がる。
【一、人魚と人間は、恋愛関係になってはならない】
優が静かに言った。
「それも、昔からの掟なんですか」
青い髪の人魚が目を伏せた。
「はい。昔の事件があってから、定められました」
桃色の髪の人魚が続ける。
「人魚と人間が近づきすぎれば、互いの世界を壊してしまうことがあります。だから今の竜宮城では、人魚と人間の恋愛は禁止されています」
人魚の声は淡々としていた。
けれど、その淡々とした言い方が、かえって長い時間を感じさせた。
早希が静かにうなずいた。
「分かりました。掟は守ります」
久美子たちも、それぞれうなずいた。
案内役の人魚は、少しだけ表情をやわらげた。
「ありがとうございます。掟を守っていただければ、竜宮城ホテルは安全で美しい場所です」
その後、久美子たちは客室へ案内された。
部屋は広く、丸い窓から海底の庭が見えた。
庭には光る珊瑚が並び、小さな魚が花びらのように泳いでいる。
ベッドのような寝台は、柔らかい海藻と貝殻の装飾で作られていた。
壁には、波の模様がゆっくり動いている。
天井には、真珠の灯りが星座のように散っていた。
「これ、すごいな」
大地が部屋を見回す。
「海の中のホテルっていうより、宮殿だね」
優も窓の外を見ながら言った。
かすみは薬袋を机の上に置いた。
「さっきまで戦っていたのが嘘みたいです」
久美子は窓辺に立った。
外の庭では、人魚のスタッフたちが静かに泳ぎながら、真珠の灯りを整えていた。
その姿は美しい。
でも、久美子はもう、人魚をただ美しい存在として見ることはできなかった。
彼女たちには、守らなければならないものがある。
夕食の時間になると、久美子たちは広間へ案内された。
そこには、海のごちそうが並んでいた。
貝の器に盛られた海藻のサラダ。
真珠色のスープ。
透明な魚の身を使った料理。
花のように飾られた海の果実。
ただ食べるだけではなく、見て楽しむ料理だった。
「これ、食べて大丈夫なんですか?」
大地が少し警戒しながら聞くと、人魚のスタッフが微笑んだ。
「人間の方でも食べられるように調整しております。水中生物専用のものとは分けていますので、ご安心ください」
かすみが反応した。
「水中生物専用……やっぱり、人魚用と人間用では違うんですね」
「はい。薬も食事も、体に合うものが違います」
かすみは真剣にうなずいた。
「勉強になります」
食事は穏やかに進んだ。
だが、広間の隅では、人魚たちが小声で話しているのが見えた。
久美子は、ふと耳を傾けた。
「また、戻ってこないらしいわ」
「若い子でしょう?」
「人間と会っていたって聞いた」
「海の外へ連れて行ってもらえるって……」
会話はすぐに途切れた。
人魚たちは久美子たちに気づくと、何事もなかったように離れていく。
久美子は手を止めた。
「今の……」
早希も気づいていたようだった。
「人魚が行方不明になってる?」
かすみが不安そうに案内役の人魚を見る。
「すみません。今の話、聞いてもいいですか」
案内役の人魚は、少し迷ったように目を伏せた。
だが、やがて静かに口を開いた。
「最近、若い人魚が何人か姿を消しています」
広間の空気が、少し冷たくなった。
優が聞く。
「行方不明、ということですか」
「はい」
人魚はうなずいた。
「人間に恋をした子もいました。海の外を見せてあげる、自由にしてあげる、と言われていたそうです」
「その人魚は……戻ってきたんですか?」
かすみが聞いた。
人魚は首を横に振った。
「いいえ。戻っていません」
沈黙が落ちた。
さっきまで美しく見えていた広間の灯りが、少しだけ遠く感じる。
桃色の髪の人魚は、声を落とした。
「掟があっても、海の外に憧れる子はいます。だからこそ、隠れて人間と会う子もいるのです」
早希が眉を寄せた。
「そして、戻ってこない」
「はい」
誠司は端末を操作しようとして、少し手を止めた。
「海の外に、人魚を欲しがる場所があるんですか」
人魚はすぐには答えなかった。
周囲を一度見てから、小さな声で言う。
「噂です。確かな証拠はありません」
その声は、さらに低くなった。
「けれど、欲望区という場所で、人魚が見世物のように扱われていると聞いたことがあります」
久美子は息をのんだ。
欲望区。
大地が運んでいた大量の海水。
久美子の工房に来ていたマーメイドファッションの注文。
かすみの薬局にあった水中生物専用薬。
いくつかの点が、少しずつつながっていく。
でも、まだはっきりとは分からない。
大地が低く言った。
「もし本当に欲望区に連れて行かれてるなら、放っておけねえな」
優もうなずく。
「でも、まだ噂だ。ちゃんと調べないと」
誠司は端末を見つめる。
「欲望区への海水輸送記録や、水中生物用の薬の流れ……調べれば何か出るかもしれません」
かすみは案内役の人魚を見た。
「行方不明になった人魚の名前や特徴は分かりますか?」
人魚は少し驚いたように目を上げた。
「調べてくださるのですか」
早希が静かに答える。
「今すぐ何かできるとは言えません。でも、聞かなかったことにはできません」
久美子もうなずいた。
「私たちは、海の今を知るためにここへ来たんだと思います」
案内役の人魚は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく頭を下げる。
「ありがとうございます」
その声は、ほんの少し震えていた。
食事の後、久美子たちはもう一度部屋へ戻った。
窓の外には、竜宮城ホテルの庭が広がっている。
真珠の灯りがゆらゆらと揺れ、遠くで人魚たちの歌が聞こえた。
それは美しい歌だった。
眠らせる魔法でも、魅了する魔法でもない。
ただ、海の夜を包むための静かな歌。
かすみが小さく言った。
「きれいな場所なのに、苦しいですね」
久美子はうなずいた。
「うん」
大地は腕を組み、窓の外を見た。
「でも、来てよかったんだろうな。知らないままだったら、何も気づけなかった」
優も静かに言う。
「人魚王が言っていたこと、少し分かった気がする」
誠司は端末に記録を残していた。
「明日、人魚スタッフからもう少し話を聞いてみましょう。行方不明者の情報があれば、欲望区側の動きと照合できるかもしれません」
早希は全員を見た。
「今日は休もう。ここに泊まれるのも、ミッションをクリアしたからだしね。明日からまた考えよう」
久美子はもう一度、窓の外を見た。
竜宮城ホテルの明かりは、海の奥で静かに輝いている。
それは隠された宝石のようだった。
人間に見つからないように。
二度と奪われないように。
それでも、海の外へ憧れる人魚はいる。
そして、その憧れにつけ込む人間もいるのかもしれない。
久美子は、貝殻の入場券をそっと手の中に包んだ。
竜宮城は、ただ美しい場所ではなかった。
ここから先にあるのは、海の今を知るための道だった。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、竜宮城跡地の先に隠されていた竜宮城ホテルへ向かう回でした。
美しい場所に見える竜宮城ホテルですが、そこには人魚たちを守るための掟と、今も続く不穏な噂がありました。




