第39話 竜宮城跡地の人魚王
竜宮城跡地へ向かう久美子たち。
そこに残っていたのは、滅びた海の国の記憶と、人魚たちの怨念でした。
久美子たちの端末に、新しいミッション通知が届いた。
【海底廃宮調査ミッションを開始します】
【目的地:竜宮城跡地】
【参加条件:沈没船ミッション達成済み】
【クリア報酬:竜宮城入場許可】
久美子は、表示された文字を見つめた。
「竜宮城跡地……」
早希が剣の装備を確認する。
「跡地ってことは、もう誰も住んでいない場所みたいだね」
誠司は端末を操作しながら、表示された地図を確認していた。
「座標は、前に行った海域よりさらに奥です。泳いで行く距離じゃありません。調査艇を使う指定になっています」
「じゃあ、いよいよあれの出番だな」
大地が言った。
潜水艦型調査艇。
誠司が修理工房で整備に関わっていた、海底移動用の機械だった。
かすみは薬袋を確認している。
「水中活動補助魔法Ⅱは使えます。でも、長時間の戦闘になるなら、薬も多めに持っていきます」
優も槍を背負い直した。
「竜宮城跡地か……名前だけならきれいな場所を想像するけど、跡地って出ている時点で油断できないね」
早希はうなずいた。
「全員、準備できたら出発しよう」
久美子も短槍と予備装備を確認した。
端末の画面には、もう一度ミッション名が表示されている。
【海底廃宮調査ミッション】
海底に沈んだ竜宮城。
その名前だけで、何か重いものが胸に落ちた。
潜水艦型調査艇は、静かに海の底へ沈んでいった。
丸い窓の外を、魚影が横切る。
海面から差し込んでいた光は少しずつ遠くなり、代わりに、海底に眠る岩や珊瑚の影が濃くなっていく。
かすみが杖を掲げた。
「水中活動補助魔法Ⅱ、かけます」
杖の先に、波紋のような魔法陣が広がった。
魔法陣は水中でいくつも重なり、貝殻の内側のような虹色の光を放つ。
その光が久美子たちの体を包み、呼吸と動きが少し楽になる。
「前より安定してる」
久美子が言うと、かすみは小さくうなずいた。
「Ⅱになったので、効果時間も長くなっています。でも、無理はしないでください」
誠司は操縦席の横で、調査艇の反応を見ていた。
「前方に大きな建造物反応があります。かなり古いです」
「見えてきたぞ」
大地の声に、久美子は窓の外を見た。
暗い海底の向こうに、巨大な門が沈んでいた。
珊瑚に覆われた柱。
砕けた貝殻の装飾。
半分崩れた真珠の階段。
かつては美しかったのだろう。
けれど今は、誰も住んでいない。
門の上には、壊れかけた文字が刻まれていた。
【竜宮城】
久美子は息をのんだ。
「ここが……竜宮城跡地」
調査艇は、崩れた門の近くで止まった。
端末が音を立てる。
【竜宮城跡地に到着しました】
【海底廃宮調査ミッションを開始します】
【内部へ進んでください】
早希が剣を抜いた。
「行こう」
久美子たちは、調査艇を降りた。
水の中に出ると、廃宮の静けさが全身にまとわりついてくる。
床には割れた真珠が散らばり、柱には黒ずんだ珊瑚が絡みついていた。
広間へ続く道には、壊れた人魚の像が並んでいる。
顔が欠けているもの。
腕が折れているもの。
尾びれだけが残っているもの。
どれも、誰かがわざと壊したように見えた。
「嫌な壊れ方だな」
大地が低く言った。
優は像の前で足を止めた。
「ここに住んでいた人たちがいたんだよね」
かすみは何も言わず、杖を握りしめた。
やがて、久美子たちは玉座の間のような場所に着いた。
広い空間だった。
天井は高く、そこには今も星のような貝殻の飾りが残っている。
だが、壁は崩れ、玉座はひび割れ、床の中央には大きな傷跡が残っていた。
まるで、ここで何かが終わったかのようだった。
その時。
床の傷跡から、鮮やかな水の紋章が浮かび上がった。
深い海の紺。
血のような赤紫。
真珠の白。
それらが渦を巻き、玉座の間全体に広がっていく。
端末が震えた。
【記憶映像を再生します】
「ムービー……?」
久美子がつぶやいた瞬間、目の前の廃宮が光に包まれた。
壊れた柱が、元の姿を取り戻していく。
砕けた貝殻の門が、きらびやかな装飾へ戻る。
真珠の灯りが広間を照らし、珊瑚の柱が色とりどりに輝く。
そこには、かつての竜宮城があった。
美しい宮殿だった。
人魚たちが穏やかに泳ぎ、笑い合っている。
広間では歌が響き、子どもの人魚たちが貝殻の飾りを持って遊んでいた。
王は玉座に座り、民を見守っている。
人魚たちは、海の中で静かに、豊かに暮らしていた。
人間に見つかる前までは。
映像の中に、一人の人魚の姫が現れた。
長い髪を水の中に広げ、宮殿の外を見つめている。
その視線の先には、海面の上の世界があった。
やがて姫は、一人の人間の男と出会った。
男は優しく笑い、姫に手を伸ばした。
姫はその手を取った。
海の外へ行きたい。
人間の世界を見たい。
その願いは、いつしか恋になった。
姫は人間になる道を選んだ。
映像の中で、姫の尾びれがまばゆい光に包まれる。
尾びれは二つの脚に変わり、姫は海の底から離れていく。
王は止めようとした。
民も止めようとした。
けれど姫は、人間の男を信じた。
そして、人間になった姫は、竜宮城の秘密を話してしまった。
海底へ続く道。
宮殿の場所。
宝物庫の存在。
守りの結界の抜け穴。
それを聞いた男の顔が、映像の中で変わった。
優しい笑みは消え、欲に濁った目が竜宮城の方を向く。
次の場面で、竜宮城に人間たちが押し寄せた。
槍を持つ者。
剣を持つ者。
魔法具を持つ者。
宝を入れるための大きな箱を持つ者。
静かだった宮殿に、悲鳴が広がる。
人魚たちは戦うことをしなかった。
戦いから離れて生きてきた。
その優しさは、襲ってきた人間たちの前では何の盾にもならなかった。
王を守ろうとした男の人魚たちが、次々に倒れた。
王も玉座の前で三叉槍を手に取った。
だが、守りきれなかった。
王の体が崩れ落ちる。
玉座が血で染まる。
宝物庫は破られ、真珠も珊瑚も金貨も宝石も、人間たちに奪われていった。
若い女の人魚たちは、生かされた。
それは助けられたのではなかった。
価値があると思われたからだった。
彼女たちは海の外へ連れて行かれた。
歌わされ、笑わされ、望まない接待をさせられた。
人間の都合で働かされ、心を削られ、海へ帰ることも許されなかった。
耐えきれず、自ら命を絶った者もいた。
使えないと判断された者は、簡単に捨てられた。
殺された者もいた。
映像の中の竜宮城が、ゆっくりと壊れていく。
折れた柱。
砕けた門。
ひび割れた玉座。
誰も歌わない広間。
そして、宮殿は海の底に沈んだまま、廃墟になった。
映像が止まる。
次の瞬間、玉座の間に冷たい声が響いた。
『人間よ……』
床のひび割れから、黒紫の泡が噴き出した。
壊れた柱の影から、人魚の幽霊たちが現れる。
女の人魚だけではない。
槍を持った男の人魚。
幼い人魚の影。
王を守ろうとして倒れた兵士たち。
そして、髪を水に漂わせる女の人魚たち。
その目は、悲しみと怒りで濁っていた。
『許さない……』
『私たちの海を奪った人間……』
『私たちの命を奪った人間……』
『これ以上、先へ進ませない……!』
早希が剣を構えた。
「来る!」
かすみが杖を握り直す。
誠司は端末を開き、敵反応を確認した。
「怨念反応、多数。音魔法の兆候があります」
「音?」
優が聞き返した時、人魚の幽霊の一人が横笛を構えた。
珊瑚で作られた細い横笛だった。
表面には真珠の粒が飾られ、古いものなのに美しく光っている。
人魚が笛を吹いた。
澄んだ音が、水の中に細く伸びる。
久美子のまぶたが、急に重くなった。
「……眠い……?」
足元がふらつく。
短槍を持つ腕から力が抜けていく。
優も槍を構えたまま、膝をつきそうになった。
「まずい……意識が……」
大地の盾も下がる。
「くそ、力が入らねえ……!」
「眠りの魔法です!」
かすみが叫んだ。
杖の先に、鋭い水紋の魔法陣が開く。
その魔法陣から、銀の泡が弾けるように広がった。
泡が久美子たちの額に触れ、眠気が少し薄れる。
だが、すぐに別の音が重なった。
今度は、小型ハープだった。
天使が手にするような、優美で小さなハープ。
枠は珊瑚でできていて、弦は真珠の糸のように白く輝いている。
人魚の幽霊が、その弦をそっとはじいた。
きん、と澄んだ音が走る。
誠司の指が止まった。
「……端末が、操作できない」
優も槍を握ったまま、顔をしかめた。
「腕がしびれる……」
大地は盾を上げようとしたが、動きが遅い。
「麻痺か……!」
さらに、人魚たちは歌い始めた。
美しい歌だった。
胸の奥に入り込み、戦う気持ちをそっと奪っていく。
攻撃してはいけない。
この人たちを傷つけてはいけない。
そう思った瞬間、久美子の短槍がわずかに下がった。
「違う……これは……」
「魅了です!」
かすみの声が響く。
「気持ちに干渉されています! 悲しいと思う気持ちは本物でも、動きを止められているのは魔法です!」
かすみは薬袋から小瓶を取り出した。
横にいた優と誠司へ、すぐに差し出す。
「優さん、誠司さん、飲んでください。完全には治せません。でも、少しは動けるはずです」
優は震える手で瓶を受け取った。
誠司も歯を食いしばりながら薬を飲む。
薬は体内で魔力に反応し、細かな泡のような光になって二人の体を巡った。
優の目に力が戻る。
誠司の指先も、ゆっくりと動き出した。
「助かった……」
「効果は短いです。無理しないでください!」
その時、広間の奥から巨大な魚が突進してきた。
人魚の歌に呼ばれたように、黒い魚影が柱の間をすり抜けてくる。
大地が盾を構えた。
だが、麻痺が残っている。
動きが一瞬遅れた。
巨大魚の突進が、大地の盾を直撃する。
「ぐっ……!」
大地の体が水中で大きく流され、床に叩きつけられた。
肩の装備が裂け、赤いものが水に溶ける。
「大地さん!」
かすみが駆け寄る。
薬では間に合わない。
かすみは杖を両手で握った。
「強力回復、使います!」
足元に巨大な魔法陣が広がる。
波の紋様と薬草の紋様が絡み合い、そこから白金の光が噴き上がった。
光は泡となり、大地の傷へ集まっていく。
裂けた傷がふさがり、呼吸が戻る。
大地は歯を食いしばって立ち上がった。
「悪い、助かった」
「まだ立てますか?」
「立てる」
だが、今度はかすみがよろめいた。
一気に魔力を使ったせいで、杖を持つ手が震えている。
優が支えようとした。
「かすみ、大丈夫?」
「大丈夫です……でも、もう全部は治せません」
かすみは薬袋の中を確認した。
解除薬も、回復薬も、残りは多くない。
横笛の音がまた響く。
ハープの弦が震える。
歌声が広間を満たす。
そこへ、巨大な亀が現れた。
甲羅には古い瓦礫と珊瑚が張りつき、まるで動く壁のようだった。
柱の影からは巨大なカニも出てくる。
大きなハサミが、水の中でぎらりと光った。
さらに、床の割れ目から大きな貝が口を開く。
貝の内側から、眠りを誘う泡がゆっくりと漏れ出していた。
誠司は端末を見ながら、必死に分析する。
「横笛が眠り。ハープが麻痺と魅了。貝が眠りの泡。魚が突進。亀が防御。カニが拘束役……連携しています」
早希は剣を構えたまま、短く息を吐いた。
「完全に囲まれたね」
大地が盾を前に出す。
「でも、抜けるしかねえだろ」
久美子は短槍を握り直した。
ここにあるのは、滅びた国の怒りだった。
奪われた宝。
殺された民。
海へ帰れなかった人魚たち。
その恨みが、今もこの廃宮に沈んでいる。
人魚たちの歌が強くなる。
『返して……』
『海を返して……』
『王を返して……』
『私たちの人生を返して……』
久美子の胸が痛んだ。
分かる、なんて簡単には言えない。
それでも、このまま倒れるわけにはいかなかった。
早希が一歩前に出た。
「あなたたちの気持ちは、分かった」
歌声が、ほんの少し揺れた。
早希は剣を下げない。
「人間を憎む理由もある。許せない気持ちもある。ここから先へ通したくない気持ちも分かる」
かすみも、杖を支えにしながら顔を上げた。
「でも、この先に……今も助けを求めている人魚がいるなら、私たちは進まなければいけません」
優が槍を構える。
「過去をなかったことにはしない。でも、ここで終わらせることもできない」
誠司が端末を握り直した。
「怨念の奥に、別の反応があります。まだ続いている何かにつながっている」
大地は盾を構えた。
「だったら、道を開ける」
人魚たちの声が怒りに変わった。
『人間が……』
『また奪うのか……』
『また、私たちを踏みにじるのか……!』
早希はまっすぐ前を見た。
「踏みにじるんじゃない。受け止めて、進む」
その瞬間、かすみが残った魔力を振り絞った。
「今だけ、動けるようにします!」
かすみの杖の先に、小さく鋭い魔法陣が開く。
もう広範囲には届かない。
だから、範囲を絞った。
久美子。
優。
大地。
三人の足元に、白い泡の輪が弾ける。
眠気が薄れる。
麻痺が緩む。
魅了の鎖が、一瞬だけほどける。
「今です!」
久美子と優が同時に飛び出した。
狙うのは、横笛の人魚。
眠りを止めなければ、戦いは続かない。
人魚が横笛を構える。
誠司が叫んだ。
「次の音まで二秒!」
早希が剣を振る。
刃が水を裂き、鋭い水流が横笛の周りを乱した。
音の軌道が揺れる。
その隙に、久美子の短槍が伸びた。
人魚は身をひねったが、優の槍が横から入る。
横笛が弾き飛ばされた。
甲高い音が水中に散り、眠りの魔法が途切れる。
「一つ止めた!」
大地が叫ぶ。
だが、巨大カニが久美子へ迫った。
ハサミが閉じる。
大地が割って入った。
盾を正面から押し返さず、斜めに構えて力を逃がす。
ハサミの軌道がずれた。
「力任せじゃねえんだろ!」
大地は潮切りの剣を振った。
刃から水流が走り、カニのハサミを弾く。
早希が続いて踏み込んだ。
「久美子、右!」
久美子は短槍を返し、カニの足元を突く。
動きが止まる。
その隙に、優が横を抜けた。
狙いは小型ハープの人魚。
真珠弦が震え、麻痺の波が来る。
誠司が端末を見ながら叫んだ。
「弦の三本目! そこが魔力の中心!」
「分かった!」
優が槍を突き出す。
だが、麻痺の波が優の腕を止めかけた。
かすみが小瓶を投げる。
「優さん!」
優はそれを受け取り、すぐに飲み込んだ。
薬の光が体内で弾け、腕に力が戻る。
槍が伸びた。
小型ハープの弦が一本、切れる。
鋭い音が響き、人魚の幽霊が悲鳴を上げる。
麻痺の波が弱まった。
「今なら動けます!」
かすみの声に、大地が前へ出る。
巨大亀が進路を塞いだ。
硬い甲羅に、刃は簡単には通らない。
大地は盾で水流を起こし、亀の向きをずらした。
その横を早希がすり抜ける。
久美子が短槍で甲羅の隙間を突く。
亀の動きが一瞬止まった。
誠司が叫ぶ。
「甲羅の下、魔力反応が薄い!」
「そこね!」
早希の剣が水を裂く。
亀の守りが崩れた。
広間の空気が変わった。
眠らされ、止められ、惑わされ、囲まれていた久美子たちは、少しずつ動きを取り戻していた。
人魚たちの悲しみを忘れたわけではない。
知ったからこそ、進まなければならなかった。
その時。
玉座の奥が、低く揺れた。
ひび割れた王座の背後から、巨大な影が浮かび上がる。
三叉槍を持った、人魚の王だった。
長い髪は水中で王冠のように広がり、折れた冠が額に残っている。
尾びれは黒く傷つき、体には古い戦いの跡が刻まれていた。
その目には、怒りと悲しみが沈んでいる。
『人間よ』
声だけで、水が震えた。
『我が民を殺した人間よ』
王が三叉槍を掲げる。
玉座の間の水が逆巻いた。
床の真珠が砕け、壊れた柱が軋む。
王の周囲に、巨大な魔法陣が開いた。
波の紋章。
王冠の紋章。
砕けた竜宮城の紋章。
それらが重なり、海底廃宮全体が王の怒りに包まれていく。
『我が娘を惑わせ、我が国を滅ぼした人間よ』
大地が盾を構える。
早希が剣を握る。
優が槍を構える。
誠司が端末を開く。
かすみは震える手で薬袋を握る。
久美子も短槍を前に向けた。
王は三叉槍を振り下ろした。
『二度と、竜宮城へは行かせぬ!』
海底の水が、巨大な壁となって襲いかかってきた。
「防御!」
早希の声が飛ぶ。
大地が盾を前に出した。
潮切りの剣を盾の横に添え、水流を斜めに裂く。
それでも、圧力は重い。
全員の体が押し戻される。
「くっ……!」
大地の足が床を削る。
かすみが杖を掲げた。
「水流防御!」
魔法陣が開き、盾の前に波紋の壁が重なる。
だが、かすみの顔色は悪い。
「長くはもちません……!」
誠司が端末を操作する。
「王の三叉槍が魔力の中心です。でも、周囲の怨念が補助している。まず周りの人魚たちの歌を弱めないと、本体に届きません」
早希は即座に判断した。
「久美子と優は残った歌い手を止める。大地は王を引きつけて。誠司は槍の魔力周期を読んで。かすみは無理しすぎないで、解除を必要なところだけに絞って」
「分かりました」
久美子は短槍を構え直した。
残った人魚の幽霊たちが歌い始める。
眠りではない。
今度は、怒りと悲しみを増幅させる歌だった。
胸の奥が重くなる。
呼吸が苦しくなる。
久美子の脳裏に、ムービーの光景が何度もよみがえる。
奪われた宝。
倒れた王。
連れて行かれた人魚。
手が震える。
「久美子さん!」
かすみの声が届く。
小さな泡が久美子の頬に触れた。
完全には消えない。
でも、前を向ける。
「ありがとう、かすみ」
久美子は短槍を握り直し、泳ぐように前へ出た。
優も隣に並ぶ。
「僕が右を止める」
「私は左」
二人は同時に動いた。
人魚の歌い手たちが声を重ねる。
その周囲に、貝が口を開き、眠りの泡を吐き出した。
久美子は泡を避けながら短槍を伸ばす。
優の槍が、別の歌い手の前にある結界を突いた。
結界が割れる。
歌声が弱まる。
その瞬間、王が三叉槍を横に振った。
巨大な渦が生まれ、大地を飲み込もうとする。
「大地さん!」
かすみが叫ぶ。
大地は盾を構えたまま、渦の中で踏ん張った。
「まだいける!」
誠司が端末を見た。
「渦の右側、流れが薄い! そこから抜けられます!」
「早希!」
大地が叫ぶ。
早希はすでに動いていた。
剣を構え、水の流れを読む。
渦が一瞬だけ緩んだ場所へ飛び込み、刃を振り抜く。
銀白の水流が走り、渦の一部が裂けた。
大地がそこへ潮切りの剣を叩き込む。
渦が崩れる。
「よし!」
だが、王はすぐに三叉槍を掲げた。
今度は、床から無数の珊瑚の槍が突き上がってくる。
久美子は身をひねって避けた。
優は槍で珊瑚を弾く。
早希は剣で切り払う。
それでも、全員を避けきれない。
誠司の足に珊瑚の棘がかすった。
「誠司さん!」
かすみが薬を投げる。
「飲んでください! 痛み止めと麻痺予防です!」
誠司はすぐに受け取り、飲んだ。
「ありがとう。分析、続けます」
王の三叉槍が再び光る。
誠司は画面を睨んだ。
「次の大技、来ます。槍の先に魔力が集まっています」
王の周囲に、人魚たちの怨念が集まる。
歌。
泣き声。
怒号。
悲鳴。
すべてが王の三叉槍へ吸い込まれていく。
『返せ』
王の声が、低く響く。
『我が国を返せ』
三叉槍の先に、巨大な水の竜が形を作った。
それは竜宮城そのものの怒りのようだった。
「来る!」
早希が叫ぶ。
かすみは杖を握った。
だが、魔力が足りない。
強力な防御を張るには足りなかった。
かすみは唇を噛み、薬袋から最後の大きな小瓶を取り出した。
「全員、下がらないでください!」
瓶を開け、中の薬液を杖の魔法陣へ流し込む。
薬液が魔力に反応し、黄金色の泡になって弾けた。
「防御補助薬、全部使います!」
波の魔法陣が六枚、久美子たちの前に重なった。
一枚目が砕ける。
二枚目が割れる。
三枚目が弾ける。
水の竜が迫る。
大地が盾を構え、前へ出た。
「ここは俺が受ける!」
大地の盾に、かすみの防御魔法が重なる。
早希の剣が水流を切り裂く。
優の槍が水の竜の顎を突く。
久美子の短槍が、その首元に走る。
誠司が叫んだ。
「今! 王の槍の魔力が乱れた!」
早希の目が鋭くなる。
「全員、王へ!」
大地が水の竜を押し返す。
かすみの魔法陣が最後の一枚で弾ける。
久美子と優が左右から飛び出した。
早希が正面から切り込む。
王は三叉槍を構えた。
『人間が……!』
王の怒りが、再び水を震わせる。
だが、もう歌い手たちの支援は弱まっていた。
横笛は落ち、ハープの弦は切れ、歌声も途切れかけている。
誠司が叫ぶ。
「槍の根元! そこを崩せば、魔力が止まります!」
早希が王の正面へ入る。
王の三叉槍が振り下ろされる。
早希は剣で受け流した。
衝撃で体が後ろへ流される。
その横から大地が盾をぶつけた。
王の槍がわずかにずれる。
「今だ!」
優の槍が三叉槍の根元を突く。
久美子の短槍が、同じ場所へ重なる。
ひびが入った。
王が叫ぶ。
水が爆ぜる。
かすみは最後の力で解除魔法を放った。
「怨念の鎖を、切ります!」
杖の先から、白金の波紋が広がる。
王の周囲に絡みついていた黒紫の泡が、少しずつほどけていく。
早希が剣を構え直した。
「これで終わらせる!」
早希の剣が、三叉槍のひびへ叩き込まれた。
大地の潮切りの剣が続く。
水流が刃となり、ひびを押し広げる。
久美子と優の槍が同時に突き刺さった。
三叉槍が砕けた。
玉座の間に、激しい光が広がる。
王の体から、黒紫の怨念が剥がれていく。
水の圧力が消え、歌声も止まった。
王は崩れた玉座の前で、静かに浮かんでいた。
その目から、怒りが少しずつ消えていく。
『……人間を、憎んだ』
王の声は、先ほどよりも穏やかだった。
『憎まなければ、民の声に応えられなかった』
久美子たちは、武器を下ろさずに聞いていた。
王は、壊れた宮殿を見回す。
『我が国は滅びた。民は奪われた。娘の恋は、国を滅ぼす扉となった』
王の声が揺れる。
『だが……そなたたちは、奪うために来たのではないのか』
早希は静かに答えた。
「違います」
かすみも、小さくうなずいた。
「私たちは、知るために来ました」
王は目を閉じた。
周囲の人魚の幽霊たちも、少しずつ姿を変えていく。
怒りに歪んでいた顔が、穏やかになっていく。
消える前の歌が、玉座の間に流れた。
今度は眠りでも、麻痺でも、魅了でもなかった。
ただ、海の底に沈んだ悲しみを送る歌だった。
王は最後に、久美子たちを見た。
『ならば、進め』
玉座の奥に、光の扉が浮かび上がる。
『海の今を知るがよい』
『まだ、海へ帰れぬ者たちがいる』
久美子は、その言葉に胸がざわついた。
まだ、海へ帰れぬ者たち。
それは、過去だけの話ではないのかもしれない。
王の姿が、真珠の光になってほどけていく。
人魚たちの幽霊も、次々に光へ変わった。
壊れた玉座の間に、静けさが戻る。
端末が音を立てた。
【海底廃宮調査ミッションをクリアしました】
【報酬を配布します】
床の中央に、宝箱が現れた。
珊瑚の装飾が施された、古い宝箱だった。
早希が近づくと、真珠の鍵穴が光り、箱が静かに開く。
中には金貨と宝石が輝いていた。
さらに、薄い貝殻で作られた札のようなものが二枚入っている。
久美子は、その一枚をそっと手に取った。
表には、美しい文字でこう刻まれていた。
【竜宮城入場券】
「入場券……?」
もう一枚には、別の文字が浮かんでいた。
【竜宮城ホテル宿泊許可証】
「ホテル?」
久美子が思わずつぶやいた。
早希も眉を寄せる。
「竜宮城って、泊まれる場所があるの?」
誠司は許可証の裏を確認した。
そこには、小さな地図が浮かび上がっていた。
竜宮城跡地からさらに奥。
珊瑚の森を抜け、海底の光る道を進んだ先に、別の印がある。
その印には、こう書かれていた。
【竜宮城ホテル】
優は地図を見つめた。
「今も……あるのかな」
かすみは、さっき消えていった人魚王の言葉を思い出した。
海の今を知るがよい。
まだ、海へ帰れぬ者たちがいる。
大地は静かに息を吐いた。
「ただの報酬って感じじゃねえな」
端末には、ほかの報酬も表示されていた。
【水流防御魔法Ⅱのデータを獲得しました】
【真珠石を獲得しました】
【珊瑚鉱石を獲得しました】
【人魚王の涙石を獲得しました】
【金貨を獲得しました】
宝箱の中には、涙の形をした透明な石が入っていた。
それは美しいのに、どこか悲しい光を宿していた。
かすみがそっと言う。
「人魚王の涙石……」
久美子は、貝殻の許可証と地図を見つめた。
竜宮城跡地は、もう滅びた場所だった。
けれど、地図の先には、まだ知らない竜宮城がある。
そこに誰がいるのか。
何が待っているのか。
まだ分からない。
でも、人魚王は言った。
海の今を知るがよい、と。
早希は剣を収めた。
「報酬を確認したら、このまま地図の場所へ向かおう。ここまで来たなら、進めるところまで進んだ方がいい」
久美子はうなずいた。
海の底には、まだ知らないものが沈んでいる。
過去に滅びた竜宮城。
そして、今もどこかにあるらしい竜宮城ホテル。
久美子たちは宝箱の報酬を受け取り、地図に示された光る道へ向かった。
読んでいただきありがとうございます。
今回は、竜宮城跡地での海底廃宮ミッションでした。
次回は、宝箱から手に入れた地図を頼りに、久美子たちはそのまま竜宮城ホテルへ向かいます。




