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第38話 次の準備と同じ顔の客

沈没船ミッションを終えた久美子たちは、次の海エリアへ向けて準備を始めます。

一方、欲望区ではアリスサロンの勧誘が進んでいました。

沈没船ミッションから数日後。


久美子たちは、それぞれの仕事に戻っていた。


海辺のロッジで報酬を整理した後、すぐに次のミッションが始まるわけではなかった。


けれど、何もしなくていいわけでもない。


沈没船より深い場所へ行くかもしれない。


潜る時間も長くなるかもしれない。


次に備えるなら、今のうちだった。


その日、久美子は早希と大地と一緒に、早希が働く訓練所へ向かっていた。


訓練所の奥には、水深の深い大きなプールがある。


普通の水泳用ではない。


水中戦闘や水中移動の訓練に使われる場所だった。


「沈没船の時、思ったより動けなかったからね」


早希は装備を確認しながら言った。


「次にもっと深い場所へ行くなら、今のままだと危ない」


大地は盾を持って、プールの前に立った。


「海の中で盾を構えるの、地上の倍は疲れるぞ」


「だから練習するんでしょ」


早希はあっさり言った。


久美子も短槍を持っていた。


本物の海ではない。


けれど、水の中で装備を持って動く感覚は確かめられる。


三人は順番にプールへ入った。


水の中へ沈むと、地上の音が遠くなる。


久美子は短槍を構えた。


突く。


引く。


横へ動く。


それだけの動作でも、水の抵抗で体が遅れる。


早希は剣を持ち、水の流れに逆らわず動く練習をしていた。


大地は盾を構えたまま、前へ出る。


だが、盾に水が当たるだけで体が少し流された。


「くそ、重いな」


「力で押し切ろうとすると流されるよ」


早希が指示を出す。


「盾を動かす時は、正面から押すんじゃなくて、少し斜めに逃がして」


大地はもう一度盾を構え直した。


久美子は、その横から短槍を伸ばす。


大地が受け、早希が斬り込み、久美子が隙を突く。


沈没船でやった動きを、何度も繰り返した。


訓練が終わる頃には、三人ともかなり疲れていた。


プールから上がった大地は、床に座り込むようにして息を吐いた。


「これ、普通の筋トレよりきついな」


「水の中は、ごまかしが効かないね」


久美子も腕を回しながら言った。


早希はタオルで髪を拭きながら、端末に訓練内容を記録している。


「でも、やらないよりは絶対いい。次までに、もう何回かやろう」


久美子はうなずいた。


沈没船は終わった。


でも、海エリアはまだ始まったばかりだった。


その後、久美子は工房へ向かった。


作業台の上には、いつもの布とは違う材料が並んでいた。


白く磨かれた貝殻。


水に濡れると光るという布。


腰から尾びれのように広がる型紙。


そして、貝殻をつなげた胸当てのようなもの。


久美子は、思わず手を止めた。


「今度は、これ何ですか?」


先輩職人は伝票を見ながら答えた。


「欲望区向けの注文だね。マーメイドファッションだって」


「マーメイドファッション……」


久美子は、貝殻の胸当てを見た。


服というより、飾りに近い。


でも、伝票にはきちんと数量が書かれている。


「またコスプレみたいなものですか?」


「さあね。欲望区は流行が早いから」


先輩職人は慣れた様子で材料を分けていく。


「アリス仕様、レオ仕様の次は、海っぽいものが流行ってるのかもね」


久美子は、尾びれのような型紙を見つめた。


こんなものまで売れるんだ。


欲望区では、次から次へと不思議なものが流行るらしい。


けれど、縫うものは縫う。


久美子は指定された糸を取り、作業に入った。


同じ頃、かすみの薬局にも、見慣れない薬が並んでいた。


【水中生物専用】


【水温変化による体調不良】


【鱗・皮膚保護用】


かすみは、その表示を見て手を止めた。


沈没船ミッションを終えたばかりだからこそ、水中生物専用という言葉が少しだけ気になった。


「これ、普通の薬とは違うんですね」


かすみが聞くと、薬局の担当者はうなずいた。


「人間用とは成分が違う。効きすぎる場合もあるし、逆にまったく効かない場合もある」


かすみは棚の表示をもう一度見た。


今まで知っていた薬とは違うものが、この街にはまだたくさんある。


そう思うと、薬棚の奥が少し広く見えた。


誠司は修理工房で、潜水艦型調査艇の整備に加わっていた。


沈没船で使った小型機材とは違う。


今度の機械は、人が乗り込む大きさだった。


丸い窓。


厚い外装。


水圧に耐えるための補強。


内部には、記録端末や魔力反応を測る装置が取り付けられている。


「次の海エリアでは、泳いで行ける距離じゃないかもしれない」


職人が言った。


「沈没船は初級だったからな。ここから先は、海底移動艇や潜水艦型調査艇が必要になる場所もある」


誠司は外装の接続部分を確認した。


「魔力回路と機械部品が混ざっているんですね」


「そうだ。海の中では、普通の機械だけでも、魔法だけでも不安定になる。両方を合わせて使う」


誠司は、小さくうなずいた。


機械を直すだけではない。


次の海へ行くための道を整えている。


そう思うと、目の前の潜水艦型調査艇が、ただの乗り物には見えなかった。


大地の運送会社では、欲望区行きの荷物が用意されていた。


その中に、大量の海水を入れた専用タンクがあった。


「今日はこれを欲望区へ運ぶ」


先輩作業員が伝票を渡す。


大地は表示を見た。


【海水輸送】


【温度管理必須】


【配送先:欲望区】


「海水ですか?」


「ああ。大量だ。温度を変えるなって指定されてる」


「こんなに大量の海水、何に使うんですか?」


大地が聞くと、先輩作業員は肩をすくめた。


「さあな。欲望区の注文は、深く聞かない方がいい」


大地は専用タンクを見た。


海水。


温度管理。


欲望区。


ただの水を運ぶだけのはずなのに、妙に引っかかる。


沈没船で見た海とは違う。


欲望区へ運ばれていく海水。


それが何に使われるのか、大地には分からなかった。


一方、欲望区では、アリスサロンの扉が開いていた。


中から出てくる客たちは、みんな似たような服を着ていた。


淡い色のワンピース。


白いリボン。


整えられた髪。


似たような表情。


最初は、綺麗だと思った。


けれど、何人も続けて出てくると、レイナは少しだけ違和感を覚えた。


みんな、同じに見える。


これで本当にいいのだろうか。


「どう?」


隣にいた詩乃が聞いた。


「アリスに近づいているでしょう」


レイナは返事に迷った。


確かに、綺麗にはなっている。


でも、誰が誰なのか分からなくなっていくようにも見えた。


「……みんな、お揃いなんですね」


「憧れに近づくって、そういうことよ」


詩乃は当然のように言った。


レイナは、サロンの入口を見つめた。


お金は欲しい。


上に行きたい。


でも、自分まで同じになりたいわけではない。


その気持ちだけは、まだ残っていた。


詩乃は、そんなレイナの迷いを気にする様子もなく、テーブルに商品一覧を並べた。


アリス仕様の美容サプリ。


表情を整えるレッスン。


声の出し方講座。


アリス仕様の衣装。


レオコースの案内資料。


レイナは、値段を見て眉を寄せた。


「高いですね」


「普通ならね」


詩乃は微笑んだ。


「でも、あなたは従業員だから特別価格にしてあげる」


「私が買うんですか?」


「当然でしょう。ちゃんと試して、勉強して、お客様に勧めるの」


詩乃の声はやわらかい。


けれど、断りにくい圧があった。


「使ったこともない商品を勧めても、言葉に説得力が出ないわ」


レイナは商品一覧を見た。


買えば、またお金が減る。


でも、使えば売りやすくなると言われている。


そして売れれば、紹介料が入る。


「あなたも、私みたいにもっとアリスを目指せばいいのよ」


詩乃は鏡に映る自分を見た。


「容姿レベルが上がると、紹介できる仕事も増える。時給も上がる。指名も入りやすくなる。お客様からも信用される」


詩乃は、レイナに視線を戻した。


「綺麗になれて、稼げて、勧誘もしやすくなる。こんなお得な話、ないでしょう?」


レイナは黙った。


お金は欲しい。


今より上に行きたい。


もっといい部屋に住みたい。


でも。


アリスになりたいわけではない。


誰かと同じ顔になりたいわけでもない。


お金を稼ぐために、どこまで自分を変えればいいのか。


レイナは、すぐには返事ができなかった。


詩乃は、鏡の中の自分を見つめていた。


「私は、かなり近づいていると思う」


その声は、レイナに聞かせるというより、自分に言い聞かせているようだった。


「でも、まだ上がいるの。私よりもっとアリスに近い人たちがいる」


詩乃の目は、どこか遠くを見ていた。


「だから、止まれないのよ」


レイナは、その横顔を見た。


詩乃は優雅に見える。


お金もある。


立場もある。


でも、まだ満足していない。


もっと上。


もっとアリスへ。


その先に何があるのか、レイナには分からなかった。


アリスサロンの扉がまた開いた。


同じような服を着た客が、また一人、外へ出てきた。

読んでいただきありがとうございます。

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