第31話 次の街へ
第31話から、新しい街エリア編に入ります。
朝。
エリア中央の広場に、大きな送迎バスが止まっていた。
初心者エリアを出た時のように、荷物をリアカーに積んで歩く必要はない。
人は送迎バスで移動する。
荷物は、別のトラックで運ばれることになっていた。
「全員分かよ」
トラックの前で、大地が言った。
荷台には、かすみたちの荷物が順番に積まれている。
久美子の荷物も、その中にあった。
端末には、役割が表示されている。
【運搬担当:大地】
【街エリアまでの荷物輸送をお願いします】
大地は少しだけ肩を回した。
「まあ、リアカーよりは楽か」
「懐かしいね。リアカーで引っ越した日」
優が、バスの横からトラックを見ながら言った。
「僕、あの日すごく疲れた気がする」
「優は荷物少なかったでしょ」
早希が言うと、優は困ったように笑った。
「気持ちの問題だよ」
かすみも、バスの荷物置き場を見ていた。
「前の引っ越しとは、全然違うね」
「それだけ、次に進んだってことなのかな」
誠司が静かに言った。
広場には、次の街エリアへ向かう者たちが集まっていた。
誰もが、少し緊張した顔でバスを見上げている。
やがて、久美子たちの端末が一斉に光った。
【移動資格を確認しました】
【対象者は乗車してください】
その時、久美子は声をかけられた。
「久美子」
振り返ると、防具担当の先輩女性が立っていた。
前のエリアで、久美子が止めてしまった防具補修を進めてくれた人だった。
「向こうには、話を通しておいたから」
「……ありがとうございます」
久美子は、少し頭を下げた。
先輩女性は、久美子の手元を見た。
「無理に明るくならなくていいよ」
その声は、いつも通り落ち着いていた。
「まずは、手を動かしてみな」
「はい」
久美子は小さく答えた。
先輩女性は、それ以上何も言わなかった。
ただ、バスの扉が開くまで、そこに立って見送ってくれた。
優は、少し離れた場所で海の方を見ていた。
「……少し寂しいな」
「残りたいの?」
早希が聞いた。
優は首を横に振った。
「そうじゃないよ。ここの海から離れるのが、ちょっと寂しいだけ」
それから、少し笑った。
「でも、次の街でも海に関わる仕事があるみたいだから。僕は、そっちで頑張る」
「優っぽいね」
かすみが言うと、優は照れたように端末をしまった。
やがて、全員がバスに乗り込んだ。
大地はトラックの運転席に座る。
「じゃあ、荷物は任せろ」
「安全運転でね」
かすみが言うと、大地は軽く手を上げた。
バスが動き出す。
窓の外で、防具担当の先輩女性が小さく手を振っていた。
久美子も、少しだけ手を上げた。
前のエリアが、ゆっくり遠ざかっていく。
共同食堂。
仕事場。
戦った広場。
失敗したこと。
怒られたこと。
泣きそうになったこと。
全部が、少しずつ後ろへ流れていった。
街エリアに着くと、空気が違っていた。
前のエリアより、自然が少ない。
土の道より、石で整えられた道が多い。
建物が並び、店の看板が並び、工房からは金属を打つ音や機械の動く音が聞こえてくる。
「前のエリアより、自然が少ないね」
優が言った。
「でも、店が多い」
かすみは周囲を見回した。
それぞれの場所が、すでに誰かの仕事場として動いていた。
端末が光る。
【街エリアでの生活拠点を確認してください】
端末には、それぞれの生活拠点と仕事先が表示された。
かすみと誠司は、二人用の2LDK。
優は、魚屋の二階にあるアパート。
久美子は、縫製工房近くの部屋。
大地は、運送会社の社員用アパート。
早希は、戦闘訓練トレーナー養成所の個室。
住む場所も、仕事場も、これまでのように同じではない。
それでも、週に二回は集まって、仲間でクエストやミッションを受けることになっていた。
個別ミッションは、それぞれ空いた時間にこなす。
「かすみと誠司は、二人用の部屋にするんだ」
早希が言った。
かすみは少し照れたように誠司を見た。
誠司も静かにうなずく。
「うん。仕事も別々になるし、前みたいに毎日同じ時間に食堂で会えるわけじゃないから」
「一緒に住むことにした」
誠司の声は落ち着いていた。
久美子の胸が、少しだけ痛んだ。
けれど前みたいに、息が苦しくなるほどではなかった。
かすみはかすみの場所へ進んでいる。
誠司も誠司の場所へ進んでいる。
自分にも、向かう場所がある。
まだ、何も始まっていない。
けれど、行き先だけは決まっていた。
「これからは、毎日一緒ってわけじゃないんだね」
優が言った。
前のエリアでは、何かあれば食堂に集まっていた。
仕事が終われば、自然と誰かが同じ席にいた。
疲れていても、顔を見れば何となく分かった。
けれど街エリアでは、住む場所も、仕事場も、食事をする場所も違う。
端末に、新しい通知が届いた。
【グループチャットを作成しました】
【週二回の集合ミッション】
【個別ミッション報告】
【次回集合場所確認】
「グループチャットか」
大地が言った。
「前は食堂で話してたのにね」
かすみが少し寂しそうに笑った。
「でも、集まらなくなるわけじゃないよ」
誠司が言った。
「週に二回、グループミッションやクエストを受ける。個別ミッションは、それぞれ空いた時間にこなす。そういう形になるみたいだ」
「仕事もして、ミッションもして、忙しくなりそう」
早希が言う。
「でも、鍛える時間は増えそうだよ。私は訓練所だし」
「俺も運送会社だから、毎日体動かすことになりそうだな」
大地が言った。
久美子は、その会話を聞きながら、街の奥を見た。
布の看板が揺れている。
先輩女性が話を通してくれた場所。
可愛い服を着れば、自分も変われると思っていた。
綺麗になれば、誰かが見てくれると思っていた。
けれど、そうではなかった。
今度は、自分が作る側に回る。
自分の手で、布を切り、縫い、直し、形にする。
それが何になるのかは、まだ分からない。
それでも。
「行ってみる」
久美子は小さく言った。
誰に向けた言葉でもなかった。
けれど、かすみがそっと笑った。
「うん」
それだけだった。
余計な励ましはなかった。
その短い返事が、今の久美子にはちょうどよかった。
一方、欲望区でも、少しだけ生活が変わっていた。
レイナと翔は、古いぼろアパートから、少しましなワンルームへ引っ越した。
壁の汚れは少ない。
床もきしみにくい。
風呂も、前より少し広い。
「前よりは、ましね」
レイナが部屋の中を見回して言った。
「かなりましだろ」
翔は荷物を下ろしながら答えた。
「ここまで来るのに、けっこう稼いだしな」
欲望区で戦い、仕事をこなし、危ない後処理にも関わった。
楽ではなかった。
それでも、二人は少しずつレベルを上げ、金も貯めていた。
生活は、確かに少し上がった。
前に住んでいた古いアパートには、もう新しい住人が入っているらしい。
初心者エリアから来たばかりの者たちだという。
かつての自分たちと同じように、そこから欲望区の生活を始めるのだろう。
レイナは窓の外を見た。
ここは、前より少しだけましな部屋。
けれど、外に広がっているのは同じ欲望区だった。
その日の仕事場で、レイナと翔は次の依頼を確認していた。
そこへ、玲司が軽い足取りで近づいてくる。
「聞いたぜ。お前ら、やっと豚小屋を卒業したんだって?」
翔が顔をしかめた。
「誰が豚小屋だ」
玲司は笑った。
「いや、前の部屋はなかなかだったろ。まあ、人間らしい部屋に移れたなら上出来だ」
その後ろから、詩乃がゆっくり歩いてきた。
「噂で聞いたわ。少しはまともな場所に住めるようになったそうね」
レイナは詩乃を見る。
「わざわざ嫌味を言いに来たの?」
「違うわ。褒めているのよ」
詩乃は、レイナと翔を見て静かに笑った。
「でも、そこで満足していたら、また下に戻るだけよ」
レイナは黙って詩乃を見る。
「欲望区では、上を目指し続ける人間だけが残るの」
詩乃は自分の胸元に手を添えた。
「もっと、私たちみたいに上を目指しなさい」
玲司が横で笑った。
「そういうこと。部屋が少し良くなったくらいで安心するなって話だ」
翔は顔をしかめた。
「上って、どこまでだよ」
詩乃は、少しだけ笑った。
「欲しいものが、もう欲しくなくなるところまでよ」
玲司は、持っていたカードを指で軽く弾いた。
「たとえば、空エリア入場権。海底神殿探索権。鉱山採掘権。ワープ装置の合言葉」
その言葉に、翔の動きが止まった。
「……そんなものまで売ってるのか」
「売ってるんじゃない。必要なやつに渡してるだけ」
玲司は悪びれずに言った。
「もう空に行く予定がないやつもいる。海底神殿に飽きたやつもいる。鉱山掘るのが面倒になったやつもいる。そういうやつから買って、行きたいやつに売る」
「初心者エリア終了証も?」
レイナが聞いた。
玲司は笑った。
「あるところにはある」
軽い声だった。
けれど、その中身は軽くなかった。
本来なら、自分で得るはずのもの。
自分で進み、自分で見つけるはずのもの。
それが、この場所では値段をつけられている。
「もちろん、安くはないけどな」
玲司はレイナを見る。
「でも、今のあんたたちなら、手が届かないわけじゃない」
レイナは何も答えなかった。
翔も黙っていた。
詩乃の端末には、小さな通知が光っていた。
【アリスの集い】
【本日の祈りと調整】
【声・仕草・表情の同期練習】
翔がその文字に気づいた。
「アリスの集い?」
詩乃は端末を伏せた。
「まだ、あなたたちには早いわ」
「何それ」
レイナが聞く。
詩乃は、遠くを見るように言った。
「欲しいものを手に入れた人間が、次に欲しがるものよ」
玲司は笑っていたが、その目は詩乃を観察していた。
レイナは、その二人を見た。
権利を売る玲司。
アリスに近づこうとする詩乃。
同じ欲望区にいても、二人はすでに別の場所へ進んでいるようだった。
そして自分たちも、少しだけましな部屋へ移った。
けれど、それは本当に上へ進んだことなのか。
それとも、欲望区の中で、別の場所へ移っただけなのか。
レイナには、まだ分からなかった。
街エリアでは、夕方になっていた。
久美子は、新しい仕事場の前に立っていた。
建物の中から、布を裁つ音が聞こえる。
ミシンの音。
誰かが寸法を読み上げる声。
棚には、たくさんの糸と布が並んでいる。
可愛いだけではない。
綺麗なだけでもない。
誰かの仕事着。
誰かの防具。
誰かの生活を支える服。
久美子は、扉の前で一度だけ息を整えた。
端末に、グループチャットの通知が届く。
【かすみ:部屋についたよ】
【優:朝、早そう】
【大地:荷物全部届けた。疲れた】
【早希:思ったより厳しそう】
【誠司:明日から研修です】
久美子は、その画面を見た。
前のエリアなら、食堂で顔を合わせて話していた。
今は、文字で届く。
少し遠い。
でも、消えたわけではない。
久美子は短く入力した。
【久美子:今から工房に入る】
少しして、かすみから返事が届いた。
【かすみ:いってらっしゃい】
その一言を見て、久美子は扉を開けた。
布の匂いがした。
新しい生活の匂いがした。
読んでいただきありがとうございます。




