第29話 残されたもの
戦いは終わりました。
けれど、終わったあとに残るものもあります。
久美子は、自分が何を苦しんでいたのかを話し始めます。
戦いが終わったあと、街にはしばらく重い空気が残っていた。
倒した敵の跡。
傷ついた防具。
使い切った回復薬。
そして、端末に残った通知。
戦闘経験値を獲得しました。
レベルが上昇しました。
共同作業評価が上昇しました。
協力レベルが上昇しました。
その文字を見ても、かすみはすぐに喜ぶ気持ちにはなれなかった。
確かに、みんなで戦えた。
久美子も動いた。
大地も、早希も、優も、誠司も、それぞれの役割を果たした。
誰も倒れなかった。
それだけで十分なはずだった。
でも、戦いの前に久美子が叫んだ言葉が、まだ胸の奥に残っていた。
かすみと早希には分からない。
その言葉は、戦いが終わっても消えていなかった。
食堂に戻ると、みんなはしばらく無言で座っていた。
大地は壊れかけた盾を見ている。
優は使いすぎた魔法の疲れで、少しぐったりしていた。
誠司は端末の戦闘記録を確認している。
早希は水を飲んでから、久美子の方を見た。
「久美子」
久美子は顔を上げなかった。
剣を膝の上に置いたまま、じっと床を見ている。
早希は少しだけ迷ってから言った。
「続きを聞くよ」
久美子の肩がわずかに動いた。
「……何の」
「さっき言ってたこと」
早希の声は、戦い前より少しだけ落ち着いていた。
「羨ましかったって話」
久美子は黙った。
かすみも、そっと口を開く。
「無理に言わせたいわけじゃない」
「でも、聞かないままだと、また同じことになる気がする」
久美子は小さく笑った。
でも、その笑い方は疲れていた。
「聞くんだ」
早希は目をそらさなかった。
「うん」
「痛いところ、また聞くんだ」
その言葉に、かすみは何も言えなくなった。
久美子の言う通りだった。
続きを聞くというのは、優しさだけではない。
傷口をもう一度開かせることでもある。
それでも、聞かないまま終わらせることはできなかった。
久美子はしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと話し始めた。
「かすみはさ」
かすみは顔を上げる。
「整形なんてしなくても、自然に誠司と恋人になれたよね」
誠司が少しだけ息を止めた。
かすみも、すぐには返事ができなかった。
「別に、かすみが悪いって言ってるんじゃない」
久美子は床を見たまま言う。
「でも、羨ましかった」
小さな声だった。
「何かを買わなくても、誰かにちゃんと想われるんだって」
かすみは、膝の上で手を握った。
久美子は続けた。
「最初の初心者エリアにいた時も、レイナと翔が欲望区に行ったでしょ」
「うん」
「二人とも、美男美女でさ」
久美子は少しだけ顔をしかめた。
「一緒にいるだけで絵になってた」
誰も何も言わなかった。
「仲良さそうに見えて、羨ましかった」
「レイナは綺麗で、翔もかっこよくて」
「私とは全然違う場所にいる人たちみたいだった」
久美子の声は、少しずつ震えていく。
「今のエリアに引っ越す時もそうだった」
「可愛い子は、自然に男の人が声をかけてた」
「荷物持とうかって」
「重いでしょって」
「こっちに置けばいいよって」
久美子は、自分の手を見た。
「私の荷物は、誰も持ってくれなかった」
食堂の空気が静かになる。
「困ってても、誰も気づかない」
「声もかけられない」
「私が重い荷物を持ってても、誰も見てない」
久美子は、唇を噛んだ。
「だから思ったの」
「私も可愛くなれば、綺麗になれば、誰かが優しくしてくれるのかなって」
かすみは、胸が痛くなった。
久美子が整形に手を出した理由。
それは、ただ綺麗になりたいだけではなかった。
誰かに見てもらいたかった。
困っている時に、助けてもらいたかった。
久美子は小さく息を吸う。
「整形した」
「怖かったけど、した」
「でも、誰も気づかなかった」
早希の表情が少し変わる。
「誰も、綺麗になったねって言わなかった」
「誰も、優しくならなかった」
「私だけ、何も変わらなかった」
久美子の声がかすれる。
「じゃあ次は、もっと分かりやすく好かれるものを買えばいいのかなって思った」
「フェロモン?」
早希が小さく聞く。
久美子はうなずいた。
「人に好かれると思った」
「男の人に、少しは優しくされると思った」
「でも、寄ってきたのは人間じゃなかった」
少しだけ、苦い笑いがこぼれる。
「虫とか、野良猫とか、野良犬とか」
「モンスターまで寄ってきた」
早希は目を伏せた。
あの時、みんなで怒った。
危ないことをした久美子を責めた。
それは間違っていなかったはずだ。
でも、久美子がそこまで追い詰められていたことまでは、見ていなかった。
「みんなに怒られて、恥ずかしくて」
久美子は言う。
「もう、こういうものに手を出すのはやめようと思った」
そこで言葉が止まる。
でも、話は終わっていなかった。
「でも、日に日に苦しくなった」
久美子の声が小さくなる。
「かすみと誠司を見るたびに、胸がざらざらした」
「早希が普通に仕事をこなしてるのを見るたびに、自分が嫌になった」
「可愛い子が優しくされてるのを見るたびに、何で私はって思った」
「そんなこと思う自分も嫌だった」
久美子は、端末を握りしめた。
「だから、もう羨ましい気持ちごと消したかった」
「苦しくない方がいいと思った」
「何も欲しくならない方が、楽だと思った」
かすみは、何も言えなかった。
早希も同じだった。
久美子がしたことは危なかった。
仲間にも迷惑をかけた。
評価が下がったのも、当然かもしれない。
けれど、その前にあった苦しさを、簡単に否定することはできなかった。
沈黙が落ちる。
長い沈黙だった。
久美子は、少しだけ笑う。
「ほら」
「何も言えないでしょ」
かすみは、ゆっくり息を吸った。
「……うん」
久美子が顔を上げる。
「何て言えばいいのか、分からない」
かすみの声は小さかった。
「分かるよって簡単に言えない」
「でも、そんなふうに苦しかったことを、知らなかった」
早希も続ける。
「私も、何て言えばいいか分からない」
少し間を置いて、言った。
「でも、聞いてよかったとは思う」
久美子は何も答えなかった。
その沈黙は、さっきより少しだけ違っていた。
答えは出ていない。
慰めにもなっていない。
でも、久美子の中にあったものが、少しだけ外に出た。
その頃、欲望区では、レイナと翔が戦闘後処理の集合場所に向かっていた。
端末には、断りづらい通知が残っている。
戦闘後処理業務
高報酬
遺品整理あり
集合場所へ移動してください。
翔は画面を見ながら、小さくため息をついた。
「またこれか」
「断れないの?」
レイナが聞く。
言ってから、すぐに答えは分かっていた。
翔は端末を閉じる。
「最初に関わった時点で、簡単には切れないんだよ」
欲望区に来たばかりの頃。
稼げる仕事を紹介すると言われた。
困っているなら助けると言われた。
最初は親切に見えた。
けれど、その時にできたつながりは、今も切れていない。
戦いが終われば、こうして呼ばれる。
断れば、前の借りや記録を持ち出される。
レイナは何も言い返せなかった。
二人が案内されたのは、戦いで戻らなかった者の部屋だった。
中に入ると、まだ生活の匂いが残っていた。
机。
椅子。
壁にかけられた上着。
使いかけの回復薬。
床には、急いで出ていったように物が散らばっている。
「遺品整理って言っても」
レイナは部屋を見回した。
「本当に、人が住んでた場所なんだね」
「当たり前だろ」
翔の声は低かった。
「でも、そう思うとやりにくいな」
二人は黙って作業を始めた。
指定されたものを箱に入れる。
売却できるもの。
処分するもの。
記録として残すもの。
端末が淡々と分類を指示してくる。
その冷たさが、かえって部屋の中の生々しさを際立たせていた。
レイナは棚の上にある写真立てに気づいた。
「……これ」
手を伸ばして、写真立てを取る。
そこには、若い男と愛璃が並んで写っていた。
愛璃は今より少し柔らかい顔をしている。
男の方は、照れたように笑っていた。
「翔」
レイナが呼ぶ。
「これ、愛璃じゃない?」
翔が近づいて、写真を見る。
「……本当だ」
二人はしばらく写真を見つめた。
愛璃の元カレ。
そう気づくまでに、時間はかからなかった。
レイナは、机の引き出しを開けた。
中には、いくつかの紙が残されていた。
手紙。
日記のようなメモ。
どれにも、愛璃の名前があった。
愛璃は無理してないだろうか。
最近、悲しい役ばかりで疲れていないだろうか。
戦いの日は、ちゃんと安全な場所にいるだろうか。
別れたあとも、彼は愛璃のことを考えていた。
レイナは、胸が少し重くなるのを感じた。
「捨てるもの?」
翔が聞く。
レイナは首を振った。
「分からない」
端末にかざせば、処分か保管かの指示が出るはずだった。
でも、レイナはすぐにかざせなかった。
さらに机の奥に、小さな紙が一枚残っていた。
それは、最後に書かれたもののように見えた。
短い言葉だけが、そこにあった。
俺にはもう守る人がいない。
レイナは、その文字から目を離せなかった。
愛璃は、戦いの日にはいつも彼に守られていたのだろうか。
別れたあとも、彼の中には愛璃が残っていたのだろうか。
翔も黙っていた。
部屋の外から、別の作業員の声が聞こえる。
急がなければならない。
でも、レイナは動けなかった。
「これ」
レイナは写真と手紙をそろえた。
「愛璃に渡した方がいいと思う」
「勝手に持ち出していいのか?」
「分からない」
レイナは正直に言った。
「でも、捨てていいものじゃない」
翔は少しの間、写真を見ていた。
そして、小さく息を吐く。
「面倒なことになるかもな」
「うん」
「それでも?」
レイナは、写真の中の愛璃を見た。
今の愛璃とは少し違う。
悲劇のヒロインとして評価されている顔ではない。
ただ、誰かの隣で笑っている顔だった。
「それでも」
レイナは、写真と手紙をそっと封筒に入れた。
部屋にはまだ、片づけなければならないものが残っていた。
けれど、レイナの手の中には、捨てられないものが残った。
戦いは終わった。
レベルも上がった。
評価も少し上がった。
けれど、終わったあとに残るものは、数字だけではなかった。
久美子には、言葉にした苦しさが残った。
かすみと早希には、何も言えなかった沈黙が残った。
レイナと翔には、誰かの部屋と、捨てられない遺品が残った。
そして愛璃には、まだ届いていない悲しみが残されていた。
読んでいただきありがとうございます。




