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第24話 それぞれに届く誘い

欲しいものが見える時ほど、その形は少しずつ人によって変わっていくのかもしれません。

 欲望区の夜は、今日も明るすぎた。


 看板の光、広告の声、通りを流れる匂い。

 見上げれば、感情、容姿、気分、体調、関係、経験。

 何でも売るという顔をした文字が、空の近くまで浮かんでいる。


 レイナは仕事帰りの足で、その光の中を歩いていた。


 愛璃のことが、頭から離れなかった。


 オーディションに受かって、読み合わせでも褒められて、それでも全然よくなっていない。

 むしろ前よりひどい。


 悲劇を出したい時に、自分でコントロールして出せるならまだいい。

 でも愛璃はもう、そうじゃなかった。


 一日の生活の全部が、悲劇のヒロインみたいになっている。


 レイナは、ちょうど帰ってきた翔を見つけると、そのまま声をかけた。


「ちょっといい?」


「何」


「愛璃、やばいかも」


 翔は足を止めた。


「仕事の時だけじゃないの」

「一日の生活の全部が、もう悲劇のヒロインみたいになってる」


 翔は少しだけ眉を寄せた。


「悲劇を出したい時に、自分でコントロールして出せるならまだいいけどさ」

「全部ああなると、もうただの汚染じゃない?」


「まあな」


 レイナは少し顔をしかめた。


「もし高揚感とか引いたら、一日中ずっと高揚してるってこと?」

「それも普通に怖いよね」


 翔は少しだけ間を置いた。


「いるよ」


「え?」


「俺の知り合いで、一日中高揚してるやつ」

「かなり痛い」


 レイナは思わず顔をしかめた。


「何それ……」


「何でも大げさに喜ぶし、ずっと浮いてるし、周りはだいぶきつい」

「本人は楽しそうだけどな」


「楽しそうならいいのかな……いや、よくないか」


「よくないだろ」


 翔は短く返した。


「感情を欲しい時だけ使えたら、まだ道具で済んだかもな」

「でもああいうのって、生活ごと染まる」


 レイナは小さく息を吐いた。


 欲望区の店先には、今日もいろんな感情の広告が並んでいる。


 圧倒的自信 短期利用可

 高揚感あふれる毎日を

 穏やかさ一時付与

 報われない恋心 追加可能

 誰にも理解されない気分 割引中


 見ているだけで、頭が少し変になりそうだった。


「愛璃、更新したんだよね」


「まあ、そうなるだろうな」


「高いのに」


「高くても、切れたら困るって思ったら払うだろ」


 翔の言い方は冷たくない。

 ただ、もうそういう流れをよく知っている感じだった。


「俺の知り合いも最初は安いやつだったよ」

「気軽に使って、当たりだったって喜んで」

「で、切れそうになって更新して、そのまま崩れた」


「……それ、止めなかったの?」


「止めたって聞くやつじゃない」


 翔は通りの光を見る。


「使ってうまくいったやつに、“それやめろ”って言っても無理だろ」

「成功した時点で、もう一回欲しくなる」


 レイナは黙った。


 それはたしかにそうだった。

 愛璃だって、役にハマった。

 褒められた。

 取れなかった役を取れた。


 その結果がある限り、やめろと言われても簡単には戻れない。


「……欲望区って、ほんと嫌な作りしてるね」


「今さらだろ」


「今さらだけど」


 レイナがそう言った時、端末が小さく震えた。


 何か来た、と思って画面を見る。

 そこに出ていたのは、レイナ向けの通知だった。


 強くて美しい生き方、選びませんか?

 前衛志向の方へ

 引き締まった魅力強化プラン 案内中


 レイナの目が止まる。


「何それ」


 翔が横からのぞく。


「……最悪」


 レイナはそう言いながら、画面を閉じきれなかった。


 強くて、美しい。

 それは、少し前に自分で思ったことでもあったからだ。


 細いだけじゃなく、戦えて、ちゃんとかっこいい方がいい。

 そう言ったのは自分だ。


 その考えにぴったり重なる文が、今このタイミングで出てくる。


「やっぱ、気持ち悪い」


 小さくつぶやく。


 翔の端末も震えた。


 見ると、そちらにはまた別の文が出ている。


 話しすぎない魅力、強化できます

 静かな存在感を深めたい方へ

 接客・対話補助 利用可能


 翔は一目見て、小さく息を吐いた。


「またか」


「何それ、翔っぽい」


「ばかばかしい」


 そう言って、すぐに閉じる。


 でも、ぴったりすぎるのはレイナにもわかった。


 欲望区に来る通知は、昔みたいに誰にでも同じじゃなくなっていた。

 最近はもっと、一人ずつ違う。


 欲しいもの。

 足りないもの。

 揺れていること。

 その人の中で、今いちばん刺さるところに向かってくる。


「ねえ」


 レイナが小さく言う。


「前はこんなに、みんな別々じゃなかったよね」


「別々?」


「通知」


 翔は少しだけ考えてから、短くうなずいた。


「そうかもな」


「最近のやつ、明らかに個人向けだよね」

「気持ち悪いくらい、ちょうどそこに来る」


「そういうふうにできてるんだろ」


「できてるって」


「欲しいと思った時が、一番売れるんだろ」


 翔の言い方は淡々としていた。

 でもその一言は、妙に現実的で嫌だった。


 欲望区は、欲しいものが見えた瞬間を逃さない。


 通りの奥では、また別の広告が光っている。


 二人の関係を、もっと特別に

 共有高揚感シェアプラン

 運命の恋を深めたい方へ


 あなたに合う人生、まだあります

 今の自分を少し調整しませんか?


 レイナはその文字を見上げながら、愛璃の顔を思い出していた。


 あれも、最初は安いガチャだった。

 でもそこから更新して、切れなくなっていく。


 端末は、欲しがる顔をした瞬間に寄ってくる。

 もうそれを偶然とは思いにくかった。


 その頃、初期エリアでは久美子が食堂の端の席に座っていた。


 腕も脚も、まだ重い。

 体力お試しの軽さが消えたあと、余計に筋肉痛がきつくなった気がする。


 少し離れた席では、かすみと誠司が並んで食事をしていた。

 べたべたしているわけじゃない。

 でも、自然に近い。

 会話の間も、皿を取る手も、ちょっとした目線の向け方も、ちゃんと二人だった。


 久美子はその空気を見て、また少し胸の奥が重くなる。


 魔法も羨ましい。

 体力のある早希や大地も羨ましい。

 でも今は、あの二人がいちばん刺さった。


 何かを無理に買わなくても、自然に近づいて、自然に好きになって、自然にそこにいる。

 それが羨ましかった。


「……いいな」


 小さくつぶやいた、その時だった。


 端末が小さく震える。


 久美子は反射的に画面を見た。


 羨ましいと思うたび、苦しくなっていませんか?

 羨望感情 売却可能


 久美子の指先が止まる。


「……また」


 最近、こういうことが増えていた。


 自分がしんどいと思った時。

 足りないと思った時。

 羨ましいと思った時。

 そういう瞬間に、端末がぴたりと反応してくる。


 便利というより、気味が悪い。

 自分の弱みや悩みに、この世界そのものがつけこんできているみたいだった。


 久美子は画面をすぐには閉じられなかった。


 羨ましいと思うたび苦しい。

 それは本当だった。


 かすみたちを見ても。

 魔法組を見ても。

 自分だけが外にいるようで、胸のどこかがちくちくする。


 売ってしまえば楽なのだろうか。

 羨ましいと思わなくなったら、少しは静かにいられるのだろうか。


 でも、それを手放したら、自分は何を見ても何も思わなくなる気もした。


 羨ましいという気持ちは苦しい。

 けれど、その苦しさがあるから、まだ何かを欲しいとも思っている。


 そう考えると、簡単に切りたくなかった。


 一方で、かすみも端末に出た通知を見て、少しだけ指を止めていた。


 二人の愛を、もう少し深めませんか?

 初めての恋に戸惑う方へ

 関係補助プラン 案内中


 少しだけ、気になった。


 誠司のことは好きだ。

 でも、これが恋なのか、この先どうやって近づいていくのか、自分でもまだよくわからない。

 初めてのことばかりで、正解なんて知らない。


 もし、もっと相手の気持ちがわかったら。

 もし、今よりもう少し自然に寄り添えたら。


 そんなことを思ったあとで、かすみは小さく首を振った。


 こういうのは、たぶん違う。

 誠司もきっと、こういうものは好きじゃない。

 それに、自分も本当は、ちゃんと自分たちで育てたい気がした。


 かすみはその画面を閉じた。


 誠司は誠司で、一目見てすぐに閉じていた。


「またか……ばかばかしい」


 その一言だけで終わる。


 少し離れたところで、優も端末を見ていた。


「何それ」


 誰に言うでもなく、小さくつぶやく。


 画面にはこう出ていた。


 もう少しのんびりできる人生、いりませんか?

 張りつめすぎていませんか?

 肩の力を抜いた心、あります


 優はしばらくそれを見てから、静かに閉じた。


 最近の通知は、みんな違った。

 共通の案内ではない。

 その人が今いちばん欲しがりそうなもの、その人が少し揺れそうなものを、それぞれ別の形で差し出してくる。


 それがまた、初期エリアの空気を少しずつ変えていた。


 誠司は一目見て閉じる。

 かすみは少しだけ止まる。

 優は静かに引く。

 久美子には強く刺さる。


 同じ端末なのに、届くものは一人ずつ違う。


 久美子は画面を閉じた。


 欲望区では、愛璃が更新してさらに深く沈んでいった。

 初期エリアでは、久美子たちの一人ひとりに違う誘いが届き始めている。


 この世界は、もう共通の誘惑だけでは動いていなかった。


 一人ずつ、ちょうどいちばん揺れるところへ。

 いちばん欲しくなりそうな形で。

 それぞれに違う顔をして近づいてくる。

今回は、欲望区では愛璃のその後と、感情が生活全体に広がる怖さを入れました。

初期エリアでは、みんなに届く誘いが共通のものではなくなり、一人ひとりの欲や揺れに合わせて変わり始めている形です。


読んでいただきありがとうございます。

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