第12話 釣れたのは魚じゃなかった
今回は、初期グループが海の仕事へ向かいます。
少し冒険らしい空気の中で、初期エリアとは違う海の危険も見えてくる回です。
一方、欲望区では表向きの仕事に戻ったはずなのに、別の形の搾取が見えてきます。
朝の食堂は、昨日より少しだけ空気が軽かった。
夜の騒ぎはあった。
でも朝になれば、みんなそれぞれの仕事に戻らなければならない。
長机に並んだパンとスープの匂いの中で、共同グループもいつものように顔をそろえていた。
その中で、珍しく優が先に口を開いた。
「今日は久しぶりに、この地域の海の仕事やってみない?」
かすみが顔を上げる。
「海?」
「うん。ついでに釣りもして、晩ごはんのおかずにできるかも」
「いいね」
かすみが少し明るい声を出した。
誠司も端末の依頼一覧をのぞき込む。
「海辺の素材回収と漁具点検か。悪くないな」
「ここの海、どんな感じなんだろ」
かすみが言う。
「初期エリアよりは整備されてそう」
久美子が小さく返した。
そのまま四人で依頼を受けて、海へ向かうことになった。
◇
海辺へ続く道は、初期エリアのものよりずっと歩きやすく整えられていた。
途中には屋根つきの休憩所まである。
道沿いの柵もしっかりしていて、海風にさらされる木材もまだ新しかった。
「ほんとに前よりちゃんとしてる」
かすみが言う。
海へ出ると、その違いはもっとはっきりした。
桟橋は広く、板もきれいに張り替えられている。
ロープや網も整えられていて、少し離れた場所には初期エリアより立派な船が何隻も繋がれていた。
白い帆を畳んだ船。
荷をたくさん積めそうな大きな船。
細長くて速そうな漁船。
「わ、すごい」
かすみが海の方を見ながら言う。
「いつかあの船、乗ってみたいね」
「この世界も船って免許いるのかな」
久美子が言う。
「ありそうじゃない?」
かすみが少し笑う。
「優は落ちそう」
誠司がぼそっと言った。
「なんでだよ」
優がすぐに返す。
「なんとなく」
「納得いかないな」
そのやり取りに、かすみが肩を揺らした。
海は朝の光を受けて穏やかに見えた。
潮の匂いも風も気持ちいい。
ここだけ見れば、この世界が危険な場所だということを少し忘れそうになる。
◇
依頼内容は、海辺の素材回収と漁具の点検、それから食用になる魚の確保だった。
桟橋の近くに置かれた籠には、回収用の海藻、貝、漂着物の分類札が入っている。
優はさっそく竿を手に取った。
「じゃあ俺、こっちやる」
「釣りしたいだけでしょ」
久美子が言う。
「仕事だよ、仕事」
「はいはい」
誠司が短く返した。
かすみは海藻の札を手に取り、桟橋の下をのぞき込む。
久美子は貝類の回収籠を持って、水際に近い方へ歩いた。
最初のうちは、穏やかなものだった。
優が小さな魚を一匹釣り上げて、
「晩飯一匹目」
と得意そうに言えば、かすみが
「それ一人分にもならないよ」
と笑う。
誠司は壊れかけた網の留め具を直しながら、
「遊びじゃないからな」
とだけ言ったが、その声も少しだけやわらかかった。
久美子は貝を拾いながら、波打ち際に光るガラス片のようなものを見つけて拾い上げた。
魔力の欠片らしい。
こういう細かな回収物も、工房で使う素材になると昨日聞いた。
初期エリアの海の仕事と似ているようで、でも少し違う。
休憩所も、桟橋も、道具も、全部が一段きれいで、ちゃんとしていた。
◇
急に、優の声が変わった。
「……あれ、ちょっと待って」
振り向くと、優が竿を両手で支えていた。
さっきまでの軽い調子が消えている。
「どうした」
誠司が言う。
「なんか、でかいの来た」
糸が海へ向かって強く引かれていた。
魚なら魚でいい。
でも、その引きは少しおかしかった。
重い。
しかも、引く方向が妙に低い。
「ほんとに魚?」
かすみが言う。
「わかんない。でもすごい」
優が踏ん張る。
桟橋の端がぎし、と鳴った。
次の瞬間、水面が大きく割れた。
「下がれ!」
誠司が叫ぶ。
飛び出してきたのは魚ではなかった。
灰黒い肌。
刃みたいに尖った背びれ。
口の奥まで並んだ歯。
サメによく似ていた。
でも普通のサメよりずっと異様だった。
水を裂くたび、背の刃が光る。
潮喰い鮫 Lv18
「何あれ……!」
かすみが息をのむ。
潮喰い鮫は糸に絡んだまま暴れ、桟橋に半身を打ちつけた。
その一撃だけで木板が大きく揺れる。
「優、糸放せ!」
「わかってる!」
優が慌てて竿を離した瞬間、潮喰い鮫が大きく口を開けた。
水しぶきの向こうで、牙が見える。
誠司が前へ出る。
槍の穂先が鮫の横面を叩き、水際へ押し戻す。
だが完全には落ちない。
大きすぎる。
「久美子、下がって!」
かすみが言う。
「でも――」
「今は下がって!」
久美子は貝籠を置いて、少し離れた場所へ下がる。
その足元に、さっき拾った硬い貝殻が転がっていた。
潮喰い鮫はもう一度跳ねた。
今度は誠司の足元を狙うように首を振る。
「っ」
誠司が体勢を崩しかけた瞬間、優が横から短剣を突き立てた。
浅い。
だが目が一瞬そちらへ向く。
「今!」
かすみの声と同時に、誠司が踏み込む。
槍が鮫の喉元に深く入った。
潮喰い鮫が大きく暴れ、水が跳ねる。
久美子は反射的に足元の硬い貝殻を拾って、鮫の目へ向かって投げた。
ぱち、と嫌な音がして、鮫の動きが一瞬だけ止まる。
その隙を、誠司は逃さなかった。
槍がもう一度深く入る。
優も横から刃を押し込んだ。
数秒後、潮喰い鮫の巨体が桟橋の際で大きく震え、それきり動かなくなった。
波の音だけが戻ってくる。
「……倒した?」
かすみが言う。
「みたいだな」
誠司が息を吐いた。
端末が一斉に光った。
討伐完了:潮喰い鮫
報酬:高額経験値
報酬:金貨
ドロップ:刃背びれ/硬皮/鋭歯
「うわ」
優が思わず声を上げる。
「多くない?」
「ほんとだ」
かすみも自分の端末を見た。
久美子はまだ胸が速く鳴っていた。
怖かった。
でも、そのぶん報酬欄の数字は見たことがないくらい増えていた。
「海、怖いんだけど」
かすみが言う。
「でも、すごいの釣れたな」
優が息を切らしながら言う。
「魚じゃなかったけど」
久美子が返すと、優は少しだけ笑った。
◇
帰り際、海辺の管理所で素材の確認をしてもらった時だった。
「これ、潮喰い鮫の素材?」
年配の男が目を見開く。
「はい」
誠司が答える。
「倒したのか?」
「たまたま釣れて」
「たまたま……?」
男は呆れたように息を吐いた。
「それ、何時間かに一回しか出ないやつだぞ」
「え」
かすみが顔を上げる。
「運が悪いのか良いのか、微妙だな」
優が言う。
「倒して戻ってきたなら、良い方だろ」
男は素材を見ながら言った。
「普通なら油断したやつから食われる」
その言い方に、四人は少しだけ顔を見合わせた。
怖かったのは間違いない。
でも、ちゃんと倒した。
しかも、素材も金も経験値も入った。
海風の中で、かすみが少しだけ笑った。
「なんか、ちょっと冒険っぽかったね」
「ちょっとじゃない気がするけど」
久美子が言う。
「まあな」
誠司も短くうなずいた。
◇
一方その頃、欲望区では、レイナと翔が久しぶりに表向きの仕事へ戻っていた。
今日は闇の仕事は休みだと朝に言われた。
接客、荷物整理、売り場案内。
仕事内容が見えるだけ、昨日よりはましに思えた。
「今日は普通の仕事でよかった」
レイナが小さく息を吐く。
「闇の仕事、給料は高いけどちょっと怖いしな」
翔が言う。
「内容がわからない部分もあるし」
「まだ、こっちの方が安全な感じする」
そう言いながら、レイナは商品棚を整えた。
少なくとも今日は、中身のわからない荷物を運ばされるわけではない。
仕事が終わるころ、端末に報酬が振り込まれた。
「入ったね」
レイナが言う。
「これで少しは装備買えるかしら」
「思ったより入ってるな」
翔も画面を見る。
その時、近くにいた同僚の女が自分の端末を見て眉を上げた。
「……え、こんなに?」
「どうしたの」
レイナが聞く。
女はレイナたちの画面ものぞき込んで、すぐに鼻で笑った。
「あんたたち、少なくない?」
「え?」
「同じ仕事だったよね」
レイナが言う。
「同じ持ち場、同じ時間、同じ内容」
女は肩をすくめた。
「欲望区来た時、登録した?」
その一言で、レイナの顔が少し止まる。
最初にもらった金。
奢られた食事。
愛想のいい案内。
「……したけど」
「やっぱりね」
女はあっさり言った。
「あれ罠だよ。中間マージン取られてる」
「中間マージン?」
レイナが聞き返す。
「登録業者通してる間は、ずっと抜かれるの」
「……じゃあ、今までのも?」
「そういうこと」
翔は黙ったまま、自分の端末の数字を見ていた。
同じ時間働いて、同じ仕事をして、同じ場所に立っていた。
それなのに、自分たちの取り分だけが少ない。
女はそれ以上親切にはしてくれなかった。
「じゃあどうすればいいの」
レイナが聞くと、女は短く言った。
「自分で考えな」
その言い方に、助ける気は少しもなかった。
その時、端末が震える。
過去の契約、売りませんか?
後悔する思い出、売りませんか?
レイナは画面を見たまま、何も言わなかった。
欲望区は、働いて終わる場所じゃない。
足りない分だけ、次は別の何かを差し出せと言ってくる。
読んでくださりありがとうございます。
今回は、海の仕事を通して初期グループに少し冒険らしい空気が流れる回でした。
一方で欲望区では、闇の仕事が休みでも、表の仕事の中に別の搾取が隠れていることが見えはじめています。




