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第13話 何が足りない

今回は、少しずつ変わっていく久美子と、欲望区で別の方向へ踏み込みはじめるレイナを描く回です。

見た目が変われば何かも変わるのか。そんな期待と焦りが、それぞれ違う形で膨らんでいきます。

 数日が過ぎるころには、久美子の変化はもう隠しきれなくなっていた。


 最初は目元だけだった。

 次は輪郭。

 その次は肌の質感。

 腕も、脚も、少しずつ線が変わっていった。


 毎朝、端末の黒い画面に映る自分を見るたびに、昨日よりましだと思う。

 今日こそ何か変わるかもしれないと思う。


 けれど、何も変わらなかった。


 男たちの視線は、相変わらず別のところへ向く。

 気になっている相手も、久美子を特別に見ることはない。


 前なら埋もれていた。

 今はもう、このエリアの中では確かに綺麗な方へ寄っている。

 それでも、選ばれない。


 何が足りないのだろう。


 ここまで変えたのに。

 こんなに綺麗になったと思うのに。


     ◇


 防具班の作業場で、久美子は無言のまま金属板を打ち込んでいた。


 前より手つきは安定している。

 作業は覚えた。

 失敗も減った。


「最近、久美子きれいになったよね」


 後ろの方で、誰かが小さく言った。


 その声に、胸が少しだけ浮いた。


 けれど次の言葉は続かなかった。

 きれいになった。

 でも、それだけ。


 好きになるとか、気になるとか、そういう空気にはならない。


 久美子は打ち込んだ金属板の位置を見つめたまま、唇を閉じた。


     ◇


 その日の夕方、作業を終えて戻る途中だった。


 少し先で、かすみと誠司が二人だけで立ち止まっているのが見えた。

 久美子は気づかれない距離で足を止めた。


「……最近、久美子大丈夫かな」

 かすみが言う。


 誠司はすぐには返さなかった。


「久美子には言わないけど、明らかに容姿を売ったり買ったりしてるよね……」

「まあな」

「気づいてるよね?」

「気づくよ」

 誠司は短く言った。

「でも、あれは久美子の問題だろ」

「……そうだけど」

「今、下手に触れない方がいい」


 冷たいわけじゃない。

 でも、助けに入る気もない。


 かすみは少しだけ黙って、それ以上は言わなかった。


 久美子はその場で立ち尽くした。


 気づかれていた。

 やっぱり、わかるくらい変わっていた。

 でも誰も止めない。

 止めないまま見ている。


 そのことが、余計に胸へ刺さった。


     ◇


 夜、共同食堂ではまた妙な売買キャンペーンの話で少しざわついていた。


「なにこれ」

「また変なの出てる」

「真面目売りませんかって何」

「意味わかんないんだけど」


 端末の画面には、今日も並んでいた。


 男を惹きつけるフェロモン、買いませんか?

 女性ホルモン、買いませんか?

 男っぽい性格、売りませんか?

 真面目、売りませんか?

 少し不真面目な方が愛されます


「なんじゃこりゃ……」

 誰かが半分笑いながら言う。

「こんなの買う人いるの?」

「フェロモンって何よ」

「真面目売るとか怖すぎる」


 みんなは笑って流した。


 でも久美子だけは笑えなかった。


 男を惹きつける。

 女性ホルモン。

 真面目を売る。


 全部馬鹿みたいなのに、どれかひとつでも手に入れたら、自分の何かが変わるんじゃないかと思ってしまう。


 綺麗になってもだめだった。

 なら次は、別の何かが必要なのかもしれない。


 何が足りないのかわからない。

 だから、どれも欲しく見える。


 久美子は端末を見つめたまま、しばらく動けなかった。


     ◇


 一方その頃、欲望区では、レイナと翔が表向きの接客仕事に入っていた。


 闇の仕事が休みの日は、売り場に立つことが多い。

 案内、商品整理、客対応。

 表向きは普通の仕事だ。

 けれど、この街では普通の仕事ほど、値踏みが露骨だった。


 今日の売り場には、朝から妙な熱気があった。


 大型端末に、新しい告知が何度も流れている。


 容姿レベルによって時給上昇

 この機会に容姿レベルを上げましょう

 レベル100のアリスさんやレオさんに近づきませんか?


「また変なの始まったね」

 レイナが言う。


 近くにいた女の子たちが、すぐに反応した。


「変じゃないよ。アリスさん知らないの?」

「憧れなんだけど」

「私もアリスさんみたいになりたい」

「レベル100とか別格だよね」

「レオさんもすごい。あの二人に近づくと報酬かなり上がるって噂」


 その声を聞きながら、レイナは少しだけ眉をひそめた。


「アリスって誰」

「欲望区で一番有名な人の一人」

「顔もスタイルも完璧だし」

「レオさんも、見た目のレベルが高いほど仕事が来るって言われてる」


 レイナは鼻で笑った。


「私、これでも綺麗でモテてるんだけどね。これ以上いじる必要ある?」


 そう言いながらも、目は端末の表示から離れなかった。


 さらに別の通知が流れる。


 男を惹きつけるフェロモン、買いませんか?

 女性ホルモン、買いませんか?

 古い美意識、売りませんか?


「フェロモン?」

 レイナが思わず声を出す。

「そんなの、私もう十分出てるから買わなくていいんだけど」


 近くの女が吹き出した。


「すごい自信」

「実際そうだし」

 レイナは肩をすくめる。

「ていうか、こんなの本当に買う人いるの?」


 そう言ったのに、売り場の端では端末を真剣に見ている女の子たちがいる。


「え、フェロモンってどのくらい変わるんだろ」

「接客だと効きそう」

「時給上がるなら全然ありじゃない?」


 その声を聞いて、レイナは少しだけ黙った。


 容姿レベルによって時給上昇。


 その一文が、妙に頭に残る。


 綺麗なら、それだけ金になる。

 今より上げれば、時給も上がる。


 それは欲望区では、かなりわかりやすい理屈だった。


「……でも、レベル上がったら時給かなり変わるんだよね」

 レイナが小さく言う。


 翔は横で商品箱を積み直しながら、ちらりとレイナを見る。


「また変なこと考えてるだろ」

「変なことじゃないわよ」

 レイナは鏡代わりのガラスへ自分を映した。

「次、どこいじろうかなって思っただけ」


 言い方は軽かった。

 でも本気だった。


     ◇


 その時、端末がまた震えた。


 過去の契約、売りませんか?

 後悔する思い出、売りませんか?

 古い美意識、売りませんか?


 レイナは画面を見たまま、小さく笑った。


「ほんと、次から次へ出してくる」


 欲望区は、足りないものを教えてくる。

 綺麗でもまだ足りない。

 若くてもまだ足りない。

 今のままでは時給が上がらないと、平気で突きつけてくる。


 そのしつこさが、時々ひどく正しく見えるのが厄介だった。

読んでくださりありがとうございます。


今回は、綺麗になっても満たされない久美子と、見た目がそのまま報酬に変わる欲望区の価値観を描く回になりました。

足りないものを埋めようとするほど、何が足りないのかわからなくなっていく。そんな揺れが少しずつ大きくなっていきます。

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