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燕の騒乱  作者: 梔虚月
第一部 鳩の密告
24/31

24 違和感の正体

 私を部屋から追い出した黒羽少佐は、情報を小出しにしていることが面白くないのか、不機嫌な様子を隠そうとしなかった。

 策謀劇がままならないが故であれば、満州派を自称する石原莞爾の密使で帝都に赴く少佐が『Y』と何某かの繋がりがあり、気が回らない愚弟に業を煮やしているのだろう。

「いっそ箱の中身を明かしてみるか」

 殺された奥山が陸軍省に漏洩しようと試みた満州国独立計画と名簿なる機密情報は我が手中にあり、九重は梶原を中継して偽情報を掴まされている。

 それを知らないはずがないのだから、本件の根幹で寡黙を貫く私が立場を明らかにしないことが不満の訳合と推察された。

 関東軍主導の満州国独立計画を知り得る『Y』は、黒羽少佐の敵でないのが明白であれば、藪をつついて蛇を出す結果になる。

「知りたがりというのは厄介な性分だな」

 私は船長から預かった合鍵で奥山の部屋に入ると、暗い室内の突き当りの丸窓を開けた。

 左舷にある奥山の部屋からは、最初の現場となった展望通路がよく見える。


 私は事件当夜を想像する。


 左舷の展望通路には、海に突き落とされた奥山が立っており、そこに実行犯である人物が現れた。

「いいや、それでは梶原は報酬を受取ることができない。奥山が展望通路で待ち合わせていた人物は、船内食堂で九重から符丁を受取った梶原だったはずだ」

 私は頭の後ろを三回叩くと、奥山に近付いた実行犯と白シャツを着た梶原を入れ替える。

 そうでなければ辻褄が合わないからだ。

 奥山の隣に立った梶原は、符丁である札付きの鍵と酒を交換して船内食堂に戻った。

 この間は相田が右舷から展望通路に出ていく絢子を目撃しており、彼女は部屋に戻る九重とすれ違っていれば、席を立った窪坂と挨拶を交わしている。

 相田は現場となる左舷に背を向けているので、奥山と梶原の密会を見ていなかったし、梶原が何処から酒瓶を持ち込んだのか分からなかった。

 符丁を受けった奥山は自室に戻り、寄木細工の小箱から九重に渡す機密情報を取り出したかったものの、すぐにそうしなかったには訳合がある。

 奥山は『Y』の内偵であり、旅客船に監視者がいることを想定していなければ、こんな手の込んだ情報の受渡しを選ばないし、陸軍省の諜報員である九重にも身分を明かしたくなかった。

 だから船内に戻った梶原との関係を悟らせないためには、現場となる展望通路で少し間をおく必要がある。

「実行犯は、奥山が一人になったのを見計らって近付いて海に突き落とした」

 船内食堂には相田と窪坂、階段を降りてくる笹木、その場を離れた九重だって付近にいれば、右舷から出て船尾に回り込んだ絢子、彼女を追うように船首から現場に向かった梶原がいるのだから、操舵室から下りる階段のある船首側から梶原の後ろを歩くしか経路がなかった。

 つまり実行犯は、最初に到着して『男が身投げした』と騒ぎ立てた正体不明の船員で間違いない。

 私は当初、その船員が奥山の身投げを目撃した副船長の青木だと誤解したが、そいつの人相は笹木と絢子の証言と食い違っている。

 奥山と梶原の密会を確認して、船首側から現場に現れた面妖な船員を弓田宗介だとすると、彼は梶原とすれ違わなかったのだから船橋甲板の階段を使った。

「船員に成りすました訳合は、海員制服であれば船橋甲板を通り過ぎても青木たち船員に不審者だと悟られないからだ」

 制服というのは身分を曖昧にするもので、軍服を着ていても軍人とは限らなければ、弓田が海員制服を着ていても船員とは限らない。

 弓田は操舵室にいた者の目を欺いて現場に到着すると、手際よく内通者の奥山を海に突き落とした。

 そこに船尾を回り込んだ絢子に気付いて『男が身投げしたぞ!』と、奥山の自死だったと印象付けようとしたものの、落水の音に外傷体験を呼び起こされた絢子は、犯行の様子に心付くことなく腰を抜かしている。

 これは笹木の証言によるところだが、被害者の落水する音に聞いた絢子は認識の如何を問わず犯行現場を目撃したに違いないのだから、弓田が目撃者を装う必要があった。

「弓田は操舵室から駆けつけた副船長の青木が到着する前に野次馬に紛れて姿を消すと、鍵札を手にして奥山の部屋を訪れる」

 この部屋に九重が梶原に渡した鍵札が残されていたのだから、弓田が犯行後に訪れたのは明らかだ。

 そう考えて船室のドアに視線を向ければ、海員制服を着た白塗りの弓田が立っている姿が目に浮かぶ。

 不敵に笑う口元には、赤々とした紅が引かれている。

「お前が機密情報を処分しなかった訳合は、九重に取引が継続していると思わせるためか」

 そこに立っていただろう弓田に問いかければ、違和感が更に増した。

 九重に偽情報を掴ませるには梶原を騙す必要があるものの、わざわざ秘匿したい情報を奥山の部屋に残す意味がない。

 それに梶原は奥山が亡くなった後、どうやって弓田に偽情報を掴まされたのか。

 梶原の取引相手が奥山ならば海に落ちてしまったのだから、成功報酬と偽情報を引き換えることが不可能である。

 しかし九重の証言を思い返せば、彼は海に突き落とされたのが梶原だと考えて気が動転していたし、梶原は騒動後に船内食堂を中座した後、現場に戻って野次馬に加わっていた。

 梶原は騒動を聞きつけて船内食堂から逃げ出したものの、殺されたのが取引相手だったのか確認するために現場に戻ったのではないだろうか。

「九重が態度を変えたのは、梶原の姿を野次馬に見つけたからだと言った。取引が継続していると考えた九重は、梶原を仲介役にした内通者の存在を知らない」

 だから九重は梶原さえ生きていれば騙せるとして、梶原は取引相手が殺されたのに、なぜ成功報酬と偽情報を引換えることになったのか。

 梶原が『Y』の仲間であり、奥山を裏切っていたとは考えられない。

 奥山が梶原に接触した時点で陸軍省の内通者だと発覚するのだから、わざわざ逃げ場のない旅客船で犯行に及ぶ必然がないからだ。

 私の違和感は、梶原が殺されたはずの取引相手から偽情報を掴まされたことにある。

 

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