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燕の騒乱  作者: 梔虚月
第一部 鳩の密告
21/31

21 殺すべき訳合

 ベッドに腰掛けていた絢子は、私が物知り顔で『なるほど』と言うので、不可解な面持ちで顔を上げる。

「何か解りましたか?」

「ええ、絢子さんが無実だと解りました」

「憲兵さんは、まさか私を疑っていたのですか」

「端的に言えば、そうですね」

 絢子が音をきっかけにして、過去の体験を思い出したのであれば、犯行現場を目撃しなくとも悲鳴をあげたのかも知れないし、それなら笹木の証言と一致していた。

 絢子の証言には疑義が残るものの、彼女が実行犯だと仮定した場合、笹木より先に駆け付けた船員は、犯行現場を目撃していたことになり、二人が共犯でなければ成立しない見立てになる。

 つまり絢子と船員が共犯関係にある場合、梶原が何者かに襲われているのならば、船内食堂で寝ていた絢子には犯行が不可能であり、結局のところ船員が実行犯で間違いない。

 最も奥山を監視していただろう『Y』なる主犯は、船員であるはずがないのだから、絢子が『Y』または第三の共犯者と言うことになる。

 しかし思い出してみれば、絢子は、わざわざ悲鳴をあげて目撃者を集めても、奥山が身投げしたと証言するわけでもなく、ただ実行犯である船員の人相が割れるだけで、何も得るものがなかった。

「憲兵さんは、どうして私が、見ず知らずの男性を海に突き落とすと考えたのかしら」

「被害者には、殺されるだけの訳合があり、絢子さんには、目撃者を装うことで疑いを逸らす可能性がありました。それに、あなたが目撃者を装うことで、真犯人を庇っている可能性だってあったのです」

 私の見立ては当初、身投げを見たと証言した副船長の青木が実行犯だったが、笹木が先着した船員が他にいたと言うので、次いで船橋甲板を利用して展望通路に下りてきた船員が実行犯だと疑っている。

 しかし絢子の証言が曖昧なのは、彼女自身が実行犯であり、そこに駆け付けた船員に、犯行を目撃されたかも知れなければ、濡れ衣を着せるためだったとの疑いも捨てきれなかった。

「犯人を庇うなんて、それこそ有り得ないわ」

「犯行が、絢子さんのいた展望通路で行われていれば、笹木さんが犯人だと目星をつけた船員の犯行を証言していません」

「だからって私は、自分が見たままに話しました。それでも嘘をつけと仰るなら、無実の人に罪を着せることになりますわ」

「あなたの言うとおりです。しかし私が見立てている犯人は、状況に応じて脚本を書き換えれば、変幻自在に配役を入替えて巧妙に姿を隠しています。犯人は、女でもあるし、私の身内かもしれなければ、とにかく得体の知れない人物なのです」

 犯人が奥山の裏切りを勘繰っていても、確信がもてなかったから今日まで泳がせていたのならば、彼と朝鮮軍の九重が接触すると予測できても、仲介者の梶原が現れたのは想定外だったと思われる。

 犯人は、仲介者の梶原まで殺害する必要に迫られた。

 ここで疑問なのは、奥山に雇われたであろう梶原は、『Y』の所属する組織と無関係なので、自分に繋がる恐れがないのに、なぜ殺す必要に迫られたのか。

 考えられるのは、梶原が殺された訳合は、ただ仲介者だったからではなく、彼であれば犯人を容易に言い当てられるからだろう。

「何もわからないからって、とても乱暴な推理をなさるのね」

「そうでしょうか?」

「憲兵さんの推理では、私のような女や、笹木さんのような方まで、まるで乗客全員が容疑者だと言っているようなものだわ」

 私は、当初から犯行可能な人物に限って調べているし、無関係と思われる乗船客を疑っているつもりがない。

 絢子は気付いていない様子だが、船内食堂にいた者の証言を検証すれば、奥山が殺されたとき、犯行現場は船尾から絢子、船首から梶原や船員、船内吹抜け階段から笹木が向っており、船内食堂に相田がいたのだから、図らずも密室殺人になっている。

 それに絢子は、犯行現場である展望通路に佇んでいれば、実行犯を疑われる訳合があった。

 ここにきて船橋甲板から下りてきた船員が実行犯だとわかっても、私が探している人物は、この策謀劇を首謀している真犯人であり、絢子ではないと確信に至るまでは、彼女だって首謀者『Y』足り得たのである。

「私は、闇雲に疑っているわけではありません」

「信じられません。あなたは、私を犯人だと疑っていたではありませんか」

「私は、絢子さんの『犯行を見ていない』との証言を信じたからこそ、あなたの犯行を疑っていました。なぜなら犯行を目撃せず、ただ奥山が海に身投げしたと聞いただけで、悲鳴をあげるなんておかしいではありませんか」

 絢子は実際、寝起きに梶原が海に落ちたと聞かされても悲鳴をあげていないし、笹木の指示通りに船室を入替えて身を隠していた。

 つまり彼女や笹木の証言を信じるのならば、恐怖の引き金になったのは、海に突き落とされた奥山が落水する音だったことになる。

「ですが、本当なのです」

「もちろん、そうでしょう。絢子さんが犯人でなければ、偽証する必要がないのだから、証言を疑っているわけではありません。絢子さんが犯人であれば合点がいくと考えても、あなたの証言を疑うほど、お人好しではないのです」

「お人好し?」

「絢子さんに疑いを向けることが真犯人の思惑だとしたら、騙されてやるほど気前のいい男ではありません」

 絢子が悲鳴をあげたことは、犯人にとって想定外だったとして、彼女が犯行を目撃していないと証言したのは、犯人とって好都合だった。

 梶原が殺された訳合は、生かしておけば事件の真相が明るみになるから、必要に迫られた殺人である。

 そう考えて船内食堂にいた梶原の証言を思い出せば、絢子にも、殺すべき訳合があったはずなのに、彼女を生かしているのは、濡れ衣を着せるのに利用できると考えたからだろう。

「しかし笹木さんが、あなたと部屋を交換したのは好手でした。なぜなら私の見立てている犯人には、絢子さんを()()()()()()がある。つまり絢子さんであれば、ひと目見て事件の真相を見抜けるはずなのです」

 絢子は『なんと仰ったのですか』と、怯えた表情で聞き直した。

「絢子さんの証言には、事件の真相を知る手がかりがある」

「そうではないわ。私が犯人に命を狙われていると、嬉しそうに仰る理由を聞いているのです」

 絢子に言われて頬を撫でれば、確かに顔をほころばせているようだ。

 それも犯人には、絢子を殺す訳合があると言い放った私が、菓子をもらった子供のように笑みに浮かべるだから、さぞかし下卑た笑いに見えたのだろう。

 私は場違いに笑って、人を困惑させるとは、兄の黒羽少佐に常々注意されるところだが、全てが諒解した今、これを笑わずにいられようか。

 否である。

 これは確信の笑みであり、絢子が殺される訳合があったことを嘲笑したわけではない。

「犯人には、殺す訳合があったと言うべきでしたね」

「あった? 今は、もう危険がないのですか」

「梶原が殺された訳合を考えれば、あなたが佐世保で下船するまで船室にいるなら、これ以上の騒動が起きないでしょう」

「本当ですか」

「絢子さんと梶原には、犯人を見抜くための共通した証言があります。梶原が殺された訳合が、それを確かめたことによるなら、あなたが犯人に近付かない限り、わざわざ殺す必要がない」

「でも船員の人相は、笹木さんも見ています。彼にも、命の危険があるのではありませんか?」

「笹木さんは、実際のところ犯人を知りません。犯人が女でもあり、私の身内かもしれないと変幻自在だと言いましたよね。笹木さんが見たのは、犯人の横顔だけなのです」

 絢子は、状況を飲み込めていないが、事件の真相に近付かない限り、犯人が彼女を殺す訳合もなくなるのだから、明日の昼過ぎまで笹木に匿ってもらえば安心である。

「憲兵さんは、ここにいたのですね」

 笹木は二十一時を過ぎて消灯した船内食堂から、私が訪ねている絢子の船室に戻ってきたらしい。

「勘違いされては困りますが、絢子さんを部屋に連れ込んでいませんよ」

 笹木は絢子と船室を入替えて、犯人の目から隠しているのに、私が、まんまと訪問しているので肩を落とした。

 私は船舶窓を背にすると、絢子の隣に目配せしながら笹木もベッドを座らせる。

「その様子では、目当ての人物が見つからなかったようですね」

 私が問えば、笹木は絢子をちらりと見てから、申し訳ない顔で背中を丸めた。

「あのとき見た乗組員は、制帽を目深に被っていたのですが、人相に特徴があったので、すれ違えば見つけられる自信があったのです」

「人相に特徴?」

「展望通路は、食堂から漏れる明かりが頼りで暗かったのですが、肌が青白く、紅をさしたような薄い唇が印象的でした。声を聞くまでは、女ではないかと疑ったほどです」

 笹木が言うと、絢子も頷いて女のよう人相だったと同意して、腰を抜かした彼女に差し伸べられた手が骨太で、ひどくちぐはぐだったと付け加える。

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