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燕の騒乱  作者: 梔虚月
第一部 鳩の密告
19/31

19 雉鳩の密告

 いくつかの疑問を抱えて暗い船室に戻ると、電気を消したままベッドに腰掛けて、船舶用の丸窓から暗い海を眺めた。

 弥生朔日の翌日とあって月が姿を見せなければ、部屋に明かりを灯せば、ガラスに反射した自分の顔と、にらめっこすることになるからだ。

 事件の真相に辿り着けない私は『どこに向っているのか』と、暗い海を航行する船に自分を重ねて独り言ちる。 

 奥山が仲介者の梶原を通じて九重中尉と取引した訳合は、内通者としての身分を朝鮮軍に隠したかったのか、それとも、この旅客船に『Y』が乗り合わせており、直接取引に応じられなかったのか。

 しかし二つの訳合は、そもそも選択する必要がなく、朝鮮軍に身分を知られたくない奥山が、『Y』の目を盗んで九重と取引するためだったと考えれば良い。

 だから問題は、事件の首謀者である『Y』が乗船しているのか、それとも指示を受けた実行犯だけが乗船しているのか、これを確かめるための豆を撒いてみたものの、用心深い鳩は餌に飛びつかないようだ。

 その点において、私が捕らえようとしている犯人は、狩猟を禁じられて人を恐れなくなった土鳩ではなく、山鳩と呼ばれる雉鳩のような人物なのだろう。

 街で見かける鳩は、家畜化された土鳩であり、土鳩は伝書鳩の誤射を防ぐ訳合で狩猟が禁止されているが、雉鳩は山岳地帯に生息していれば、食材として狩猟対象となっており、用心深く、人に懐くこともない。

 九重を追い払った作業甲板から船橋を見上げたとき、私を見下ろしていた毛色の違う鳥がいたが、そいつが中尉の掴んだ偽情報を運ぶ伝書鳩だとしたら、なぜ人に懐かないはずの雉鳩が、内通者に盗まれた機密情報を、わざわざ私に密告したのだろう。

 私が見せられた機密情報は、政変を企む関東軍将校のクーデター計画と賛同者の名簿であり、首謀しているのが、東條閣下と不拡大方針を戦わせている参謀副長の石原莞爾だと、陸軍省に伝われば、満州派の語る対中講和なんて、本国が聞く耳を貸さなくなる情報だった。

 雉鳩が密告した訳合は、それだけを考えれば関東軍に好意的であり、このような機密情報に精通しているのだから、満州派の将軍とも懇意だと窺える。

 つまり事件の首謀者である『Y』は関東軍の敵ではなく、身内である可能性が高い。

 私に機密情報を明かすことには、諜報戦において敵味方を区別させる意図があるのだが、そうなると、石原莞爾の密使を匂わす黒羽少佐も、容疑者に加える必要が出てくる。

 乗船の手配を少佐がしていれば、たまたま内通者の奥山と乗り合わせたのは、些か話が出来すぎていると思うのは、私の勘ぐりが過ぎるのだろうか。

 どちらにせよ、実行犯の一存で機密情報を開示できるはずがないのだから、首謀者である『Y』も乗船していると考えて間違いなさそうだ。

 さて、そうなると割符に使われた鍵札付きの鍵が、寄木細工の小箱の鍵穴に差し込めなかった訳合も諒解する。

 実行犯は、首謀者『Y』の指示に従って奥山の裏切りを確認すると、割符であり寄木細工の罠を発動する鍵札付きの鍵を奪って、裏切り者を海に突き落とした。

 実行犯から鍵札付きの鍵を受取った『Y』は、そのまま奥山の部屋に鍵を戻せば、関東軍憲兵隊の私が、不用意に罠を発動して、カプセル容器に入った機密情報を台無しにしてしまうと考えた。

 敵味方の区別する方法を失った私は、身内である実行犯や『Y』を捕らえて、陸軍省の内通者である九重に身柄を引き渡したかもしれない。

 つまり犯人は、奥山から奪った鍵札付きの鍵を、鍵穴に合わない鍵にすり替えて、関東軍の私には、機密情報の内容で敵味方の区別がつくように担保した。

「九重中尉には、偽情報を掴ませることで取引が成功したと誤認させている。そんな芸当が出来るのは、仲介者の梶原だけなのだが、犯人は、奥山が船員に殺されたと疑っている彼に、どうやって偽情報を掴ませた?」

 後頭を三回ほど叩けば、見落としている何かを思い出すわけでもないが、考えに行き詰まりを感じると、こうして鈍い頭を叩く癖があった。

 奥山は単身で乗船していれば、『Y』と別々に乗船しているのだから、梶原が情報元の『Y』を見つけて直接交渉できるはずがなく、そもそも彼も犯人に殺されているのだから、犯人が近付いて身の危険を感じれば、私や九重に身柄の保護を要求したはずだ。

 梶原が殺される直前まで、犯人に偽情報を掴まされたと気付かなかったから、九重も偽情報と疑わずに伝書鳩を飛ばしたのである。

 梶原は、もしかすると偽情報を掴ませた人物が、奥山の身内だと勘違いしたのだろうか。

 事情に疎い仲介者の梶原は、奥山が恐れていた『Y』を身内だと勘違いしたのであれば、そいつから受取った偽情報を疑わなかったのかもしれない。

 いいや、それはない。

 奥山は用心深く、船内での取引に仲介者を用意しており、朝鮮軍の九重にさえ身分を明かそうとしないのに、単なる情報の仲介者に『Y』が敵だと知らさても、身内として紹介するはずがない。

 現場にいた者から集めた情報を思い出せば、梶原は騒ぎがあった直後、野次馬から逃げるように船内食堂から立去っていた。

 これが意味するところ、鍵札付きの鍵を奥山に手渡した梶原は、騒動を聞き付けて自分も殺されると考えて、船内食堂から逃げ出している。

 梶原が船内食堂に引返した訳合は、取引現場に現れた船員が犯人だと考えて、正体を見破ろうとしていたのか、笹木が言うとおり、他の乗船客と船内食堂に集まっていた方が安全だと考えたのか。

 そんな状況の中で、犯人が奥山の身内を騙って、偽情報を掴ませるなんて不可能に思えた。

 疑問が疑問を呼んで迷走状態に陥るとは、今のような状況を指す言葉なのであろう。

 ただ解決の糸口を素通りしているのが、私の固定観念にあるのかもしれなければ、白飯を飲み込んでも、喉に刺さった魚の骨が抜けないような、目的地を目前にして、深みにはまって抜け出せないような不快感がある。

 澱みを感じた私が気持ちを入れ替えようと、船舶用の丸窓を開け放ったとき、ガラスに反射して下の展望通路を歩く、黒羽少佐と九重の姿が見えた。

 二人の会話は聞こえないものの、九重は身振り手振りを加えて、黒羽少佐に何かしらを説明している様子であれば、少佐も頷きながら聞き入っている。

 上官である九重を邪険に扱っている私への抗議だろうか、それとも陸軍省の手先と正体を明かして、捜査協力を申し出ているのだろうか。

 黒羽少佐には、九重を雇っている陸軍省の情報士官に心当たりがあれば、中尉を懐柔して情報を聞き出すつもりかも知れないが、私の預かり知らぬところで密会されるのは、あまり気分の良いものではなかった。

「しかし、これはこれで面白い」

 くすくすと笑った訳合は、二人の密会現場を押さえたことではなく、暗い船室の窓を開ければ、展望通路にいる彼らに姿を見られることなく、覗き見ることが可能だと解ったからだ。

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