17 恋慕の情
旅客船の船内食堂では、日没を待たず夕食として握り飯と汁物が無料で振舞われていた。
佐世保港までの食事は、船内販売の弁当だけの予定だったものの、奥山の捜索活動で半日以上遅延しており、船長の太田が炊き出しの提供を指示したらしい。
一等船室の上客には、部屋食を用意するというので、黒羽少佐と別れて船内食堂に下りてみれば、乗船客とともに制服を着た船員も席に着いて食事しており、あちらこちらで昨晩からの騒動を話題にしていた。
私は噂話に聞き耳を立てながら、先に来ていた笹木と挨拶を交わした後、配られていた握り飯と椀を手にして、目立たぬように隅のテーブルを向かう。
事情に疎い乗船客は、身投げした奥山の地縛霊が、不謹慎にも夜通し酒を飲んでいた男を転落させたとのオカルトや、船内に潜んでいる殺人鬼が無差別に乗船客を殺しているなど、根も葉もない噂話に興じていた。
ただ奥山を捜索していた船員が、梶原の転落について身内の犯行を疑っているのは、なかなか興味深い。
彼らの話題は、梶原が転落して最初に駆け付けた乗組員が誰だったのか、短艇で海に出ていた乗組員の犯行が不可能なので、操舵室や作業甲板にいた船員の犯行ではないか。
私が船員を横目に見ると、顔を伏せたり、席を立って仕事に戻ったり、会話を中断するのだから無駄口を叩くなと、船長の太田に釘を刺されているのだろう。
奥山の犯行は船員が容疑者だと、太田に聞かせたのだから、船長が部下に聞き込みしてもおかしくない状況ではある。
船内食堂を見渡せば、副船長の青木が一人飯で、しょんぼりしているのが気の毒だった。
青木の態度を見れば、太田の言うとおり、大それた犯行ができない小心者であり、架空の身投げ騒動を演じられても、人殺しができる男とは思えない。
太田と青木は昨日今日の関係でないようなので、普段から小心者を演じていたのなら大した役者である。
「憲兵さん、捜査に進展はありましたか」
笹木は私を追い掛けて同席すると、竹皮に乗せた握り飯と椀をテーブルに置いた。
神妙な面持ちの笹木は、四人掛けのテーブルに隣合わせに座り、わざわざ椅子を寄せて小声で話し掛ける。
笹木に事情を確かめたかった私は『ええ、少しは』と、思わせぶりな態度で答えた。
彼だって容疑者であれば、聞きたい話があっても、捜査状況について聞かせられる話がない。
絢子が奥山を海に突き落とした実行犯だとすれば、笹木は、善意の第三者であっても犯行の片棒を担いでいた。
「そう言えば、ここに来る前に、絢子さんの部屋に訪ねたのですが不在でした。船内食堂にいるかと思ったのですが、笹木さんは彼女の所在を知りませんか」
「なぜ私が、絢子さんの居場所に知っていると?」
「相田さんは、笹木さんが絢子さんを送り届けたと言っていました」
「はい。でも午前中の話で、それから会っていません」
「それに日中、あなたの船室を訪ねたとき、やはり不在だったので、一緒にいるのではないかと考えたのです」
「それなら絢子さんも、まだ部屋で寝ているのではありませんか。私も昨日からの騒動で、ぐっすり寝入ってました……。あなたは誤解されているのようですが、私は年頃のお嬢さんに不埒な真似をしません」
表情を曇らせた笹木は、テーブルに置かれていた水差しからコップに注いだ水を飲み干す。
笹木は、梶原の転落を目撃した直後にも関わらず、私の訪問に気付かないほど眠りが深かった。
しかし同じ騒動に巻き込まれた相田は『進展が気になって眠りも浅い』と、言っていたが、梶原の転落を目の当たりにした笹木は、絢子の安否も気にせず、熟睡できるほど神経が太いのだろうか。
笹木が絢子の身を案じて現場から逃したのなら、むしろ気遣いかできる繊細な男の印象があり、彼女の安否に無頓着な言動には違和感がある。
笹木と絢子が共犯で、情報提供者と仲介者を葬って仕事を終えたから、のんびり過ごしているのは、私の勘繰りが過ぎるのだろうか。
「笹木さんが、絢子さんを連れ込んだとは思いません。ただ、あなたは絢子さんが、船員が乗客を突き落とすのを目撃したと考えていますね」
笹木は、周囲を警戒しながら頷いた。
「じつは昨晩から私が駆け付けたとき、絢子さんの目の前に立っていた船員を探しているのですが、これが全く姿を現しません。炊き出しの船内放送を聞いて、ここにだって一番乗りしたのです」
笹木は、展望通路で絢子といた船員を探していると言うが、まだ見つからないのであれば、副船長の青木ではないのだろうか。
青木を容疑者から外すには、些か決め手に欠けるものの、彼は奥山が転落したのを目視して現場に向かっており、笹木の証言との食違いはない。
「もう一度、室内を見渡してご覧なさい。本当に、その者はいませんか」
背凭れに手を回して振り返った笹木は『いません』と、副船長の青木を正面で見ても断言した。
笹木には、青木の犯行を庇う訳合があるのかと自分に問えば、彼が騒動後に駆け付けたと相田が証言していれば、綾子の共犯でなければ偽証する必要がない。
これは私の見立てだが、笹木の証言が絢子の無実を証明しているが、彼は、ただ弱った御婦人を介抱しただけの善意の第三者だろう。
当然ながら絢子を容疑者から外すために、笹木が段取り通り現場に駆け付けた可能性はある。
しかし、そうであるなら『乗組員が乗船客を突き落とした犯人』と、わざわざ船員に疑いが向くような証言をしなかったはずだ。
つまり絢子と船員が共犯者だとしても、笹木には偽証してやる義理がないからこそ、現場に真っ先に駆け付けた船員は、副船長の青木ではなかったことになる。
それに船員の会話を思い出せば、操舵室から見ていた青木が第一発見者に違いなくても、最初に駆け付けた船員が解らないらしい。
「では乗客が突き落とされているなら、その者が特定できれば犯人が特定できそうです」
「憲兵さんも、やはりそう思いますか」
「笹木さんは当初から、船員の犯行を疑っていましたね」
「絢子さんは『見ていない』の一点張りですが、犯人の報復を恐れて黙秘しているように思います。私は、梶原という人も、犯行を目撃して殺されたと考えているのです」
「笹木さんは、梶原が自ら転落したと証言していますよね?」
笹木は『それが……』と、バツ悪そうに後頭を掻き上げた。
彼は犯人を見ていないと念押した上で、展望通路に出ていった梶原が、船首側に向かって視界から消えた後、慌てた様子で戻ってくると、振り返らずに手摺りを乗り越えて転落したと言う。
「笹木さんは、梶原を助けに行かなかったのですか? すぐに展望通路に出れば、犯人に取り押さえることも出来たはずです」
梶原の転落を目撃した笹木が手をこまねいておらず、すくに犯人を追い掛ければ良かったのに、彼は女ばかりに気を取られて、まんまと犯人に逃げられた。
「あのときは気が動転して、すぐに絢子さんを逃がそうと、その後のことを相田さんに任せました」
「あなたは、犯行を目撃している絢子さんも、犯人に命が狙われていると考えた」
「その通りです。絢子さんは昨夜も、私の提案に従って食堂に残ってくれたし、ここから逃げるように伝えると、素直に着いてきました」
「笹木さんの言うとおりなら、絢子さんは犯行を目撃した可能性があります。ここから彼女を逃してやったのは、良い判断だったでしょう」
「憲兵さんなら、解ってくれると思いました。私は、ただ絢子さんを守っていたのです」
絢子と船員が共犯者ならば、笹木のお節介でしかないのだが、それを伝えて墓穴を掘れば、彼も殺されることになる。
笹木が絢子を無実だと信じるのならば、信じさせておいた方が安全なのだ。




