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燕の騒乱  作者: 梔虚月
第一部 鳩の密告
16/31

16 機密情報

 蓋が開いた小箱を覗ければ、罠である鍵穴の裏側に液体の入った小袋があり、鍵を差し込めば袋が破れて、鈍く光るカブセル状の容器を濡らす仕掛けのようだ。

 小箱の中身が機密情報で、正しい手順を踏まずに解錠を試みると、液体と反応した金属カプセルが発火する仕組みだろう。

 カプセルの材質は、水と反応して発火するアルカリ金属、主に金属カリウムが扱い易く、諜報界隈で利用されることが多い。

 秘密箱の仕組みには感心させられるが、問題はカプセル容器に残された機密情報が本物か否かである。

 九重中尉が何かしらのトリックで、犯人に偽情報を掴まされているなら、これだって真偽のほどが定かではない。

 しかし密閉された金属のカプセル容器を見れば、犯人が急場をしのいで用意できるはずがなく、奥山の部屋に残されていた情報が本物だと思われた。

「これだけ用意周到に罠を仕掛けているのだから、よもやカプセルに仕掛けはない」

 私は、取出したカブセル容器の先端にナイフを当てると、自分に言い聞かせて力を込める。

 そこに溶接痕があれば、内側から罠を仕掛けるのが困難だからだ。

「メモに書かれているのが、九重中尉が欲しがっている情報か」

 カプセル容器に入っていたメモには、『Y』が秘匿していたと前置されたクーデターの計画書、首謀者と賛同者の名簿が記載されている。

 計画書は昭和六年、満州事変の不拡大方針に反対した日本改造主義者の(おお)(かわ)(しゅう)(めい)らに師事した関東軍が、日本から分離独立を宣言して政変を目論んだ十月事件の二番煎じであり、特筆すべきは、意外な人物が賛同者に名前を連ねていることだ。

 その賛同者とは、私の知るところ満州事変の不拡大方針を唱えた張本人であり、帝都不祥事件で陸軍青年将校の鎮圧に奔走した石原莞爾である。

「石原閣下は、東條参謀長との軋轢に業を煮やしたのか? 黒羽少佐の陸軍省詣では、これに関わる任務ではないだろうな」

 黒羽少佐は今回、石原将軍の密使だと明言を避けている。

 犯人が関東軍をペテンに掛ける偽情報かも知れなければ、情報の確度が高まるまで、暫く私の内心に留めておこう。

 少佐の腹の内を探るのも憚れるし、犯人から偽情報を掴まされていれば、またしても『底が浅い』と失望させるからだ。

 犯人が機密情報を引き上げず、わざと見せつけた疑念は払拭できない。

 そして情報元とされる『Y』については、個人名なのか組織名なのか言及されていないものの、これに引っかかりを覚える。

 情報提供者が、クーデター計画を知る『Y』から聞き出した情報であれば、『Y』が()()()()()()との前置きが必要ない。

 つまり奥山は『Y』から情報を盗み出しており、朝鮮軍の九重中尉に密告した。

 最初の犠牲者は内通者であり、犯人は『Y』に関わる人物で間違いない。


 ◇◆◇


 黒羽少佐の船室を訪れたのは、旅客船が錦州港を出港して二十四時間、空が夕日に染まる十七時頃だった。 

 先ほど入手した機密情報だが、黒羽少佐には、箱を解錠するための鍵が見つからないと嘯いている。

 殺人事件の捜査については、船員の共犯者がいるらしいこと、情報提供者が内通者であり、犯人と顔見知りではないかとの見立てを聞かせた。

「犯人が、奥山の顔見知り? 被害者は、単身で乗船したと聞いているが」

「実行犯が別にいたとしても、主犯である者は、この船に同乗している可能性があります」

 『Y』が組織名であれば、その限りではないものの、個人名を指すのであれば、奥山は内偵のために彼を遠ざけておけない。

 それに犯人は、奥山の内偵を見破って犯行に及んでいるのだから、彼を監視下においていたと考えられる。

 奥山が、スパイ小説宛らの何重にも罠を仕掛けた寄木細工の小箱や、わざわざ仲介者を用意した訳合が、『Y』の目を盗んで、九重中尉と取引するためだったと、解釈すれば納得できる。

 そうでなければ舞台装置が、あまりにも仰々しくて馬鹿げていた。

「奥山の身内を船内で探しても、犯人は名乗り出ないだろう」

「実行犯の船員は、絢子という御婦人に首実検させれば特定できます。彼女は、実行犯の顔を見ているはずです」

「副船長の青木かね?」

「奥山の落下を操舵室から見た青木が偽証で、停船させるための自作自演ならば、彼が実行犯の可能性が高いでしょう。しかし青木の証言が事実なら、船員であれば、船内食堂を経由しなくても展望通路での犯行が可能なのです」

 奥山を捜索する船員を熱心に見ていた梶原は、奥山に鍵札付きの鍵を受け渡すとき、そこにやってきた実行犯の船員の顔を見たのではないか。

 梶原は、船内食堂を使わず展望通路に現れた実行犯を船員だと疑っており、動もすれば犯人を特定して命乞いか、それとも金でも強請ろうと考えている。

「船員全員の首実検とは、骨が折れそうだな」

「御婦人の聴取で特徴が割り出せれば、それほど困難ではないでしょう」

 船長の太田に聞いたところ、船員は二十名なので特定に時間は掛からないと思った。

「しかし朝鮮軍の警戒する情報なら、皇室絡みの大逆罪関連ですかね」

 私は機密情報の内容を知っており、情報を読み解けば、九重中尉の素性に当たりがついているものの、黒羽少佐に探りを入れてみた。

「九重の軍隊手牒(身分証明書)を確認したが、皇道派と疑わしい軍歴が書かれているにも関わらず、私の軍刀の扱いを見ても、眉を吊り上げなかった。彼は、陸軍省に雇われた内通者で間違いないだろう」

 黒羽少佐は、既に九重中尉の正体を見破っていた様子である。

 少佐曰く、九重中尉は士官学校卒業後、後に帝都不祥事件を起こした第一師団に所属していれば、農村出身で名士の息子という絵に描いたような皇道派の青年将校にも関わらず、青年将校運動に関わるような賞罰一切の記載がなかった。

 それに黒羽少佐が皇室から拝領した恩賜刀を杖代わりにしても、九重中尉は見過ごしているのだから、帝都不祥事件を首謀した第一師団の将校として、かなりの変り種なのが明らかであり、この点は、私も気に掛かるところだった。

「陸軍省の内通者とは、帝都不祥事件で軍務局から独立した兵務局の諜報員ですか」

 陸軍省軍務局から帝都不祥事件をきっかけに、綱紀の監督部署として兵務局が独立したのは、九重中尉が朝鮮軍に所属した後だと記憶している。

「いいや。軍務局には、以前から不祥事件を未然に防ぐための特務機関が存在していた。九重の軍歴からすれば、第一師団の配属直後から陸軍省の手駒だった可能性がある」

「陸軍省が防諜活動して、あの程度の成果だったのですね」

 私が口元を隠して笑うと、黒羽少佐も含み笑いで応えたものの、真逆の意味合いだった。

 私は、帝都不祥事件を防げなかった陸軍省の失態を嘲笑したが、黒羽少佐は、不祥事を利用して皇道派の将校を一掃した手際の良さに感心したらしい。

 そう説明されれば、少佐の言うとおりではあるのだが、陸軍省が前途有望な将兵を失っていれば、やはり醜態を晒したに過ぎないと思った。

 九重中尉が朝鮮軍に転属されられたのは、帝都不祥事件の失態による左遷ではなかろうか。

「お前は、二十余人の犠牲で七千万人が救われると聞けば、二十余の犠牲を厭わないだろう」

「ええ、そうですね」

「帝都不祥事件を利用して政治的主導権の掌握を画策した者が、国民七千万人のために、青年将校ら二十余人を犠牲にしたことに不思議はない」

「陸軍の統制派が議会と折り合いが付いている現状なのに、陸軍省は、そこまでしますか?」

 黒羽少佐は『誤解するなよ』と、向かい合った私の肩に手を置いた。

「俺は、陸軍省を手玉に取った者に感心している。兵務局には今、諜報、防諜活動に秀でた情報士官がいるのだが、そいつが九重のような内通者を放っておきながら、事前に察知していた帝都不祥事件を防げなかったのは、第三者が介在したからだ」

「私は、第三者の関与まで予測できませんでした」

 黒羽少佐には、また『底が浅い』と笑われてしまうのだろうか。

「いいや、そいつから聞き出した」

「え?」

「陸軍省の情報士官は、私の知っている人物だ。九重のことは知らないが、彼の言動と軍歴から陸軍省の諜報員だと予想がつく」

「少佐は、まったく人が悪い」

「まだまだ青いな」

 黒羽少佐が無邪気に肩を叩くので、私は気が抜けて弱ってしまった。

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